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2021年9月30日 (木)

雷雨の後

源頼政は武士ながらひとかどの歌人。勅撰和歌集への採用も源実朝の93首を別格とすれば上位にランクする。小倉百人一首から漏れているのが不思議なくらい。代表作は下記。

庭の面はまだ乾かぬに夕立の空さりげなく澄める月かな

夕立の上がったあとの情景。聴くたびにこの歌を思い出す作品がシューベルトにある。

「雷雨の後」D561だ。オリジナルは「Nach einem Gewitter」という。

走り出すイントロのみずみずしさは、まさに雨上がり。無理矢理一言で申すならモーツアルトだ。K136のディヴェルチメント然とした立上がり。イントロ通りの旋律がやがて歌にも表れる。いやもうなんと申すか小粋。

 

2021年9月29日 (水)

こおろぎ三題

小倉百人一首、九条良経の歌は下記。源実朝、後鳥羽院とともに大好きな歌人ベスト3を構成する。

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣片敷き独りかも寝む

ここでいうきりぎりすは現代で申せばこおろぎであるというのが定説だ。独り寝の孤独を詠うツールがこおろぎの鳴き声になっていると思っていい。

ドイツ語で「こおろぎ」は「Grille」だ。ブラームスの歌曲では「夏の宵」op85-1と「野の寂しさ」op86-2に「Grille」が現れる。とりわけ「私的ブラームス最愛の歌曲」の座に君臨する「Feldeinsamkeit」(野のさびしさ)op86-2の10小節目に複数形の「Grillen」が出て来る。「rings」という動詞が追随するので鳴いているとわかる。タイトル後半に「einsamkeit」とある通り、「孤独」を表すツールが「こおろぎの鳴き声」となっている。

さあそしてシューベルトだ。「孤独な男」(DerEinsame)D800を聴いてみるといい。テキスト冒頭にいきなり「Grillen」が出現する。イントロの意味ありげな16分音符が実は「こおろぎの鳴き声」の巧妙な描写だと気づかされる寸法だ。ここでも「こおろぎの鳴き声」が「孤独」とセットになっている。

テキストの供給は「野の寂しさ」がアルメルス。「孤独な男」がラッペだ。九条良経、ブラームス、シューベルトという私にとってまたとない一致。この手の偶然をスルーしないのがお約束だ。

今、芸術の秋。

 

 

2021年9月28日 (火)

秋の歌

「Herbtlied」と綴る。D502だ。いやもう可憐。けしてけしてメジャーとは言えないが秋の歌私的No1である。

物思う秋然とした短調ではなく、可憐な長調。上行きのスケールで始まったかと思うと、応答句が下行となるなど理詰めでもあるけれど、それがさして強調もされない。こういう秋もあるのかと納得。

2021年9月27日 (月)

秋の夕暮

昨日没後780年 のメモリアルデーを迎えた定家様の代表作は下記。

見渡せば花も紅葉も無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮

第三句に否定を置き、結句に「秋の夕暮」を配する鉄壁の定家節が炸裂している。新古今時代にはこの「秋の夕暮」がもてはやされた。「秋の夕暮」は枕草子が指摘している通り、「もの思ふ秋」の象徴的題材だ。「三夕」に象徴される新古今の時代はそこがいっそう突き詰められていた。

一年の終幕に向かう秋と一日の終幕に向かう「夕暮」の交点としての「秋の夕暮」のイメージに、人生の秋としての「老い」までも重ねられてゆく。「物思ひ」からはひそかに恋のテイストも漂う。

さてシューベルトはいかがか。

D405にズバリの「秋の夕べ」がある。オリジナルは「Der Herbstabend」という。ザリス・ゼーヴィスのテキスト。物や思へとばかりの淡々とした短調の曲想。がしかし、一つ前のD404が同一作者の「秋の夜」になっていて、「秋の夕暮」が特段の位置にはない感じがする。

そもそもタイトルに現れる曲の数では秋よりも春が優勢なシューベルトさんであった。

 

2021年9月26日 (日)

