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2021年11月30日 (火)

合唱と重唱

先般話題にした「シューベルト世俗合唱曲全集」7枚組と昨日の「男声パートソング全集 」5枚組の収録作品を比べてみる。CDの総数で2枚の差があるから収録曲数の差は当然だ。パートソング全集の側の収録曲はほぼ世俗合唱曲全集と重なる。世俗合唱曲全集側の収録作品のうち、世俗とはいいながらテキストの内容が宗教作品っぽい曲や、参加パートにソプラノやアルトを含む作品が、パートソング全集から脱落している。

つまり、男声合唱で歌える作品は男声重唱でも歌えるいうことだ。

作曲家が合唱作品として残しても声楽アンサンブルとして歌われるし、その逆もある。そのあたり演奏家に任されている気がする。これらの全集を両方所有することで、同じ作品を合唱と重唱で楽しめるということだ。

 

2021年11月29日 (月)

Singphonik Schubert

ト短調ドイツレクイエムのCDを探してうろついていて発見した。「男声パートソング全集」とでもいうべき5枚組。演奏はSingphonikerという男子6名の声楽アンサンブル。彼らがドイツ民謡を録音したCDを持っていた。これがお気に入りだったことも手伝ってト短調ドイツエクイエムが入っていないにも関わらず我慢できずに購入。

20211017_090114

いやもうたまらん。全部再生すると6時間くらいかかるのだが、楽しくて楽しくて。いわば「声の室内楽」だ。先に紹介した合唱のCDと重なる曲もある。合唱よりも響きの輪郭がくっきりとする。

 

2021年11月28日 (日)

未完癖

シューベルトの代名詞と言えばロ短調交響曲だ。通称「未完成」。だからかどうか、作品リストを眺めているとやけに「未完」が目立つ。交響曲に絞っても以下の通りだ。

  1. ニ長調 D2B
  2. ニ長調 D615
  3. ニ長調 D708
  4. ロ短調 D759
  5. ニ長調 D936

という具合。ピアノソナタになると下記。

  1. 1番ホ長調 D157
  2. 2番ハ長調 D279
  3. 6番ホ短調 D566
  4. 8番嬰ヘ短調 D571
  5. 10番ハ長調 D613
  6. 11番ヘ短調 D625
  7. 12番嬰ハ短調 D655
  8. ホ短調 D769
  9. 15番ハ長調 D840

弦楽四重奏は番号付に絞って下記の通り。

  1. 2番ハ長調 D32
  2. 5番変ロ長調 D68

交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏はベートーヴェンの創作の三本柱。トライしてはみるものの長続きせずに途中で放置されたとかまことしやかにささやかれている。オペラにも歌曲にもある。こうなると「未完成交響曲」だけを特別視するのはかえって公平ではない。他の作曲家なら破棄していたような楽譜の断片までを後世の研究家とりわけドイチュ先生が律儀に収集整理した結果、未完作品が目立つというような事情ではあるまいか。後世の研究家によって作曲家がどう取り扱われるか熟知していたブラームスが、不完全作品の破棄に万全を尽くしていたのはむしろ例外だ。

 

2021年11月27日 (土)

楽譜恋しや

およそ600あるシューベルトの歌曲の内、我が家に楽譜があるのはほんの一部。三大歌曲集に加えて60曲程度である。比率にして20%でしかない。総数にしてはおよそ半分のブラームスだと全部持っている。

このことは重要。やはり楽譜を参照すると理解が深まる。ブログのネタ発見にもつながる。知名度の高低に関係なく楽譜が全て手許にあって、好き嫌いの判断は自分がする方がいい。

シューベルト全歌曲の楽譜を揃えるとなると、経済的な負担に加えて保管スペースも問題になってしまう。

昨今はネットでどうとでも対処できるとも聞くが、やっぱり紙がないと落ち着かぬ。

2021年11月26日 (金)

Lieblich

いかんいかん。遅ればせとはこのことだ。「野ばら」D257の話をしていなかった。テキストはおなじみのゲーテ。1815年8月19日の作品。「魔王」と同年の作品ながらこちらは可憐だ。ゲーテのこのテキストは超有名で、シューベルトの他、シューマンやブラームスも曲をつけている。

