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2022年1月31日 (月)

生誕225年

シューベルトのお生まれは1797年1月31日だから、本日は生誕225年の記念日だ。

事実上のシューベルト特集8か月の中に、お誕生日が入っていないのが心残りなので、本日無理やり記念日として言及する。

2022年1月30日 (日)

通算120万アクセス

一昨日2022年1月28日に、ブログ「ブラームスの辞書」は、2005年5月30日の開設以来の通算アクセスが120万に到達した。開設から6088日目の達成だ。個人経営の弱小ブログも長く続けるとよいことがあるなどと呑気なことを言っている場合ではなかった。このところアクセスが変だった。

  • 1月18日 1115
  • 1月19日  917 
  • 1月26日    668
  • 1月27日  1243
  • 1月28日    955

こんな感じ。普段は一日150前後。たった1日ではなくて5日もとなると異例中の異例だ。120万アクセスに到達するのは桜の頃かと思っていたのが1月中に届いてしまった。1月の最後の2週間でおよそ5000の荒稼ぎである。

2022年1月29日 (土)

トゥルクサ夫人

Celestine Truxsaと綴る。ブラームス最後の10年の大家としてブラームスの面倒を見た。

1887年にブラームスが大家を募集したところ応募が殺到したという。1887年と言えば押しも押されもせぬ楽壇の重鎮となっていたから、それもうなずける。ブラームスは「未亡人」であることを望んだため、別途探した結果、白羽の矢が立ったのがトゥルクサ夫人である。文筆家の未亡人であるからブラームスの希望通りである。ブラームスよりも23歳年下だから、ブラームス54歳、トゥルクサ夫人31歳から10年のお付き合いということになる。ブラームスの最期を看取ったのもこの人だ。ブラームス関連の書物を紐解けば頻繁に登場するが、揉め事があった形跡がない。ブラームスの信頼厚きパートナーといった感じである。

ブラームスの伝記中で一番言及されることが多い女性は、当然クララ・シューマンだが、アガーテやリーズル、そして母と並ぶ第2位グループの有力なメンバーの一人である。

この人が後年、回想録でも書けばそれはそれは貴重な情報の山になったハズだが、実現していない。そんなものを書かないのも見識の一つだろう。ブラームスの信頼はそのあたりに起因していそうである。

1935年つまり昭和10年に没しているから、つい最近の人なのだ。

2022年1月28日 (金)

影のMVP

記事「MOW」で話題にしたウィーン楽友協会のブラームスコレクションの中に、いぶし銀の光を放つ遺品群がある。

ブラームスが作曲の際に使用したスケッチだ。楽想を練り上げて行く際に書き留めたメモという位置づけ。

ブラームスは他の作曲家について、作品の成立過程をうかがい知るためにスケッチを収集してたのは周知の通りだ。出版された楽譜や自筆スコアからでは判らない作曲の過程いわば作曲工房を覗き見ることができるからだ。

ところが、ブラームス自身は自作についての作曲工房を見られることを極端に嫌った。水準に達しない作品は容赦なく破棄したし、スケッチの扱いも一貫していた。現代ならシュレッダーを愛用していたに違いない。ブラームスコレクションに残されたスケッチは、ブラームスがウィーンの自室でゴミ箱に廃棄したものだ。これをゴミとして処理せずに拾い上げ素知らぬ顔で保管した人物がいたのだ。

セレスティーネ・トゥルクサ

ブラームス最後の10年を家政婦として支えた人物だ。ブラームスの信頼は絶大だ。ブラームスの死後長く生きていたのに、ブラームスについては沈黙を貫いた。手記の1つも書けば、まとまったお金になったに違いないのだが、ブラームスの信頼にこたえる方を選んだ。

自分が世話をする人物がただならぬ大物という自覚はあった。音楽に精通していなくても、身近に暮らす中から嗅ぎ取った直感だろう。でなければ彼女がブラームス自室のゴミ箱に打ち捨てられたスケッチを拾い上げるはずがない。おそらく厳密にはブラームスの信頼を裏切る行為だろうが、後世の愛好家研究者にとっては創造主、女神にも見える。シュレッダーがなかったことを心から喜びたい。

きっとブラームスも今頃笑っているだろう。

2022年1月27日 (木)

MOW

「Memory of World」の略。ユネスコ記憶遺産のことだ。歴史的に意義のある文書を、最新のデジタル技術を駆使して保存して行こうという試みで1995年にスタートした。世界遺産に比べると知名度は低いかもしれない。

登録数最多はドイツの13点で、オーストリアが12点でそれに続くのだが、その12点の中に、ウィーン楽友協会が所蔵するブラームスコレクションなる一群があった。2005年に登録されている。

1897年ブラームスが没したとき、その遺産遺品は遺言により、ほぼウィーン楽友協会に寄贈された。1812年の設立以来「音楽に関するあらゆる史料資料を網羅する」ことを基本方針としてきた同協会はこれを拝受し保存に努めた。歴代の資料館長が綿々と受け継いできた伝統だ。館長の中には、フェルディナンド・ポールやオイゼビウス・マンディチェフスキなど、ブラームス本人と親交の深かった人物が見られる。特にマンデュチェフスキーは、ブラームスの子分のような関係であり、その機知とユーモアが愛されていた上に、ブラームス没のとき、資料館長の座にあった。

マンディチェフスキーからすれば、師匠の遺品を収蔵品に加えることに他ならない。ブラームス自身の直筆譜面、ブラームスが収集した他の作曲家の直筆譜が、同コレクションの白眉となっているほか、ブラームスが収集した出版譜や書籍も膨大な量が残されている。ブラームス宛に送られた著名人からの手紙もほぼ無傷でもたらされた。