定家忌

本日は藤原定家の命日。1241年9月26日に没したから、没後780年のメモリアルデーである。

これまたシューベルト特集の真っただ中に、またまた大切な日。おまけにメルケルさん不出馬のドイツ議会選挙と重なる。記事枯渇 の原因を定家、実朝、後鳥羽院あたりの祟りかとも疑ったから、本日は目いっぱい供養せねばと、メルケルさんの記事 を一日繰り上げた。

定家といえば、小倉百人一首の撰者で、和歌界の巨頭だ。これを何とか無理矢理シューベルトなり歌曲にこじつけられはせぬかと考えた。和歌の頂点は数々の勅撰和歌集だ。その構成を部立てといい、最初の勅撰和歌集である古今集の体裁が後の世の手本になった。春夏秋冬に、恋、旅という具合だ。そのつもりでシューベルトの歌曲を眺めてみるのも一興かと。

無理目のこじつけこそ醍醐味。

2021年9月25日 (土)

宰相退任

ドイツ連邦首相、アンジェラ・メルケルさんは明日9月26日に行われる連邦議会選挙に立候補せず、政界を引退するという。16年連邦首相の座にあった。「ドイツの母」「EUの女帝」との呼称が全然大げさではない存在感を放ってきた。移民に寛大な政策により時に逆風にもさらされたが、昨今各国の指導者が「自国第一主義」に走る中、自由主義陣営最後の砦の貫禄がついていた。一方で彼女の観戦するサッカードイツ代表戦の勝率は半端なく高かった。

さらにだ。コロナ禍に際しての国民への呼びかけは鬼気迫るものがあった。いつもは冷静な彼女が声を震わせて感染拡大防止を訴えた。移民政策で下降気味だった人気がまた回復したともいわれている。そりゃそうだ。ドイツ語のわからぬ私も彼女の演説に引き込まれた。表情、言葉のトーンだけで訴えるものがあった。字幕なんぞいらない。伝わるというのはこういうことかと。

我がブログ「ブラームスの辞書」にはカテゴリー「メルケル」を設定して敬意を表してきた。私の3度の渡独はみな彼女の在任中だった。辻褄も脈絡もないが、今心からお礼したい。

メルケルさんありがとう。

2021年9月24日 (金)

いわば本歌取り

ヘルティの詩にはブラームスも下記の通り曲を付けている。シューベルト への供給状況との比較が興味深い。

  1. 口づけ op19-1
  2. 五月の夜  op43-2
  3. 忘却の水をたたえた杯 op46-3
  4. 夜鶯に op46-4
  5. すみれに op49-2
  6. 恋歌 op71-5

お気づきの方も多かろう。昨日「五月の夜」について述べたが、上記の赤文字の作品はシューベルトにもあった。順にD194、D196、D428だ。先行作品へのリスペクトを柱に自分の情感を巧みに盛り込むという点で、和歌の世界の「本歌取り 」に通ずるものがありはしないか。先行するシューベルトにとっては預かり知らぬ話だが、追随するブラームスにとっては、思い入れも一入のはずだ。バレて困るのが盗作である一方、本歌取りは見破ってもらわねば困るのだ。シューベルトへのオマージュとしての本歌取りに、ヘルティはうってつけの素材だ。

ブラームスの「本歌取り」がヘルティのテキストに集中する現象は心にとめておきたい。

 

2021年9月23日 (木)

五月の夜マニア

ドイチュ番号で言うなら「月に寄せて」D193の次に「五月の夜」D194がある。オリジナルは「DieMainacht」という。ヘルティ のこの同じテキストにブラームスが付曲している。op43-2だ。「ブラームス歌曲名曲選」の類には高い確率で採用されるメジャーな作品。タイトルにこそ現れないが1行目に「銀色の月」が現れ事実上の月の描写だとわかる。

シューベルトは短調。4節の原作に忠実な有節歌曲に仕上げている。ブラームスが後日同じテキストに曲を付けるなど、シューベルトは知ったことではないが、追随するブラームスの脳裏にはシューベルトの先行作がとどまり続けていたはずだ。ブラームスが長調を採用したことはむしろ表面的だ。全4節のうち3節目を描写の肝と解釈し、こともあろうか第2節目を完全に省略。第1節と第4節が第3節を挟む形の三部形式に仕上げた。変ホ長調に挟まれたロ長調という調性のプランにこそインスピレーションを感じる。フラット3個を起点に次々と臨時記号のフラットが付与され、崩落の頂点でクルリとシャープ5個にすりかわる。