知名度においてウェルナーとトップを争うのがシューベルトだ。

4分の2拍子ト長調。冒頭に「Lieblich」と記されている。「愛らしく」と和訳しては台無しもいいところである。

 

2021年11月25日 (木)

Die Ruh

思うに恋歌最高峰。「Du bist die Ruh」D774のことだ。テキストはリュッケルト。8分の3拍子なので例の「惚れ込み4原則 」の定義からは外れるけれど、雰囲気だけはピタリとはまる。男性の立場から愛する女性のことを描写しているにはしているのだが、なんだか超越している。愛の情熱を題材にしながら、その表現はひたすら内面的。おそらくその原因は「Ruh」というドイツ語だ。もっぱら「やすらぎ」と訳されるが、ニュアンスには相当注意が要る。静溢なアルペジオのイントロだけで、あっという間にシューベルトワールドに引き込まれる。3拍子のうちの2拍目にうっすらとアクセントが来るのでほんのりサラバンド風味。なだらかなメロディラインに終始するが間奏部になると少々の起伏が暗示される。

5節からなるテキストのうち5節目においてのみ、多分Cesdurに触れることで全体がキュッと引き締まる感じ。

2021年11月24日 (水)

帰心矢のごとし

「故郷に向かう軍隊と戦ってはならぬ」という。何故か。強いからだ。故郷はそれほど人を勇気づける。遠くにありて思う故郷に帰れるのだから、当たり前とも言える。ましてやそこに恋人が待っていたらなおさらである。

「Auf der Bruck」D853は、シュルツェのテキスト。3日間滞在したブルックというリゾートから恋人の居る故郷に戻る若者の心躍る描写だ。たった3日の不在からの帰還がこんなにも心ときめくのは、恋心の深さと表裏の関係にあるのだろう。微笑ましくも羨ましい。シューベルトは軽快な蹄の音でテキストの要請に答える。かくして「ノルマンの歌」とともに騎行系リートの双璧を形成する。遠く離れて故郷の恋人に思いをはせるだけの「ノルマンの歌」は短調なのに対し、こちらは恋人の許に戻る旅路とあってか長調だ。

ブラームスにはこの手の騎行系リートはない。

 

2021年11月23日 (火)

朝のあいさつ

歌曲集「美しき水車小屋の娘」D795の第8曲。恋の展開という視点から眺めると、見初めて通ってようやく手にした幸せの頂点と映る。この後9曲目、10曲目には不安も忍び寄るから、14曲目の狩人の出現で破綻が決定的となる前の幸福がここにある。朝の日常が本当にいとおしい。朝の何気ない挨拶と見えて「Guten Morgen,schone Muhlerin」には、タイトルがそれとなく刻印されていて印象深い。思うに同曲集の白眉。

2021年11月22日 (月)

アリンデ

オリジナルは「Alinde」D905という。女性の名前である。恋人を待つ不安を男性側から描写したロホリッツのテキスト。不安に駆られて恋人の名を連呼する様子は、ウエストサイドストーリーの「マリア」を想起させる。シューベルトお得意のひねりを効かせた有節歌曲だ。舟歌風の揺れる感じが不安な心情を反映していると感じる。

日本の古典和歌の様式化された枠組みでは待つのはもっぱら女の側。それも耐えて待つのが常道で、相手の名前を連呼するなどあり得ぬが、こちらは委細構わずだ。

4節、全36行の最後で、お目当ての彼女が前触れもなくひょこっと現れて終わる。気弱の男の単なる取り越し苦労だというオチ。

2021年11月21日 (日)

シューベルトのセレナーデ

昨日の記事「独訳シェークスピア 」で、シェークスピアの劇中ではセレナーデとなっているのに、もっぱら冒頭テキストで語られる作品だと書いた。シューベルトにはもっと有名な「セレナーデ」があるというのがその理由に違いあるまい。「シューベルトのセレナーデ」とも言われれるのは、歌曲集「白鳥の歌」の第4曲だ。同曲集最初の7曲はレルシュターブのテキスト。元々はベートーヴェンの遺作にあったのをシントラーが発見し、人手を介してシューベルトに渡ったものという。ベートーヴェンに作曲の意志があったものをシューベルトが受け継いだとまことしやかに語られることも多い。

