ハイネ
誰がどうやって数えたか、ハインリッヒ・ハイネはドイツリートにおける最大のテキスト供給者だという。眉に唾の特盛だ。採用された作品の総数か、頻度か、あるいは無名作曲家がどのあたりまで考慮されているのかなどいろいろ疑問がわく。ひとまずシューベルトにて調べてみると、没後出版の「白鳥の歌」に6曲ある他は見当たらない。
1797年12月13日生まれだから、シューベルトと同い年。日本風に言うと一学年違うという状態。最初の詩集は24歳の時の出版だからか、同世代ということもあって、作品がシューベルトの目に留まるのも遅れるというものだ。
それなのに、それなのにリーディングディヒターとは、後につづく作曲家がよほど精力的に取り上げたということだ。ブラームスを調べる。
- 春は優しい恋の季節だ op71-1
- 夏の宵 op85-1
- 月の光 op85-2
- 死はさわやかな夜 op96-1
- 花たちは仰ぎ見る op96-3
- 航海 op96-4
以上6曲とは拍子抜けだ。しかしながらどれもみな美しい。
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