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オリジナルは「Der Kreuzzug」D902という。「十字軍」は世界史の教科書では必須のあの話。11世紀末からかれこれ300年続いた聖地パレスチナ奪還運動ともっぱら位置付けられているから深入りはしない。
カルル・ゴットフリート・ライトナーによるテキストは出征する兵士たちを眺める僧侶のモノローグになっている。この世の旅つまり人生もまた聖地を求める旅路であると。冒頭いきなり「Ein Munich」(uはウムラウト)が現れてぎょっとする。ミュンヘンかと。これが名詞で僧侶の意味。都市のミュンヘンの語源にも関わるなどと言っていたが、どうしてどうして只者ではない。
シューベルトはここで「惚れ込み4原則 」を用いた。起伏の少ないダイナミクスとシンプルな伴奏がストイックなレガートの歌とマッチして美しい。
シューベルトの歌曲にどっぷりとはまっているうちに、私自身の好みに一定の法則があると気づいた。シューベルトの歌曲の一部がこのパターンだ。
「遅い長調の4分の4拍子でレガートな曲想」ということを箇条書きにすると上記になる。これを「惚れ込み4原則」と名付けた。そういえばブラームスにだってこのパターンがあった。4分の4には一部2分の2も含む。
ベスト24に8曲も入っていた。
明日からしばらくシューベルトの本パターンを考察する。
D621を背負うシューベルトの作品。ブラームス愛好家としては「ドイツレクイエム」などと言われるとワクワクする。
ところがCDがなかなか見つからない。D872の「ドイツミサ」は割と見かけるけれど、こちらはさっぱりだ。
独唱4名に合唱、オーケストラにオルガンまで加わる規模なのに、ネットでも書物でもなかなか言及されない。
我が家のネット環境のお話。ブログ「ブラームスの辞書」の管理業務は我が家のパソコンで執り行っている。自宅のネット環境はケーブルテレビとセットで契約していて従来は通信容量が40MBだったが、3日前に1Gに拡大した。通信の上り下りで違いもあるけれど、名目だけなら25倍となる。工事費無料のキャンペーンに釣られてとうとう実現した。月々2000円の出費増で、年間換算だと24000円となる。再雇用の身の程にずしりとのしかかるのだが、効果のほどは劇的だ。
ブログ記事更新にあたって保存ボタンを押すごとに円盤が現れ「どっこいしょ」とばかりに待たされていたが、この現象がほぼ解消した。「ああ、通信速度ってこのことね」と実感した。保存ボタンを押すほか、データの読み込みのたびに待たされていたから、時間の節約とストレス減の効果は大きい。
長女がアイフォンを5Gに更新した。まさか我が家の5倍かと驚いたが、これは「ファイブジー」でまた別の話だと笑われた。
記事「酒宴好き 」を書きながら見つけた。オリジナルは「Bundeslied」D258という。カタカナにしてみるがいい。「ブンデスリート」だ。サッカーのドイツ国内リーグ「ブンデスリーガ」と似ている。「Bundes」には「連邦」の意味もある。テキストはゲーテだ。同じテキストにベートーヴェンも曲を付けているが、とりわけライヒャルト作曲について、ゲーテがコメントしている。「この曲は愉快な仲間が宴会にあつまるたびに喜ばしく歌われてきた」と。学生が集まりで歌った。つまり学生歌だ。
シューベルトは1815年8月19日、友人の結婚式のためにゲーテのこのテキストに曲を付けたという。集う若者を鼓舞する4拍子の明るい佳作。
先に紹介したシューベルト世俗合唱曲全集の7巻が面白いと述べた。酒宴系の作品が頻発するとはしゃいだ。ところが第2巻の「愛」に「酒と恋」なる作品があった。オリジナルは「Wein und Liebe」D901という。テノール2部バス2部の男声合唱でピアノ伴奏無しという編成でテキストはハウク。先般話題にした酒宴系は「Trinklied」が主役だったがこちらにはそのものずばりの「Wein」がタイトルに踊る。