ニ短調8分の6拍子の超有名曲。他の曲はともかく「セレナーデ」に関してお叱りも覚悟で申し上げるならば、ベートーヴェンが作曲しなくてよかった。それほどに不滅のセレナーデだ。

「セレナーデ」は、お目当ての女性の窓の下で男が求愛する歌。欧州では古来定型化し、おびただしい作品が残る。ウエストサイドストーリーの「バルコニーシーン」もこの系統だ。シューベルトのは史上最高のセレナーデ候補に相違あるまい。

様式化された恋の始まり。となると我が国の古典和歌にもぴたりと該当する。部立「恋」は「春夏秋冬」と並ぶ勅撰和歌集の根幹だ。恋の進行があらかじめ規定され、実際の恋の経験とは別とばかりに割り切って詠まれるもの。求愛してきたのがいかに意中の男でも「あちこちで浮名をききますわよ」と「ひとまず拒絶」あるのみ。逢瀬を遂げても「秋風とともに飽きられ」というプロセス。残された膨大な恋のやり取りを見て、現代人が「なんて恋多き女」などという色眼鏡で見るのは明治以降の「写実第一主義」の弊害と見る。

しばらく恋の歌を続けてみる。

2021年11月20日 (土)

独訳シェークスピア

シェークスピアの「どくやく」とは紛らわしい。「毒薬」は、得てして「媚薬」とならんで話の展開に必須のツールだ。本日はドイツ語訳のことだ。昨日の記事「An Sylvia 」と並んでシェークスピア独訳ネタの代表に「聞け聞けひばり」D889がある。シェークスピアの戯曲「シンベリン」の劇中詩の独訳がテキストになっている。劇中のタイトルは「セレナーデ」なのだが、シューベルト関連本ではしばしば歌い出し部をタイトル代わりに用いている。注意が要るのはシェークスピアの独訳は第1節だけだ。2節3節は別人による追加。

原作「シンベリン」はブリテン王をめぐる「恋」の物語だが、どちらかというと描写の肝は「嫉妬」にある。ところが、一部を抜き出してシューベルトが曲を付けると屈託のないラヴソングになってしまう。8分の6拍子ハ長調。1小節目に現れる「F→H」という増4度の下降がロマンチックな感じ。

2021年11月19日 (金)

An Sylvia

テンペスト 」といえばシェークスピアだ。昨日は私の妄想だったが本日は正真正銘のシェークスピア。

「An Sylvia」D891はシェークスピア初期の喜劇「ヴェローナの二紳士」の一節を独訳したものがテキストになっている。原作は1590年代に成立したと目される。イタリアを舞台に「恋と友情」をはかりにかけて最後はめでたしめでたしで終わる。ニ紳士のうちの1人ヴァレンタインの恋人がシルヴィアである。シューベルトは本作から「シルヴィア礼賛」の部分をテキストに完璧な仕事をする。シルヴィアの容姿やキャラまで思い浮かぶようだ。

イ長調4分の4拍子。「Massig」は言うなれば「モデラート」だから「惚れ込み4原則 」よりはかなり早いうえに、曲想がレガートではない。ピアノ左手の独特の音形が手を変え品を変えて貫かれる。きっと彼女は明るくて聡明だ。

この手の軽妙な、いわばモーツァルト的なリート作品はブラームスには見当たらない気がする。

 

 

2021年11月18日 (木)

歌のあるテンペスト

まったくもって私の勝手な命名だ。「Auf dem Wasser zu singen」D774のこと。「テンペスト」とはもちろんベートーヴェンのピアノソナタ第17番のことだ。同曲の第一楽章冒頭。

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赤枠で囲った部分の8分音符のイメージが、

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これに似ていると思うからだ。片や8分音符、片や16分音符。拍子も違えば調も違うのになぜか似ていると思うからこその命名。スラーでつながった2つの音が、さざ波のように下降を繰り返す枠組みが似ていると言えなくもない程度だ。