追う側の責任。王子の面目躍如。

2021年9月22日 (水)

ヘルティラヴ

「月に寄せて」D193のテキストをシューベルトに供給したのはヘルティLudwig Christoph Heinrich Horty(1748-1776)だ。ハノーファー生まれでゲッティンゲン大学に進んだ。やや憂鬱ながら純粋で滑らかな口調の作品を書いたが、28歳で没した。シューベルトへのテキストの供給は以下の通り。

  1. 墓堀人の歌 D44
  2. 月に寄せて D193
  3. 五月の夜 D194
  4. 夜鶯に D196
  5. りんごの歌 D197
  6. 嘆息 D198
  7. 恋する人 D207
  8. 尼僧 D212
  9. 夢 D213
  10. 緑影 D214
  11. 春の歌 D398
  12. 夜の鶯の死に D399
  13. 幼年時代 D400
  14. 冬の歌 D401
  15. 恋歌 D429
  16. 幼い恋 D430
  17. 花の歌 D431
  18. 幸福 D433
  19. 収穫の歌 D434
  20. 嘆き D437
  21. 月に D468
  22. 五月の歌 D503

以上。見ての通りおそくも1816年までだ。そりゃあ知名度はもちろん採用数ではゲーテやシラーには劣るのだとは思う。けれども本当に佳品が多い。有節歌曲の枠内にとどまるならとても優秀な素材だと思える。

 

2021年9月21日 (火)

月に寄せて

シューベルト歌曲の月の歌最高位にはなんといっても「An den mond」D193を推す。テキストはヘルティ。ニ短調8分の12拍子の部分がヘ長調2分の2拍子を挟む3部形式と申しては理屈が過ぎよう。イントロ部、右手に出現する上行3連符の分散和音がひそやかな感じ。左手が低いところで奏でる波のせいで、ここが8分の12拍子だと刻印されているのだが、そこを棚上げにすれば何かに似ている。

そうだベートーヴェンの月光ソナタ第一楽章冒頭の有名な月光の描写だ。命名のもとは詩人レルシュターブの「ルツェルン湖云々」のコメントだ。この詩人シューベルトにもテキストを供給しているから妄想は膨らむ一方だ。作品の成立は月光ソナタに遅れること10年であるから、シューベルトがそのイメージを拝借したかもしれない。

フィッシャーディースカウ先生もご著書の中でこの類似を指摘しておられる。しかし、待ってほしい。レルシュターブの先のコメントは1832年のことなのでシューベルトもベートーヴェンも没した後だ。となると世間がベートーヴェンの嬰ハ短調ソナタを「月光」ともてはやす前に、シューベルトが上行3連符を自作「月に寄す」のイントロに採用したことになる。その方がよほど恐ろしい。レルシュターブのコメント自体がシューベルト「月に寄す」の伴奏音型が着想の根源かとも思えてくる。「月光ソナタ」の命名者がシューベルトに遡りかねない話。

本日中秋の名月。

2021年9月20日 (月)

敬老カーネーション

本日は敬老の日。

父の思い出がつまった小さな庭を取り壊して、物干しデッキに改造してからかれこれ1年たつ。日当たりも風通しもいいと見えて鉢植えが元気に育つのが想定外の収穫だ。

何より驚かされたのが、カーネーション。

4月29日、母の日に備えて私が1000円で買い求めたものだ。母の日が近づくと値上がりするからと早めにプレゼントした。これがとんだ長持ちだ。花が咲くと母が切り取って花瓶にさし、毎日水をやっていたのだが、父の日を過ぎても花が咲いた。7月27日の母の誕生日まで持つかねと言っていたら、それも通り越して、今日敬老の日まで持ちこたえた。夏の暑さで少々傷んでいるが、これから涼しくなるとまた元気になりそうだ。

 

2021年9月19日 (日)

月を歌う

間もなく中秋の名月だ。シューベルトの歌曲の中で中秋の名月とまではいかずとも「月」を歌った作品が散見される。テキスト全文を確認できないからひとまずタイトルに「月」(Mond)が現れる作品をD番号順に列挙しテキストの供給者を添える。