恋の喜びを表現するツールにワインが選ばれている感じがする。
ハツラツとした長調で、何かに似ていると思ったら「線路は続くよ」だった。
酒宴系歌曲を物色しているとすぐに気づく。合唱曲にも同じノリが多い。CDショップをうろついていて興味深いCDを見つけた。
シューベルト世俗合唱曲全集だ。7枚組には下記の通りのタイトルがついている。
3巻の「永遠」と6番の「祝祭」には、どう見ても宗教的な作品がはいっているなど突っ込みどころはあるけれど、7巻がズバリ酒宴系になっている。どれもピアノ伴奏付の合唱曲だがこの7巻が一番楽しめる。
酒宴系作品を収録順に列挙する。
いやもう独唱よりは層が厚い。酒宴だから列席者で唱和するのが美しいということか。大好きなヘルティが2曲もある。昨日紹介した独唱歌曲とのテキストの重複はD183のケルナーだけ。独唱も合唱も同じD183を背負っている。D356は未完でピアノパートをチェルニーが補っているという。とにかく突っ込みどころ満載で飽きない。
そしてそしてブックレットにはオリジナルのテキストが全文掲載されている。見ての通りジャケットはビールがモチーフになっているから、もしやと思ったが、テキストにビールは全く出ない。全てワインだ。ジャケットのオクトーバーフェスト然とした絵は紛らわしい。楽しいから許すけど。
シューベルトは仲間との語らいのために、多くはアルコール入りの集まりのためにふさわしいテキストを選んでしきりに曲を付けていたと解したい。それは独唱歌曲よりむしろ合唱曲に重心がある。独唱というテーマからは千鳥足気味の逸脱だ。
酒宴好きは洋の東西を問わない。万葉集にも飲酒や宴会礼賛の歌を見かけるが、シューベルトの独唱歌曲にもざっとタイトルに現れるだけで以下の通り存在する。
最初のD183は1815年の作曲だからシューベルトは18歳だがひるむ様子もない。まずは上記8番。この中では異質。タイトルに「酒宴」があるけれど、短調はこの曲だけだし、演奏時間も3分を越えている。どこか物語調だ。それ以外はみなイケイケの長調で、すかっと短い。「それでは皆様お手許の杯をもってご起立ください」とやったあとにあいさつ代わりに歌われる感じ。どれも2分以内。乾杯前の長い挨拶は得てして嫌われる。5番は「結婚の歌」ではあるのだが、聴いた感じは婚礼の酒宴みたいなイメージなので入れておいた。飲まれているお酒はどうもワイン優勢な感じがする。
問題は、ブラームスの歌曲にはこの手の宴会礼賛の作品は無いことだ。ブラームス自身はお酒好き、宴会好きであったと複数の証言があるけれど、そういうテキストに曲を付けていないということだ。
「タルタルスの群れ」D583のブラームスによる管弦楽版のCDに出会えないと書いた。CDショップを物色中に貴重な代替品を発見した。
レーガー編曲のシューベルト歌曲集だ。収載は下記。
レーガーさまさまだ。上記のうち「メムノン」「夕映えの中で」「老人の歌」「タルタルスの群れ」の4曲はブラームスも編曲している。「メムノン」以外はCDが無いのでとても貴重だ。
この二人似てはいまいか。
「タルタルスの群れ」D583のテキストはシラーだ。ギリシャ主義の反映と言われている。「冥府における人間の苦悩」がテーマ。つまり重苦しい。予備知識のない日本人には敷居が高いと諦めてもいた。劇的な流れに忠実なピアノ伴奏で、オーケストラで演奏したくなるのも理解できる。ブラームスはこれを管弦楽伴奏に編曲した際、以下の通りの編成を採用した。
これは第一交響曲の編成とそっくりだ。第一交響曲ではホルンが4になるだけの違いである。コントラファゴットは第一交響曲にしか現れない。