「水の上にて歌う」という邦訳の通り、この特色ある音型は、波か流れか水の動きを描写すると見て間違いあるまい。この音型が延々繰り返される中、旋律が載せられる。その旋律中にもさりげなく組み込まれることもまた印象深い。

見ての通り、調号はフラット4個。放置すれば変イ長調かヘ短調なのだが、様子が変だ、そう冒頭小節からいきなり、「C音」にフラットが寄り添う。これにより変イ短調がいきなり安定確保される、変イ短調は律儀に調号を付与したらフラット7個が必要なところ、フラット4個にとどめて、必要に応じた臨時記号でまかなっているけれど、歌が途切れる間奏部分には「C音」へのフラット関与はなくなるから、変イ長調の晴れ間がのぞく。けれど、歌が復帰する1小節前にはまたC音にフラットが奉られて、頑固に変イ短調が志向される。こうした枠組みは最後までかたくなに守られる。

名高い歌曲集「美しき水車小屋の娘」と作曲年代が近い。水の戯れという意味ではこちらの方が数段芸が細かい。水車小屋の主役はあくまでも娘なのに対して、こちらは水が主役だからかと妄想がやまない。

そうそう、フラット4個の曲が冒頭から変イ短調化する歌曲がブラームスにもあった。「エーオルスのハープに寄せて」op19-5だ。

 

 

2021年11月17日 (水)

ヴィルデマンの丘で

オリジナルは「Uber Wildemann」D884という。シュルツェのテキストによる1826年の作品。ハルツ地区の字名をタイトルに頂くテキストは、春の到来を描写しながら、旅人の孤独を対比的に際立たせる。「季節は春なのに我が心は…」というノリ。古くは大伴家持、新しくは中島みゆきにも見られる。シューベルトで申せば「冬の旅ワールド」の投影という説が有力だ。それを象徴する舞台がハルツということだ。

ハルツは東西ドイツの国境の山。ワルプルギスの魔女伝説の舞台。そして私のようなブラームス愛好家にとっては「アルトラプソディ」の舞台だ。同曲はシューマン夫妻の三女ユーリエへの思慕と失恋が投影していると取り沙汰されてきた。

つまり伝統的にハルツの冬はそうした心象表現の舞台でありまたツールであったと解して違和感がない。

問題はこのWildemannを地図上に見つけられていないことだ。

 

2021年11月16日 (火)

臨終を告げる鐘

1826年に作られたザイドルのテキストによる「Das Zugenglockelen」D871の邦訳タイトル。カトリックのしきたりの話なので少々の補足を。臨終の床にある人が教区内に居る場合に鳴らされる小さな鐘のことだという。詩人はこの鐘を聞きながらさまざまに思いを巡らせる。全6節の有節歌曲としたシューベルトだが、テキストの内容によって微細なひねりも聞かせるという常套手段。

当然ながら「死」がテーマなのに淡々としたシンプルな長調。D343の「連祷」と好一対をなす。テンポが少し早いせいか「惚れ込み4原則 」の定義から外れるけれど十分に美しい。

 

2021年11月15日 (月)

墓地の調

フィッシャーディースカウ先生の「シューベルトの歌曲をたどって」という書物は本当に素晴らしいのだが、ときどき何の前触れもなく、すごいことをサラリと断言するから油断できない。本日もその系統の話だ。

「ある兵士に寄せる挽歌」D454の解説の中に現れる。先生のシューベルト全集の収録から漏れているこの作品に対して「一般に墓地を意味するハ短調を採用していること以外大した意味を持っていない」と珍しく無残な表現になっている。ところが前段の「一般に墓地を意味するハ短調」とはこれいかにだ。いやもう初耳だ。運命交響曲などベートーヴェンを象徴する調だとは思っていたが、墓地の調なのか。西洋の音楽において個々の調性が特定のイメージと結び付けられていることは承知していたが、「ハ短調が墓地」だとは自覚がなかった。