  1. D141 月の夕べ/クンプ
  2. D193 月に寄す/ヘルティ
  3. D238 月の歌/コーゼガルテン
  4. D259 月に寄す/ゲーテ
  5. D296 月に寄す/ゲーテ
  6. D468 月に寄す/ヘルティ
  7. D614 秋の夜の月/シュライバー
  8. D870 さすらい人が月に寄せて/ザイドル

タイトルに「月」が現れるだけで8曲だ。目立つのは「月に寄す」が4つあることだ。オリジナルでは「An den Mond」という。不思議なことにゲーテとヘルティが2曲ずつ。ゲーテは同テキスト異曲。同じテキストに2通りの付曲という現象。対するヘルティは同タイトル別テキスト。テキストまで深堀しないことには何とも言えないが少なくとも「太陽」よりは多そうだ。

 

 

 

2021年9月18日 (土)

第二の指標

2033年5月7日のブラームス生誕200年のメモリアルデーまで、記事を毎日更新することを譲れぬ目標としているブログ「ブラームスの辞書」だから、モチベーション維持のために毎日確認する数値がある。管理用のエクセル表上に常時表示している。それが第一の指標「備蓄記事数」である。

さまざまな数字を定義して、本日現在の値を示しておく。

  • A ゴールに必要な記事数 10252本
  • B 公開済の記事数 6003本
  • C 執筆済記事数 6513本

そう。第一の指標「備蓄記事数」はC-Bで求まる。ずっとこの値を見ながら精進してきた。B「公開の記事数」は毎日1つずつ増えて行く。記事を思いつかないとC「執筆済記事数」は変わらないから、備蓄記事数は減ってゆく。当たり前だ。5年ほど前までこの「備蓄記事数」が1500本もあったから少々記事を思いつかなくてもびくともしなかった。今年初めに備蓄が600本を切って緊急事態を宣言した。そのころからこの数字を見ていると落ち着かない気持ちにさらされるようになった。

そこで考案したの第二の指標「ゴール到達必要数」である。求め方はA-Cである。平たく言うと「ゴールするまでにあといくつ記事を思いつけばいいか」という値となる。

備蓄記事は本日現在「510本」だ。ゴール到達必要数は「3739本」となる。こちらは記事を1本執筆するたびに減ってゆくだけだ。その昔、この数値が「8000」「9000」だった頃は、あまり顧みなかったが、4000を切ってみるとなんだか励みになる。要は気の持ちようということだ。

2021年9月17日 (金)

千日感覚

ブログ「ブラームスの辞書」は一日1本の記事公開を旨としている。一昨日記事が6000本 に達して一息ついたが、5000本からの千日があっという間だった。年を取ったということか。千日はおよそ3年なのだが、なんだか早い。7000本は2024年、8000本は2027年、9000本は2030年ということだけれど、やけに早く感じるに違いない。

2021年9月16日 (木)

オッズ

英国人はかけ事が好きと見えて、何事も賭けの対象にする。スポーツの結果がその代表だ。ロンドンのブックメーカーが提示するオッズは、それなりに練り上げられていて興味深い。

さて、昨日通算6000本 に到達した我がブログ「ブラームスの辞書」は2033年5月7日ブラームス生誕200年まで、毎日記事更新を譲れぬ方針としている。残り本日分を入れて4251本が必要となる。これが本当に実現するかどうかのオッズがどれほどになるのだろう。仮に実現する可能性が相当高いとブックメーカーが判断すればその数値は「1.0」に近づく。1万円賭けて、仮に勝っても1万円しか戻らないのが「1.0」の意味だ。

15年以上記事更新の抜けがないまま、6000本の記事が堆積したブログが、あと4252日継続できるのかという問いだ。

例えば私がブログ上でこのことを宣言したときと比べて相当下がっているはずだ。2008年2月24日の段階では、まだ1000本にも届いていない。あれから5000本積み上げたほか、およそ500本の備蓄記事があるとなるとブックメーカーの見る目も変わってくるに違いない。

 

 

2021年9月15日 (水)