同編曲は1871年のこと。これは長い長い第一交響曲の作曲期間に含まれる。影響の有無は安易に論じることはできないがタイミングの辻褄だけはあっている。
なかなかCDに巡り会えない。
シューベルト大好きのブラームスは歌曲の管弦楽伴奏付与にいそしんだ。断りなく「管弦楽伴奏」と言うと華麗なオーケストレーションを施したかと誤解されかねない。ブラームスの手による管弦楽伴奏についてその編成を整理しておく。
以上だ。これらを「管弦楽伴奏」というタグで一くくりにするのは心許ない気がしている。
最大の編成は上記3の「タルタルスの群れ」だ。シューベルトのオリジナルのピアノ伴奏も色とりどりだから、管弦楽への転写で華麗になるのは理解出来る。けれどもそれでもベルリオーズあたりと比べるとおとなしい印象だ。ほぼ第一交響曲と同じ編成である。これを標準としておさえておく。
上記1「馭者クロノス」と上記3「メムノン」および上記7「夜の曲」は標準の編成から少々の控除がある程度。金管楽器と打楽器が抜ける感じ。「夜の曲」のハープは珍しい。
しかし上記4~6はかなり個性的。
ホルン1とコントラバスを除く弦楽器の「秘め事」、「老人の歌」では打楽器に加えオーボエ、ホルン、トランペットが脱落している他、ヴァイオリンもいない。ドイツレクイエムの第一曲で起きている編成に近い。
「エレンの歌2」はホルン4にファゴット3だけ。管弦楽版と呼ぶのもはばかられる。
オットーエーリヒドイチュ先生の功績はもはや語り尽くされている。ブラームスとの関係で言えば、とても大切なことがある。ブラームスは友人で大歌手のユリウス・シュトックハウゼンのために、シューベルト歌曲を管弦楽に編曲している。下記の通りだ。
上記の内6番と7番はマッコークルの「ブラームス作品目録」に記載がないけれど、フィッシャーデュースカウ先生の「シューベルトの歌曲をたどって」の458ページに書いてある。
さて問題は、シュトックハウゼンはこれらの未出版の楽譜を携えて英国に渡り、そこで紛失(はあっ!!!)したとされている。3番「タルタルスの群れ」だけはシュトックハウゼンがレパートリーにしていなかったため携帯されずに難を逃れたという。ドイチュ先生は1936年英国ウインザー宮の図書館でこれらのうち、「馭者クロノス」「「秘め事」「メムノン」を発見して難を逃れていた「タルタルスの群れ」と合わせて出版した。フィッシャーデュースカウ先生の著書では「メムノン」のところが「ミニヨン」と記載されているがこれでは辻褄が合わない。おそらくは「メムノン」の誤記。
5番の「老人の歌」はマッコークルに載っているのでドイチュ先生ではないルートで再発見されている模様。6番「夕映えの中で」7番「孤独な男」はまだ発見されていないということだ。
紛失とは人騒がせなシュトックハウゼン先生とそれをまんまと発見するドイチュ先生。
私がレーゼル先生のサロンに夢中になった翌日、ドイツ代表は2022年のワールドカップカタール大会への出場を決めた。出場決定は世界で2番目だ。1番は開催国なので、予選組としては最初。
さすがにレーゼル先生の記事を優先したが、ドイツ好きとしては必須の記事。シューベルト特集にさえ割り込むべきという価値観だ。メルケルさんもお喜びだ。
レーゼル先生のピアノサロンの続き。90分の中、話がブラームスに及んだ瞬間が1度あった。
モスクワ音楽院での修行からドイツに戻った当時、先生はロシア物の弾き手と思われていた。そんな中、共産圏特有の国策レコード会社ドイツシャルプラッテンからドイツ物のオファーが来たという。これまた国策でドイツ作曲家の作品を片っ端から録音するというプロジェクトを進めるためにレーゼル先生に白羽の矢が立ったということだ。そこそこ弾けて若いということが決め手だったとご本人が謙遜気味におっしゃっていた。
そうしたプロジェクトの中にブラームスがあって、それらは一部LPもあったがCDとして80年代には日本にも輸入されていた。共産圏の国策としての外貨獲得の側面もあったに違いない。