根拠には言及がない。もっと知りたい。

ブラームスの「4つの厳粛な歌」の中にハ短調の作品がなくがっかりしたが、op105-4がハ短調だった。「Auf dem Kirchhofe」(墓地にて)というタイトルを見て腰が抜けた。ブラームスは墓地を扱うテキストに曲を付けるとき、ハ短調を採用していた。

私の知らぬ常識や必然がいくつか横たわっていそうだ。

 

2021年11月14日 (日)

我がピアノに

オリジナルは「An mein Klavier」D342という。テキストはシューバルト。「楽に寄す」D547と同系統の音楽讃美かと映る。いっそうマイナーながらどうしてどうして素朴でピュアで飽きがこない。

結果としてはサークル仲間の詩にサクッと曲を付けたらシャキッとして音楽史に残ったというところだが、そうした力みは全く感じられない。

2021年11月13日 (土)

楽に寄す

「An die Musik」D547のテキストはシューベルトの友人のフランツ・フォン・ショーバーの作。 彼は大学入学のためにやてきたウィ-ンでシューベルトと親交を結ぶ。 生活の困窮ぶりをみて共同生活を始めたばかりか経済的援助も施した。 つまり親友だ。シューベルトは彼の作品12に曲をつけたが、思うに本作が最高傑作だ。1816年だからシューベルト19歳の作品。

屈託のない音楽礼賛のテキストを、平明なニ長調が包み込む。この手のおおらかな芸術讃美の作品はブラームスにはない。

2021年11月12日 (金)

Der Jungling

「Jungling」は「若者」「若人」と訳されていてシューベルト歌曲のタイトルにしばしば登場する。ざっと以下の通りだ。

  1. 小川のほとりの若者 D30 シラー
  2. 小川のほとりの若者 D192 シラー
  3. 泉のほとりの若者 D300 ザリスゼーヴィス
  4. 泉のほとりの若者 D350 ザリシゼーヴィス
  5. 小川のほとりの若者 D638 シラー

シラーのテキストに3度、ザリスゼーヴィスのテキストに2度、曲を付けたということだ。

シラーの3曲のうち最初のD30だけが長調だ。私はこのD30を断固支持する。1812年シューベルト15歳の作曲だが、実に美しい。D192は1815年、D638は1819年でそれぞれ18歳と22歳。最初のが一番よいというありがちなパターンだ。目下この曲がシラー歌曲の私的最高位にいる。

ザリスゼーヴィスの方も1817年の作曲。音源はD300しかない。これも非常に美しい。伴奏の音型がこんこんと湧き出る泉の描写としか聞こえない。

そうそうブラームスの歌曲には「若者」がタイトルに現れない。

 

2021年11月11日 (木)

群盗

ドイツの文豪シラーの戯曲。初期疾風怒濤時代の代表作というより、戯曲第1作だ。1781年の発表当時、若者から熱烈に支持された。

ブラームスの少年時代の話だ。小遣いをほとんど書籍につぎ込んだという。ヒマさえあれば読書ばかりしていた。手当たり次第に本を読むというチョイスに変化が生じるきっかけになったのが「群盗」だという。感動したブラームスは、その後シラーの作品を選んで読むようになったと回想する。

ブラームスが歌曲のテキストにシラーを選んでいないのは意外だ。

 

 

2021年11月10日 (水)

シラー

ドイツの作家・詩人。1759年11月10日のお生まれだから今日は誕生日。ベートーヴェンの第九交響曲フィナーレにテキストを供給した張本人。シューベルトの歌曲にもシラーのテキストが多い。以下にドイチュ番号順に列挙する。