記事6000本

ブログ「ブラームスの辞書」は本日この記事をもって、2005年5月30日開設以来の記事が6000に到達した。

新型コロナウイルスパンデミックの中ではあるが、ひとまずこれを噛みしめる。

2021年9月14日 (火)

シュトックハウゼンの弟分

ジョージ・ヘンシェル(1850-1934)はブレスラウ生まれの歌手、作曲家、指揮者。ボストン交響楽団の初代指揮者としても名高いけれど、ブラームスは歌手としての才能を高く評価した。文筆家としてブラームスの回想録も残している。ブラームスとの愉快なやりとり満載で、優秀な演奏家としての側面を忘れられがちだが、しばしばシューベルトが話題になっている。

一方フィッシャーディースカウ先生の「シューベルトの歌曲をたどって」の中でもヘンシェルが取り上げられている。

シューベルト没後の作品の受容を論ずる章に現れる彼をフィッシャーディースカウ先生は「シュトックハウゼンンの弟分」と呼んでいる。演奏や解釈、あるいはキャラからそう呼んでいるという文脈だ。シュトックハウゼンとは申すまでもなくブラームスの友人にして当時最高のバリトンだ。その弟分というのは賞賛含みに決まっている。歌手の系統上の後継というニュアンスまで感じてしまう。ということはつまり、ヘンシェルのシューベルト演奏も高い評価を受けていたということを示唆する。

リューゲン島でブラームスとともに夏を過ごすヘンシェルが、ホテルのロビーでブラームスを伴奏者に従えて即興のリサイタルを開いた。曲目にシューベルトがあったと回想している。

2021年9月13日 (月)

ヴィトマンの証言

Josef Viktor Widmann(1842-1911)は、スイスの作家、評論家。父は牧師だったが本人の記憶によればかなりな音楽一家に生まれたとある。ホームコンサートの演目にシューベルトがあったという。母はベートーヴェンと交友があり、父はシューベルトと交友があったという羨ましい境遇。で、このヴィトマン本人はブラームスと交流した。結婚を機にスイス・ヴィンタートゥールに住みそこでブラームスとの交友が始まり、その様子が出版されている。ブラームスがいくつかの夏をスイス・トゥーンで過ごしたのはヴィトマンの存在が大きい。避暑の間以外の交友は主に文通だった。

同時代の文学者に対するブラームスの評価が話題になった。ヴィトマンはブラームスが評価する作家の顔ぶれがどうにも保守的だという。しかしこれは食わず嫌いではなく、作品に触れた上でのブラームスなりの評価であったと補足する。同時に世の中の一般的な傾向として、作曲家は同時代の作家には得てして冷淡だとする。文脈からそれが歌曲へのテキストの供給状況を含むと解してよさそうだ。続いてさらに興味深い指摘が続く。作家の方も、同時代の音楽には冷淡だったからお互い様だというのだ。その例として「魔王」に触れたときのゲーテの冷淡な態度を挙げている。

 

 

2021年9月12日 (日)

マンディの功績

マンディチェフスキーに対するブラームスのかわいがり方は昨日述べたばかりだが、フィッシャーディースカウ先生の「シューベルトの歌曲をたどって」の中でもよく取り上げられている。つまりシューベルトを論ずる際にも不可欠ということだ。そりゃ、ウイーン楽壇が総力を傾けたシューベルト全集の歌曲部門の編集主幹だから、当然と言えば当然だ。バッハ研究におけるシュピッタのような圧倒的な存在感を発する。

フィッシャーディースカウ先生はマンディチェフスキーはシューベルト歌曲の厳密な校正に際して下記を参照したと列挙する。

  1. 自筆草稿
  2. シューベルト自身が出版に関与した出版の初版
  3. シューベルトが関与しない出版の最古の版
  4. 同時代の親しい関係者の写本

これはまさに信頼性の高い順だ。資料に対するこうした厳密な姿勢はシュピッタに通ずるものがある。やがてブラームス全集の編集にも関わったのもうなずける。

 

2021年9月11日 (土)

マンディの証言

マンディとはオイゼビウス・マンディチェフスキー(1857-1929)のこと。ブラームスの伝記に現れるときは一の子分的な言われ方をする。ウイットに富んでいて、ブラームスが発するジョークに気の利いた対応を見せるあたりがたいそう 気に入られていたのだが、実はかなりの才人。楽友協会の司書、作曲家、合唱指揮者、音楽院で教えていたこともある。のちにブラームス全集の編集にも携わった。

