論争の決着
シューベルトの「白鳥の歌」を「歌曲集である」と認めるか認めないかの論争 があると書いた。ブラームス最晩年の時点でこのような論争があり、「認めない」派のブラームスは分が悪そうだと心配した。
さて書籍「シューベルトの歌曲を辿って」の中で御大ディートリヒ・フィッシャーディースカウ先生はどのような見方をしているかまとめておく。
先生はまず同曲集の成り立ちをテキストの供給者をキーに以下のように分類する。
- レルシュターブがテキストを供給(1~7)
- ハイネがテキストを供給(8~13)
- ザイドルがテキストを供給(14)
上記1は本来ベートーヴェンに作曲を依頼したものだが、巡り巡ってシューベルトに回ってきたもの。だからシューベルトがそれれらを連作歌曲の中に組み入れる気でいたとある。同様にシラーのテキストによる上記2もこれに数曲を加えて独立した連作歌曲にするつもりだったという。だからシューベルトがもう少し長生きしていたら、レルシュターブ作とハイネ作の2つの連作歌曲集が誕生していた公算が高いが、どちらもタイトルが「白鳥の歌」になっていた可能性は低い。
残念なことにシューベルトはこの世を去り、兄フェルディナンドと出版社ハスリンガーの協議により、上記1~3がまとめて出版され、何の関係もない「白鳥の歌」というタイトルまで付加された。
フィッシャーディースカウ先生の分析は以上だ。
連作歌曲集に仕上げる気はあったが現在流布する「白鳥の歌」という形態はシューベルトの意志ではないと読める。
これらをまとめて演奏することの意義を疑うブラームスにも一理ある。
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