19歳でブラームスに目覚め、片っ端からブラームス作品を聴くためにCDを物色ていた私の目に留まるのも当然だ。何しろ当時ブラームスのピアノ作品全てがCDで入手可能なピアニストはまれだった。当然私はレーゼル盤を取り揃えたが、先生20代のその録音は長く私のスタンダードとなった。思うに「最高のブラームス弾き」であると。
今回のサロンコンサートはそのレーゼル先生を生で見ることが出来る機会となった。最後の来日ともいわれていてつくづく貴重だ。ブラームスは先生の広大なレパートリーの一角に過ぎないこともわかった。
あの夜のモーツアルトのソナタをきっと一生忘れない。言葉にしたら壊れてしまう思い出としてそっととっておく。
泣きたい。最後だなんておっしゃらないでくれ。
10月11日に都内紀尾井ホールに行ってきた。ペーター・レーゼル先生のトークショウを聞くためだ。通訳を交えての90分。緊急事態宣言明け間も無いこのタイミングで一生の思い出のためにと予約しておいた。
進行役と通訳を兼ねた松本和子先生とレーゼル先生が2人ステージに並んで座る。後ろにはスタインウエイが鎮座する。ラフな服装の上にマスクをかけておられるせいかグッと身近に感じられる。つい最近の地震の話、昨今のコロナの話に始まって、次第に音楽の話題に移ってゆく。あらかじめ列席者から寄せられた質問を交えながら滑らかに話題が展開する。
先生の経歴にモスクワ音楽院での研鑽があり、共産圏特有の事情も色濃く反映するエピソード満載だった。謙虚で冷静な印象は片時も崩れなかった。賞賛を強調し批判は超遠回しに最小限という感じ。一番印象に残ったのは、最近のピアニスト評だ。「テクニック的にはみな申し分ない」とおっしゃる一方で、昨今の録音ソースの過剰さが気になると。名演の録音ばかりを聞いてそれが上手に転写されただけのコピーが氾濫すると嘆いておられた。演奏に際しては楽譜から読み取ることが第一で、録音を聞いてばかりではその録音のコピーが仕上がるだけになる。作曲家の思いを正確に読み取ることが大切と。
実演はラフマニノフの楽興の時から1曲と、最後にモーツアルトのイ長調のソナタ。結局全楽章聞かせてもらえた。第一楽章の変奏曲が始まった時震えた。慣れ親しんだ「トルコ行進曲付」だというのに、そりゃあもう凄い。言葉になんかならない。
言葉にしないとブログにならないのだが、どうにも言葉は無力。どうにもならん。
90分がアッという間。二人が舞台袖に立ち去りそうになった時、レーゼル先生が何か言いた気に立ち止まる。「本日のこの貴重な時間は通訳の素晴らしい進行のおかげです」と。照れくさそうに通訳する松本先生に拍手を向けさせるという振る舞い。そう、こうした人柄通りのモーツアルトだった。
歌曲集「冬の旅」が幾分観念的であると書いたが、「さすらい人」はまた趣が違う。オリジナルは「Wanderer」という。シューベルト歌曲のリストには以下の通り「さすらい人」が現れる。
この他、歌曲集「美しき水車小屋の娘」の第1曲は「さすらい」になっている。D493は名高いピアノ曲に引用されている。
注目すべきはゲーテで、上記1と4同タイトルながら別テキストである。ゲーテは自分を「さすらい人」と称していたらしい。自らの芸術の原点、心ありようとしての「旅」と捉えるなら、西行や芭蕉に通ずるものがありはせぬか。和歌に通ずる観念の旅にふさわしい。
ブラームスはただ一度「さすらい人」op106-5がある。テキストはラインホルト。「冬の旅」然とした鬱屈なヘ短調だ。
新型コロナウイルスの感染拡大前は、旅行は庶民のレジャーの筆頭格であった。 盆暮れの帰省まで含めれば経験したことがない人はむしろ少数派だろう。シューベルト三大歌曲集の2番目「冬の旅」は、そうした旅とは全く違う。誰かが冬に旅をする訳ではない。