シューベルトとの関係でいうなら、シューベルト全集歌曲部門の編集主幹。ブラームスはその編集方針をめぐり「出せばいいってものではない」などと苦言も呈するが、いざ出版されると自ら非を認め絶賛したばかりかポケットマネーからポンと一万マルクを贈る。

没する数か月前には、「物静かな不屈の仕事人で若者の鏡」とまでほめちぎる。

 

2021年9月10日 (金)

イェンナーの証言

グスタフ・イエンナー(1865-1920)は恩師マルクセンに頼まれてという事情もあってか事実上唯一の作曲の弟子だ。1895年に1年間ウィーンに滞在してブラームスの教えを受けた。その回想録は音楽之社刊行の「ブラームス回想録集3」に訳出されている。その226ページに「ブラームスと歌曲」と題された章があり、「有節歌曲」という副題がついている。

そこでは作曲の教材として「有節歌曲」が有効だというブラームスの持論が証言されている。シューベルトの作品群のうちとりわけ有節歌曲を好んだというブラームスの嗜好と一致する。テキストを見つけたら、それが有節歌曲として成立するかをまず確認しなさいという指導を証言する。ここでのしくじりは必ず厳しく叱責されたという。有節歌曲になるかならないかの判断にシューベルトの歌曲がよい手本になるという言葉を噛みしめている。シューベルトの歌曲全てを綿密に研究してみろともいわれている。「シューベルトの歌曲ならばどんなものでも何か学べるよ」など、もうシューベルトネタのてんこ盛りである。有節歌曲をベースにテキストの内容に即した少々の気の利いた逸脱まで含めて推奨している。

イエンナーの見解によればシューベルト最高の有節歌曲は「恋人のそばに」D162だという。

2021年9月 9日 (木)

シューベルトとドヴォルザーク

昨日「せっかくのドヴォルザーク生誕180周年がシューベルト特集の真っただ中で申し訳ない」と書いた。 しかしながら、しかしながら、実はそれも一興と感じ始めてもいる。

1797年生まれのシューベルトと1841年生まれのドヴォルザーク。 1833年生まれのブラームスは、この二人を愛した。 ブラームスはシューベルト没後の生まれだが、ドヴォルザークは8つ年上なだけの同世代。 少しだけ出世が早かっただけのめぐりあわせで、ハプスブルク王室国家奨学金の審査員として発見したドヴォルザークを世に出した。 ブラームスいわく「彼ドヴォルザークの仕事場のゴミ箱から、いくつか旋律を拾い出してつなげれば曲になる」と。 ブラームス独特の遠回しな賞賛だ。 ドヴォルザークをメロディーメーカーとして高く評価した。 オペラの脚本選びのセンスの無さに苦言も呈するが、「懐かしいのに誰の真似でもない旋律」が次々湧いて出る才能を激賞した。 きれいな旋律をただつなぐだけに堕落しないため、あえてソナタ形式の枠内にとどまる見識も評価の内にある。

一方シューベルトに対してもこれまた手放しの賞賛。 ウイーン進出直後にむさぼるように未刊のシューベルト作品を写譜して、後にはシューベルト協会のメンバーに名を連ねて事あるごとにシューベルトを擁護した。

この二人汲めども尽きぬ旋律の泉だ。片やウイーン、片やプラハ。本拠地は違っても彼らの本質は旋律。ブラームスの2人への溺愛にはメロディーメーカーぶりへの若干のやっかみも混入している気がする。旋律とも言えないような断片を発展させてソナタに仕上げる才能ならば、当代一の座に君臨したブラームスだが、展開の余地のない旋律を次々生み出す才能では二人に劣るという自覚。対位法だ、フーガだ、展開部だ、再現部だなどという小難しい理屈が霞むほどの旋律。

シューベルト特集の真っただ中にドヴォルザークのメモリアルデーが訪れるのはむしろ吉兆。

2021年9月 8日 (水)