  1. 乙女の嘆き D6
  2. 弔いの幻想 D7
  3. 小川のほとりの若者 D30
  4. あこがれ D52
  5. 永遠に静けく D70
  6. 徳への2つの道 D71
  7. テクラ D73
  8. 水に潜る者 D77
  9. エンマに D113
  10. 異国よりの少女 D117
  11. 期待 D159
  12. 歓喜に D189
  13. 小川のほとりの若者 D192
  14. アマリア D195
  15. 人質 D246
  16. ひめごと D250
  17. 希望 D251
  18. 異国よりの少女 D252
  19. ポンスの歌 D252
  20. 春に D283
  21. 歌 D284
  22. ヘクトルの別れ D312
  23. セレスの嘆き D322
  24. ピアノを弾くラウラ D388
  25. 乙女の嘆き D389
  26. ラウラへの歌 D390
  27. 4つの時代 D391
  28. 騎士トッケンブルク D397
  29. 逃亡者 D402
  30. ラウラへの歓喜 D577
  31. タルタルスの群れ D583
  32. エリージウム D584
  33. アルプスの狩人 D588
  34. 争い D594
  35. テクラ D595
  36. あこがれ D636
  37. 希望 D637
  38. 小川のほとりの若者 D638
  39. ギリシャの神々からD677
  40. ひめごと D793
  41. 巡礼 D794
  42. ディデュランボス D801
  43. ハプスブルク伯爵 D990

以上43曲。これはゲーテに次ぐシューベルトへのテキスト供給ランキング第二位に相当する。

ブラームスは独唱歌曲にシラーのテキストを採用していない。合唱や重唱を入れても3曲だけだ。シューベルトとの比較で言うならシラーに対する姿勢の差は興味深い。

 

 

 

2021年11月 9日 (火)

独唱か合唱か

記事「An die Freude 」でベートーヴェンの第九交響曲フィナーレの合唱テキストになったシラーの「歓喜に寄す」と同じテキストにシューベルトが曲を付けていると話題にした。フィッシャーディースカウ先生の全集に収載されている。D189である。作品番号op111-1だ。

ところが、先ごろ話題にした「シューベルト世俗合唱曲全集 」全集にも同曲が収載されている。これまたD189と書いてある。op111-1まで一致する。編成はテノール独唱と男声合唱となっている。

ウイキペディアには「An die Freude」D189op111-1が独唱側、合唱側双方に記載がある。一つの楽譜が独唱もされ合唱もされるということなのかとも思うけれど、その場合CD収録の演奏時間がネックになる。フィッシャーディースカウ先生は3分19秒なのに対して、合唱版では8分26秒だ。合唱版をきいてみるとテノール独唱と合唱が交互に現れているので、フィッシャーディースカウ先生が合唱部分をカットして歌っているように思う。独唱用合唱用別建ての楽譜が出版されているならドイチュ先生は別番号か枝番を設定したハズだ。

落ち着かない。

 

2021年11月 8日 (月)

An die Freude

シラーのこのテキストを得て、ベートーヴェンは名高い第九交響曲のフィナーレに交響曲史上初めて声楽を盛り込んだ。1786年に発表されている。若者を鼓舞するかのような出来栄えにより多くの支持を得た。ベートーヴェンもその一人にすぎないのだが、第九交響曲はあまりに有名だ。

シューベルトにもあった。D189を背負っている。1815年の作品だ。ベートーヴェンの第九交響曲より9年も早い。

ベートーヴェンは変奏曲テイストなのに対してシューベルトはこれを有節歌曲に仕立てている。

第九に慣れた耳にはとても新鮮だ。

2021年11月 7日 (日)

アデライーデ

マティゾンのテキストにベートーヴェンが曲を付けたのが1795年頃とされていて、出版は1797年。詩人本人に献呈されている。アデライーデは女性の名前で、恋人を自然の美しさの中で讃美する内容だ。欧州の紙価を高めたと見えて、版が重ねられイタリア語やフランス語にも訳されたという。

もしやと思ったが同じテキストにシューベルトが曲を付けていた。D95を背負っていて作曲は1814年のことだ。

中学高校とベートーヴェンにのめりこんでいた頃に聴いた記憶があるけれど、今比較するとシューベルトの方がいい。流れる感じがする。

もはや脳味噌にシューベルト補正がかかっているかもしれない。

2021年11月 6日 (土)