もっともっとずっと観念的なもの。おおよそ以下の枠組みだ。
三大歌曲集1番目「美しき水車小屋の娘」は、ドイツで一般的な徒弟制度に伴う修行の旅でもあったし、歌曲集全体でストーリーが暗示されもしたが、「冬の旅」ではそうもいかない。農耕は基本的に定住が根底にある。放浪はその反対側の現象だ。定住が当たり前の中、なんらかの事情があるということだ。庶民の側にはそうした事情への同情、哀れみに加え、かすかな憧れも紛れていそうだ。そうした心情を盛り込んだ詩が数多く作られ、それが一定の評価を受けていた。現実の旅の記述である紀行文とは別次元の話だ。
日本の古典和歌における部立としての「旅」もまた「観念の旅」だ。古来確立済の「歌枕」という観念上の名所を現地に行かずに歌にする。屏風絵を見ながらということも含まれるが、現地には行っていない。とかく写実が好まれる現代短歌ではもっての他な現象だが、臆する気配もない。多くの歌人たちは京都から一歩も出たこともないまま観念上で旅をしていたということだ。今風に申せば「リモートの旅」だ。西行は例外である。
シューベルトに戻る。「冬の旅」はとっつきにくい。古来名作の誉れが高いから感動しないのはこちらの耳のせいかもと悩ましいが、先に述べたような裏の事情を察しながら聴かねばならない。「歌枕」がある分古典和歌のほうがまだイメージしやすい。
「シューベルトの子守歌」D498のテキストは作者不明とされている。一方「ブラームスの子守歌」は「子供の不思議な角笛」からとられているが、個人名にはなっていない。出典が判っているということだ。シューベルトは個人名も出典もわからぬということなのだろう。ブラームスの歌曲についてはテキストの供給者あるいは出典が全て明らかなのとは対照的だ。
一部にはクラウディウスという説もあるらしいがシューベルトの同時代を含む後世の研究家や愛好家が探しても見つからないということだ。
和歌の世界にも「詠み人知らず」という作品がある。本当に不明な場合ばかりではなくて、もろもろの事情で明記できないというケースも含まれている。
悪乗りついでに妄想する。
研究家や愛好家が古来よってたかって見つけられないということは、もしかして作詞者はシューベルト本人などということはあるまいな。
ブラームスの子守歌には譲るもののシューベルトさんの子守歌も素晴らしい。D867にも子守歌があるけれど断わりなく「シューベルトの子守歌」と言ったらD498の方だ。フィッシャーディースカウ先生はグラムフォンの全集収録においてこの曲を控除しておられる。おそらく女性によって歌われるべきというお考えだろう。その一方で「ブラームスの子守歌」は録音されているので何か違いを実感されていたのかとも思う。
そりゃあもう端正な造り。2小節単位でAーA-B-Aという王道の枠組み。こんなもん19歳で作曲するとは藤井聡太三冠もびっくりだ。思いつく奴にはかなわない感じ。
とりわけ、上記の枠組みで言うとBの部分の末尾でA音に付与される臨時記号のシャープは魔法だ。フィッシャーディースカウ先生のご著書にあやかって譜例を出来るだけ使わぬようにしてきたが、本日ばかりはこらえきらない。
赤枠を施した音だ。A音からD音に沈みこむメロディーラインと入れ替わるようにスルリと浮上するかのようだ。次小節のA部分冒頭に存在する「H音」を強くツヨーク求める音。仮にこの変異がなくて「D-Fis-A」のままだったとしても属和音だから、次小節冒頭のト長調に回帰するには十分なのだが、変化されてみると必然度が断然上がる。和声学的に何という効果なのか知らんが、そんな後付けの理屈はかえって邪魔かもしれない。
世の中、はたして子守歌はいくつくらいあるのだろう。何気なく使ってはいるが「子守歌」の定義は相当厄介だ。「おかあさんがあかちゃんを寝かしつけるために歌う歌」でいいのだろうか?