ドヴォルザーク生誕180周年

ドヴォルザークは1841年9月8日生まれ。本日は生誕180年のメモリアルデーだ。ところが我がブログはシューベルトネタの奔流の真っただ中で、なんだか申し訳ない。

私の脳内でドヴォルザークはブラームス、バッハに次ぐ三番目の位置にいるのだが、現在シューベルトさんの猛追にあっているところ。たまにはドヴォルザークさんに思いをはせるのも悪くない。

2021年9月 7日 (火)

Bach好き

今時「Bach好き」などというタイトルは誤解を招きかねないが今しばらくご辛抱いただいてまずは、以下のリストをご覧いただきたい。

  1. 小川のほとりの若者 D30
  2. 小川のほとりの若者 D192
  3. 春の小川 D361
  4. 小川のほとりのダフネ D411
  5. 小川への感謝 D795-4
  6. 水車小屋と小川 D795-19
  7. 小川の子守歌 D795-20

これらはタイトルに「小川」が出て来る。オリジナルでは「Bach」となっている。そもそも三大歌曲集の1番目「美しき水車小屋の娘」は小川抜きには語れまい。タイトルに小川が現れないにしても小川の存在が前提である。名高い「ます」D550には「Bach」の愛称形「Bachelein」が出て来るほか、頻発する「漁師」(Fischer)関連の作品のいくつかにも「Bach」が出て来る。護岸工事の施されていないのどかな清流のイメージだ。

なぜこんなことを申すかと言えば、ブラームスにはタイトルに「Bach」を含む作品は無い。だからシューベルトの「Bach」好きが際立つ。

 

2021年9月 6日 (月)

作品目録

大作曲家の作品が冊子にまとめられていることがある。作曲家によっては結構な厚みになることもある。

ブラームスは先輩作曲家の作品目録をいくつか所有していた。ケッヘル番号で名高いケッヘル博士のモーツアルト作品目録、ベートーヴェンとシューベルトについては冒頭譜例付きだったらしい。他にはハイドンもあったという。スカルラッティのソナタに至っては、自ら譜例付きの作品目録を作成していた。オリジナルの作品目録だ。さすがにバッハは持っていなかったようだ。

しれっとシューベルトが入っているが、ドイチュ番号の成立はブラームスの没後なので別系統か。シューベルト協会の発起人だけあって未刊のリストを入手していたかもと思う一方、自作も十分あるなと感じる。

一つだけ自慢がある。ブラームスが持っていなくて私が持っている作品目録が一つだけある。それはブラームス自身の作品目録だ。我が家にはマッコークルがある。エッヘン。

2021年9月 5日 (日)

オットー・エーリヒ・ドイチュ

シューベルトの主題付作品目録の制作者として名高いオーストリアの音楽学者Otto Erich Deutschさんは1883年9月5日のお生まれだから今日は誕生日である。1939年に英国に移住し、1951年にシューベルト作品目録を英語版で刊行した。シューベルト作品に付与される「D番号」はこれに由来する。1884年にシューベルト全集の刊行を目的としたシューベルト協会がウィーンで発足していたが、全作品を網羅した作品目録は無かったということだ。作品の個体識別が進んだことで、何をするにも話が早くなることは劇的である。

2021年9月 4日 (土)

20のレントラー

マッコークル「ブラームス作品目録」にはちゃんと載っている。「20のレントラー」のことだ。作品番号はなし。作曲ではなく編曲なのでWoO番号もない。シューベルトの「17のレントラー」D366から第17番を除いた16曲と「4つのレントラー」D814の合わせて20曲である。大変興味深いことに、オリジナルでは独奏用のD366を連弾用に直し、オリジナルで連弾用のD814を独奏用に変えたようだ。ほぼ16小節の小品ばかり。ときどき20、24、32小節のものが混じる。詳しくはこちら

シューベルトラヴの結晶に見えて仕方がない。歌曲は王子と認定している。「裏ワルツ王」「連弾王」でも王子認定がしたくなる。

2021年9月 3日 (金)

連弾王

シューベルトを「裏ワルツ王 裏」と認定した勢いで続ける。作品全体を見渡して感じるのはピアノ連弾曲が多い。短い作品が多いが、数が多いのでCD5枚組になるかもしれない。

