糸を紡ぐグレートヒェン
シューベルトの歌曲に言及する文章では、しばしば「糸を紡ぐグレートヒェン」D118に特別な位置づけを与えている。いわく「ドイツリートの始祖である」と。ゲーテのテキストに弱冠17歳のシューべルトが付曲した同作品こそが、音楽ジャンルとしてのドイツリートを確立したと。詩作へのリスペクト、内容の消化、音楽作品への転写の巧みさ、どれをとっても画期的と判で押したようだ。さらに同曲に与えられた作品番号は「2」である。魔王に続く2番目の出版だということだ。お気づきだろう。どちらもテキストはゲーテだ。
フィッシャーディースカウ先生の評価もほぼこれに習っているが、少しだけ疑問もある。作曲順に付番されたドイチュ番号が118ということは、同作より遡る作品が存在する。なるほどゲーテのテキストに作曲された作品にはこれより若い番号はないものの、他の詩人のテキストに付曲したピアノ伴奏付の独唱曲は存在する。フィッシャーデュースカウ先生のシューベルト歌曲全集には「糸を紡ぐグレートヒェン」に先行する作品が24曲も収納されている。始祖に先行するのだからそれらは「ドイツリートではない」と指摘されかねない。
一方で著書の中では「糸を紡ぐグレートヒェン」の記述に2ページを奮発する異例の対応なのだが、全集録音からは控除されている。おそらく女性によって歌われるべきという信念によるものだろう。
よいではないか。「糸を紡ぐグレートヒェン」の味わいには全く影響しない。
アメリンクやバトルで聴いてみる。16分音符の同一音型の連続が回り続ける糸車の描写だということくらい素人の私でもわかる。それがテキストの内容の忠実なトレースになっているということもおぼろげながら想像がつく。時には急き立て、あるときは淀み歌手の歌う旋律よりも雄弁だ。ピアノと声が同格。ゲーテとシューベルトの対話とまで言ったらお叱りを受けるのだろうか。炎上も覚悟で消火器片手にそのくらいは踏み込みたい気持ちでいっぱいだ。
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