やっぱり「四つの厳粛な歌」
昨日の記事「王と王子の12番歌合せ 」を考える中、実感したことがある。シューベルトとブラームスの代表的な歌曲作品を12組設定して歌合せとする趣向のことだ。「室内楽の引用元」「子守歌」など「お題」にそって配置していくのは古典和歌伝統の「歌合せ」と同じだ。
ブラームスの「4つの厳粛な歌」は大好きなのだが、シューベルト側に呼応する作品がない。
「4つの厳粛な歌」はクララの死をきっかけに自らの死まで意識する中作られた。晩年の作品の代表と位置付けられる。つくづく「晩年」の定義を考えさせられた。「死の直前」というシンプルな定義でいいのかというこことだ。30代で亡くなったシューベルトと64歳で亡くなったブラームスを同列にとらえていいのか。若くして亡くなった作曲家は自身の死期を悟っていなかった可能性がある。ブラームスだって30代で「ドイツレクイエム」を書いているけれど、自身の死期を悟ってはいるまい。「4つの厳粛な歌」との違いはそこにある。
だからシューベルト側に「4つの厳粛な歌」に呼応させる作品を見つけらるはずはないのだ。シューベルトには、結果としての晩年はあっても、自らの死を意識した作品つまり「晩年の作」はない。あとからマーケティング上の都合でとってつけた「白鳥の歌」をそこに据えるのは、あまりに抵抗が大きい。
シューベルトに何ら落ち度はないけれど。
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