ブラームスが世に出たきっかけ「ハンガリア舞曲」はピアノ連弾だった。作品39の「ワルツ」もオリジナルは連弾用だ。管弦楽や4重奏以上の室内楽には連弾バージョンが存在するが、シューベルトはもっと多い印象。D番号順にざっと拾っておく。

  1. 幻想曲ト長調 D1
  2. 幻想曲ト短調 D9
  3. 幻想曲ハ短調 D48
  4. 6つのポロネーズ D599
  5. 3つの英雄的行進曲 D602
  6. ロンド ニ長調 D608
  7. ドイツ舞曲と2つのレントラー D618
  8. フランスの歌による8つの変奏曲 D624
  9. 序曲 ト短調 D668
  10. 序曲 ヘ長調 D675
  11. 3つの軍隊行進曲 D733
  12. グランデュオ D812
  13. 自作主題による変奏曲 D813
  14. 4つのレントラー D814
  15. ハンガリー風ディヴェルティスマン D818
  16. 6つの大行進曲 D819
  17. フランス風主題による変奏曲 D823
  18. 6つのポロネーズ D824
  19. 大葬送行進曲 D859
  20. 英雄的大行進曲 D885
  21. 子供の行進曲 D928
  22. ファンタジーヘ短調 D940
  23. アレグロイ短調 D947
  24. ロンドイ長調 D951
  25. アレグロモデラートとアンダンテ D968A
  26. 2つの性格的な行進曲 D968B

すごい量。シューベルトを「連弾王」とひそかに認定する。念のために申し添えると独唱者一人にピアノ連弾の伴奏というケースは一つもない。

 

2021年9月 2日 (木)

歌のあるワルツ

昨日の記事「裏ワルツ王 」で、シューベルトのピアノ作品にワルツが多いと書いた。ドイツ舞曲やレントラーにまで広げるとCD4~5枚かとも想像される。実は600曲近いシューベルトの歌曲の中にもほんのりワルツテイストの作品が散見される。固いこと抜きに拾うとすぐに見つかる。

  1. 幸福 D433
  2. 水の上で歌う D774
  3. リュートに寄す D905

これらはみな8分の6拍子。聞こえがワルツっぽいというだけかもしれぬ。けれども4分の3拍子か8分の6拍子ならなんでもという訳ではない。「糸を紡ぐグレートヒェン」は8分の6拍子だけれどワルツとは感じない。

さて翻ってブラームスだ。ブラームスのリートにワルツテイストは見当たらない。拍子としての4分の3や8分の6はあるけれど味わいがワルツではない。

  1. 永遠の愛について op43-1
  2. 日曜日 op47-3
  3. あの娘のもとへ op48-1

大好きな作品これら皆4分の3拍子だがワルツではない。シューベルトに特有の現象「歌のあるワルツ」かもしれぬ。

2021年9月 1日 (水)

裏ワルツ王

断わりなく「ワルツ王」と言ったら、そりゃあヨハンシュトラウス親子を指す。息子の方が「王子」と呼ばれている形跡はない。どっちも王様なのだろう。王と言われるからには根拠はあるはずだが、ここで「王の定義」はなんぞやと野暮は言わないことと引き換えに妄想を一つ。「歌曲の王」として音楽界に君臨するシューベルトを「裏ワルツ王」と認定したい。

残された作品にワルツが多い。ワルツはなんといってもウイーンの名物で、舞踏会の呼び物だ。男女密着の形が受けに受けて、たびたびの取り締まり沙汰にもなりながら、大流行した。元々は素朴な3拍子の舞曲で古来ドイツ舞曲やレントラーだったものがやがて洗練され、時に管弦楽化されていったという。同時にテンポが上がる。その方が躍る男女の密着度が高まるからだというのがジョークに聞こえない。

ウイーン風に華麗になる前の「ドイツ舞曲」「レントラー」「ワルツ」をピアノ用に大量に作曲したのがシューベルトだ。1曲は短いがなんせ量が多いのでCDにしたら5枚組だ。連弾用まで入れたらもっとである。数だけならシュトラウス親子にも負けない。在宅のつれづれに流しっぱなしも悪くない。

ブラームスのop39「16のワルツ」はシューベルトへのオマージュに他なるまい。

 

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