固いことは抜きにして、世界最高の子守歌の座をブラームスと争っているのがシューベルトさんだと真面目に思う。
成立はおよそ50年差。ブラームスはシューベルトの子守歌を知っていた。張り合う意識があったかは不明だが、恐らくその辺には無頓着。ハンブルク時代の友人ベルタファーバーの出産祝いとして作曲された。最も有名なブラームスの歌曲に違いあるまい。オルゴールにもなっているから歌抜きでも親しまれている。
私はブラームスに1票。
昨日の記事「ノルマンの歌 」で、カテゴリー「309シューベルト」に属する記事が100に到達した。本年5月に始まった歌曲特集以前に公開された記事との合算で大台に乗った。6月末以降事実上のシューベルト特集だったのでいつかはと思っていたが感慨深い。ブラームス先生もお喜びのはずだ。
一連の勅撰和歌集では見かけないものの万葉集ではメジャーなのが防人の歌だ。九州の国境警備のために東国から駆り出される兵士のこととひとまず定義しておく。彼らが残した歌が防人の歌だ。見送る家族の歌も含まれる。そりゃ新古今の洗練に比べるのは酷というもの。
シューベルトの「ノルマンの歌」D846がノリとしてこれに近い。
新妻を残して戦場に赴いた若いノルマン兵の独白だ。勇壮な決意、妻への思い、明日の不安、などが次々と吐露される。全体を貫いて打ち鳴らされるタッカタッカという進軍のリズムは、調とダイナミクスの出し入れで微妙にニュアンスを変える。後半しきりに現れる「Maria」という呼びかけは新妻へのよびかけとも聖母への呼びかけとも響く。
やがて長調に転じて望郷の思いとなって全体として骨太のストーリーが浮かび上がる。この系統の歌はブラームスにはない。なんだか心が震える。ピアノ五重奏のスケルツォの遠い遠い祖先かと。
作品一覧表であれば致し方ない面もある。「49のドイツ民謡集」WoO33は、独唱歌曲とは区別されている。歌手一人とピアニスト一人のアンサンブルでありながら位置づけも扱いも厳然と区別されている。
ブラームスは民謡を採譜し、伴奏と和声を付与したという位置づけだから作品番号が奉られていない。にもかかわらず、この歌集にはジムロック社から15000マルクが支払われている。それでもブラームス創作の歌曲の単価よりは低く抑えられている。
歌曲とともに民謡にも親しんできた経験から申し上げると、およそ歌手一人ピアニスト一人のアンサンブルとして味わう場合、民謡と歌曲の区別に意味はないように思える。旋律がブラームス本人の創作でない点に目をつむれば、可憐な和声や小粋な伴奏を付与したブラームスの功績は小さくない。これを民謡だからと言って身構えて考えるのは、鑑賞の邪魔でしかない。
一部の歌手たちもその点心得ていると見えて、自らのCDでは独唱歌曲群の中にさりげなく民謡を取り入れている。何の先入観も無く聴いたらどれが民謡かをあてるのは難しいと思われる。歌曲で全集を録音し、民謡でもまた全集を出してしまう御大ディースカウは別格として、歌曲民謡を問わず気に入った作品を、興の向くままに取りそろえたCDというのも味わい深いものがある。
昨日の記事で紹介した小山由美先生のコンサート でも全16曲の冒頭4曲が民謡だったが、まったく違和感なくなじんでいた。冒頭「その谷の下で」が始まった瞬間の鳥肌の説明が難しい。
民謡と歌曲の区別は単なる整理の都合に過ぎないと、最近心から思う。
一昨日都内白寿ホールに出かけた。演奏会のタイトルが「ブラームスその愛と死」だった。メゾソプラノ小山由美先生、伴奏が佐藤正浩先生。もうずっと前、ブログ上の歌曲特集が始まった頃にチケットを予約して楽しみに待っていた。ちょうど台風一過に緊急事態宣言の解除も重なるという奇遇にも恵まれた。プログラムは下記。
