マルクセンとハイネ
マルクセンといえばエドゥワルド・マルクセン(1806-1887)のことで、ブラームスが1843年から10年間ピアノと作曲を師事していたことで名高い。1830年から1833年までウイーンで研鑽を積んでいたという。ハイネについて調べていてお宝情報にたどり着いた。ディースカウ先生の著書「シューベルトの歌曲をたどって」の449ページのことだ。そこはもうシューベルトの没後の記述で、作品の受容について語る中にあった。
1830年シューベルト没の13年後にウィーンで修行中のマルクセンに、ハイネが手紙を書いた。自作に付曲した作曲家について述べる中にシューベルトが出て来る。スペリングの誤りで「シューバルト」と読めなくもない記述が「なくなる直前に素晴らしい作品を書いたらしいが、私はまだ聴いていない」というものだ。没後遺作として出版された「白鳥の歌」D957の8番から13番の6曲を指すと、ディースカウ先生は考えておられる。
興味深い。
ディースカウ先生がこのエピソードをここに紹介した意図は、シューベルトの最後の歌曲集の受容っぷりを論ずるためだ。私はむしろブラームスの師匠マルクセンとハイネがこんなやりとりをするような仲だったことに驚く。ハイネが9歳年長の同世代の2人だ。
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