シューベルトとドヴォルザーク
昨日「せっかくのドヴォルザーク生誕180周年がシューベルト特集の真っただ中で申し訳ない」と書いた。 しかしながら、しかしながら、実はそれも一興と感じ始めてもいる。
1797年生まれのシューベルトと1841年生まれのドヴォルザーク。 1833年生まれのブラームスは、この二人を愛した。 ブラームスはシューベルト没後の生まれだが、ドヴォルザークは8つ年上なだけの同世代。 少しだけ出世が早かっただけのめぐりあわせで、ハプスブルク王室国家奨学金の審査員として発見したドヴォルザークを世に出した。 ブラームスいわく「彼ドヴォルザークの仕事場のゴミ箱から、いくつか旋律を拾い出してつなげれば曲になる」と。 ブラームス独特の遠回しな賞賛だ。 ドヴォルザークをメロディーメーカーとして高く評価した。 オペラの脚本選びのセンスの無さに苦言も呈するが、「懐かしいのに誰の真似でもない旋律」が次々湧いて出る才能を激賞した。 きれいな旋律をただつなぐだけに堕落しないため、あえてソナタ形式の枠内にとどまる見識も評価の内にある。
一方シューベルトに対してもこれまた手放しの賞賛。 ウイーン進出直後にむさぼるように未刊のシューベルト作品を写譜して、後にはシューベルト協会のメンバーに名を連ねて事あるごとにシューベルトを擁護した。
この二人汲めども尽きぬ旋律の泉だ。片やウイーン、片やプラハ。本拠地は違っても彼らの本質は旋律。ブラームスの2人への溺愛にはメロディーメーカーぶりへの若干のやっかみも混入している気がする。旋律とも言えないような断片を発展させてソナタに仕上げる才能ならば、当代一の座に君臨したブラームスだが、展開の余地のない旋律を次々生み出す才能では二人に劣るという自覚。対位法だ、フーガだ、展開部だ、再現部だなどという小難しい理屈が霞むほどの旋律。
シューベルト特集の真っただ中にドヴォルザークのメモリアルデーが訪れるのはむしろ吉兆。
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