伴奏の佐藤先生が進行役も兼ねている。声を張り上げるでもなく、淡々と適度なユーモアも織り交ぜて知らず知らずに聴衆を引き込んでゆく。4曲、5曲、3曲の塊に意図を持たせ、その間を素晴らしいトークが繋ぐ。ブラームスがオペラを書かなかったのは「低い側の声が好みだったから」という興味深い仮説も披露された。全く同感 だ。お人柄まで想像されるトークなのだが、やがてそれがピアノ伴奏にも色濃く反映していると思い知る。
さて小山先生。プログラムの進行は佐藤先生に任せ演奏に集中するが、ステージ奥壁面に投影されるテキストの日本語訳がご自身の執筆だということで理解を助けてくれる。深々という表現がまさにあてはまる歌声。とことん練り上げられた「愛と死」というテーマにふさわしい選曲なのだが、それもこの声があってこそだ。上記12番の後に休憩が来る。休憩明けには「4つの厳粛な歌」しかない。ステージの照明は抑えられ、小山先生は黒のドレスに着替えていた。この時点でもう我々は演奏者の掌中にいる。全てが意図されていてなおかつ、演奏者二人の間に完全な合意ある。でなければ絶対にできない演奏だった。台風一過、緊急事態宣言明けとのタイミングの一致は神様まで、この合意に加わっていることの証明に違いない。
「4つの厳粛な歌」の後、ようやく小山先生が聴衆に語りかけた。「コロナ禍のこんな中、お運びいただきありがとうございます」という切り出し。本当はお一人お一人の手を取ってお礼したいけれでもそうもいかないので、最後に「子守歌」を歌ってお別れしますと。
名高いブラームスの子守歌が披露された。「愛と死」と銘打ったコンサート。「死」と真正面から向き合った「4つの厳粛な歌」の後、「子守歌」を聴いて「愛と死」とは、実は「生」のことだと実感した。
凄いコンサート。
歌曲集「冬の旅」D911の5番目。同曲集中最高の一品。ホ長調4分の3拍子の奇跡。オリジナルは「Der Lindenbaum」という。
夏の歌が手薄だと申したばかりだ。タイトルに入った季節名に限ればその通りだが、菩提樹の花は季語としては夏だ。日本人たる者、直接の季節名は無くても特定の言葉が自動的に季節と結び付くものだ。歌曲としての「菩提樹」には花としての描写はないが、木陰となればやはり夏かと。それが歌曲集「冬の旅」の中に存在するとなると一筋縄では行かない。
葉ずれの音、そよかぜ、物思いをほのめかす短調へのゆらぎ。もやが晴れるように微妙な長調への復帰。夏っぽくはあるけれど保留。
ありがちで申し訳ないがやはりと発信しておく。
シューベルト歌曲で四季を作ってみた。
なかなか面白かった。春は数が多くて大変そうに見えて実はヘルティ一択だった。夏は日本の和歌同様手薄で、選択の余地なく本作に決定。秋は断然これ。歌曲集「冬の旅」には意外にも「冬」がタイトルに入っている作品が無くて圏外。ヘルティの「冬の歌」D401もあるにはあるがやはり定番ということでライトナー。
同じことをブラームスでやろうと思うと「冬」が空白になっていて完成しない。
歌曲集「美しき水車小屋の娘」D795の10番目。オリジナルでは「Tranenregen」という。ウムラウトを赤くしておいた。同曲集最高のお気に入りだ。イ長調8分の6拍子のゆったりとした有節歌曲。途中短調にくるりとすりかわるのは常套手段とは言え毎度感動させられる。
意外なことに、シューベルト全歌曲の中でタイトルに「regen」(雨)が入っているのはこの歌だけだ。ブラームスはヴィオリンソナタに転用されて名高い「Regenlied」op59-4や、「Abendregen」op70-4があるけれど、総数で3倍あるシューベルトに1曲とは意外な感じがする。昨日話題にした「雷雨の後 」D561はオリジナルが「Nach einem Gewitter」で「regen」が入っていないけれどこれも雨認定した方がよさそうだ。
我が国の和歌の世界では「雨」は主役級だ。「五月雨」「村雨」「春雨」など雨が事細かにイメージ分けされている。
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