Massigの取説
「死と乙女 」で思い出した。フィッシャーディースカウ先生の大著「シューベルトの歌曲をたどって」の135ページのことだ。「死と乙女」D531の演奏に際しての考察の中で、同曲イントロ冒頭の「Massig」(赤文字はウムラウト)の解釈について意見を述べておられる。「はたしてどんなテンポで演奏されるべきか」という課題の提示とも映る。楽譜上のドイツ語による指示は「明白さと正確さの点でイタリア語指示に劣る」と断言しておられる。軽い驚きがある。ドイツ語のネイティヴな話者であり、ドイツリート演奏の第一人者にしてなお、音楽用語においてはイタリア語の方が明瞭だと断言している点だ。演奏前の準備としてこれら用語の解釈を怠らない点、目から鱗でもある。
先生は歌曲における「Massig」実例の分析から、おおむね「Modearto」と位置付けながらもあくまでも慎重な姿勢を崩さない。アラブレーヴェという拍子を考慮すれば妥当なテンポに収まるとひとまず落とす。
さらに慎重に同名の名高い二短調弦楽四重奏曲の第二楽章を参照する。同書が歌曲以外の作品に言及する稀な例の一つだ。歌曲「死と乙女」のイントロのピアノ伴奏部を主題とする変奏曲になっているとシンプルな指摘に続き、テンポ指定が「Moderato」ではなく「Andante con moto」であることをもって、作品演奏の際のテンポの採用には慎重な準備と検討が欠かせないと釘を刺す。
ああ。何ということだ。書籍でもブログでも「ブラームスの辞書」は「Massig」を「Moderato」に比定 している。ブラームス作品の用語使用実態から到達した仮説だ。フィッシャーディースカウ先生がシューベルト演奏の解釈面からそこにたどり着いたことは深くて重い意味がある。「Massig」の解釈のために「死と乙女」にとどまらぬ他の作品での用例を分析したというのがまた象徴的だ。用語使用分布の分析が解釈に役立つというお考えに違いないからだ。「ブラームスの辞書」のコンセプトそのままではないか。
すごく嬉しい。
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