運命動機

ベートーヴェンの第五交響曲冒頭のあれである。「GGGES」だというより「ジャジャジャジャーン」で通じるのではあるまいか。肝は先頭の8分休符だったりする。同曲のいたるところに痕跡をとどめ、これが「主題労作」の典型となり手本と化してゆく証拠に、ベートーヴェン自身の他の作品は元よリ、後世の作曲家の作品にもそれと思しき箇所が散見される。ブラームスにだってある。特定の作曲家のベートーヴェンとの関係を強調したいときに重宝しているようにも見える。

そこでシューベルトだ。「こびと」D771に注目したい。オリジナルは「Der Zwerg」という。マテウス・フォン・コリンのテキストは「魔王」「死と乙女」の系統のバラードと解してよさそうだが、内容はずっと陰惨。

同曲中に運命動機が頻繁に現れる。1823年の作品なので当然運命交響曲よりも後。なんらかのインスピレーションの連携がないとしたらその方が不自然だ。シューベルトの手にかかると陰惨なテキストの内容が濾過される感じ。

2021年11月 5日 (金)

あつもり

今なおブレーク中のゲーム「あつまれ動物の森」。略して「あつもり」だ。昨年夏に娘たちがはまり、私もあっという間に引き込まれて、よいコミュニケーションツールとなっている。「季節の移ろい」「物集め」「着せ替え」「模様替え」の諸要素が楽しくてんこ盛りされていて飽きない。私は「隠岐の島」の村民代表つまり「島守」を務めている。

本日付で大規模なバージョンアップがあるという。これでもうひと盛り上がりだと娘たちは忙しい。

そこで2首。

伊勢武者の敦盛とのみ思ひきや森にぞ集ふ四方のけだもの

人住まぬ島にて一人ながらへば天に任する日々のつれづれ

おそまつ。

2021年11月 4日 (木)

ギネスはいかに

世界記録を収集したギネスブックに「ブログの連続更新」の部門は存在するのだろうか?開設からの日数という定義だと、開設日の古さで決まってしまうので、面白くない。極端な話、開設日が古ければ、そこから今日までアップが1本も無かったとしても成立してしまう。やはりその間の記事更新も要素として定義しないとなじまない。ブログが今管理人によって構われているかどうかが分かれ目だろう。どうせなら「毎日更新」と定義してもらいたいものだ。

ココログのシステムメンテにより、管理画面にアクセスできなかったことが2度だけあるが、そこが酌量されるなら我がブログは本日現在6003日連続記事更新で、本数なら6050本堆積している。「辞書」を名乗るには丁度いい厚みになってきた。

これが世界記録を窺うに望みのある分量なの興味は尽きない。

2021年11月 3日 (水)

ワクチンコンプリート

家族のワクチン接種のしんがりとなる長男が、二度目の接種をして5日経過した。接種部位が重い程度の副作用ですみそうだ。これで我が家全員が2度目を終える。母と長男と私がファイザー、娘ら2人がモデルナだ。長女が2度目接種後に37.2度の発熱を観察したほかは、副作用が出なかった。

「そういう家系だよ」と母の鼻息は荒い。

2021年11月 2日 (火)

連祷

ヨハン・ゲオルク・ヤコビのテキスト。オリジナルは「Litanei 」D343という。訳語の「連祷」は、カトリックにおける万霊節の儀式のことで、司祭と会衆が死者のために交互に祈ることだという。

シューベルトはオリジナル9節から1,3,6節だけに曲を付けた。イントロの単純なアルペジオだけで打ちのめされる。こんなものを19歳で作曲するとは、恐れ入る。

これも「惚れ込み4原則 」の枠内にある。

本日11月2日は万霊節。

 

2021年11月 1日 (月)

ブログ開設6000日

本日は2005年5月30日のブログ創立の日から数えて6000日の記念日。だからこの記事を公開したことをもって連続6000日記事更新となる。

歌曲特集シューベルト分科会に割って入るだけの記念日。以下に1000日毎の区切りの記事をリンクしておく。

  • 2008年02月23日→1000日
  • 2010年11月19日→2000日
  • 2013年08月13日→3000日
  • 2016年05月11日→4000日
  • 2019年02月05日→5000日
  • 2021年11月01日 本日のこの記事
  • 2024年07月28日 7000日到達

我ながら緻密。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2022年8月
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