これだけでも愛好家にとっては垂涎物だが続きがある。この寄贈を機会に、マンディチェフスキーは、さらにブラームス関連の資料を充実させようと決意した。散逸した資料の買戻しはもちろん、生前ブラームスと親交のあった知人友人からゆかりの品物の寄贈を受けた。

単に音楽的な価値であることに留まらず、ブラームスの生きた時代の社会世相を忠実に反映した第一級史料という価値をユネスコによって正式に認められたということだ。まずはブラームス本人の旺盛な好奇心と、それに立脚する収集癖がベースになり、寄贈を受けた楽友協会の収集方針に一貫性客観性が宿っていたことが大きい。

 

 

 

 

2022年1月26日 (水)

アルカディア

ギリシャ語だ。「理想郷」を意味するらしい。田園的な環境が具備されているとき特にアルカディアと呼ぶようだ。

私にとって「アルカディア」にはこの他に忘れ得ぬ想い出がある。ウイーンを訪れた新婚旅行の時の話である。初日半日間を市内主要観光にあてる他は自由行動だった。意外と大変なのがお土産買いだった。効率よく買い求めるために一計を案じた。5日間観光しまくる間はお土産は一切買わないで、ひたすら好適品をメモったのだ。場所と価格をセットである。6日目にそのメモをたよりに買い物をした。観光そっちのけだ。

アルカディアはウイーン国立歌劇場のスーベニアショップの名前だった。音楽仲間への土産は気の利いた小物がいいと決めていたので、ほとんどここで買った。かれこれ4万円くらいになったと思う。この他の場所でも土産を買ったが全部をクレジットカードで支払った。8万かそこらになったと記憶している。今我が家にあるのは、ブラームスのブロンズ仕立ての像だ。実物はマイアルバムの中でも見ることが出来る。

何と言うことかとうとうこのときにウイーンで買った土産の代金は口座から引き落とされていないと亡き妻が言っていた。アルカディアだけでなく全部だ。そのカードはもちろんれっきとしたインターナショナルのカードで、その後日本で使うとしっかり請求されたのだが、ウイーンでの買い物の分はまだ請求が来ないんだと思う。

まさに理想郷である。もっと買っておけばよかった。

2022年1月25日 (火)

ウィーン楽友協会

1871年12月ブラームスは伝統あるウィーン楽友協会の芸術監督に就任した。1875年3月をもって退任するまで精力的にスケジュールをこなしていった。退任は喧嘩別れではないから、ウィーンに居を構えたブラームスとの関係はずっと続いた。ブラームスの葬儀の費用は楽友協会が負担したという。

ここの資料室は圧巻だ。ウィーンと関係の深い作曲家ゆかりの品々がまぶしいばかりである。ブラームスの遺品はほぼその全量が無傷で収められているらしい。そのブラームスと並ぶ目玉がベートーヴェンだ。

それもそのはず1812年に楽友協会が創設されたときの、初代総裁はルドルフ・ヨハネス・ヨーゼフ・ライナー・フォン・エスターライヒという人だが、このような長い名前で呼ぶ人はほとんどいなくて、もっぱら「ルドルフ大公」と呼ばれている。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番変ロ長調に奉られたニックネーム「大公」とはこの人に由来する。ベートーヴェンから6つの作品の献呈を受け、その手稿譜がそっくりそのまま楽友協会に残された。

協会の所有するホールは、ニューイヤーコンサートの会場として日本でも有名だが、小ホールはブラームスザールと呼ばれている。

 

 

 

 

2022年1月24日 (月)

待望のシャコンヌ

あっと驚く発見。大好きなヴァイオリニスト、ファビオ・ビオンディさんのバッハだ。

チェンバロ付きのソナタやコンチェルトは既に出ていたが、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、出ていなかった。コロナで様々な予定がキャンセルになった結果、レコーディングに時間をとれるようになって、発売にこぎつけたらしい。

それはつまりビオンディさんの「シャコンヌ」が聴けるということだ。矢も楯もたまらず即買いしてさっそく聞いた。そりゃあ私はシャコンヌに関してはシェリング世代だから、ビオンディ節をやけに期待して聴いたのだが、普通だった。いやいや四季の衝撃を期待していたらそれほどではなかったとでもいうべきか。我が家の楽譜にない音をアドリブっぽく弾いている。恐れ多くもバッハを振り回す感じ。

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2022年1月23日 (日)

ウィーンの異邦人

北ドイツに生まれて、ドイツ語の話者であったブラームスは1862年に単身で帝都ウィーンに進出する。異国にポッツリやってきた異邦人だったのだろうかと調べてみた。どうも違いそうだ。ハプスブルク帝国は、もともと主要民族だけで10民族を超える多民族国家だったから、その首都にはたくさんの民族が入り乱れていた。

「ウィーン多民族文化のフーガ」という書物に興味深い数値が載っていた。1880年時点におけるハプスブルク帝国内の民族構成比だ。

  1. ドイツ人 26.4%
  2. マジャール人 17.1%
  3. チェコ人 13.7%
  4. ポーランド人 8.6%
  5. ウクライナ人 8.3%
  6. セルビア&クロアチア人 7.7%
  7. ルーマニア人 6.0%
  8. スロヴァキア人 5.0%
  9. スロヴェニア人 3.0%
  10. イタリア人 1.6%

このときの帝国の総人口は3779万人。支配層のドイツ人でもやっと4分の1だ。この26.4%の中にブラームスがカウントされているものと思われる。さらに同じ本の同じページに興味深い資料が掲載されていた。1890年現在のウィーンの出生地別構成比だ。

  1. ウィーン生まれ 44.7%
  2. ボヘミア・モラヴィア(=チェコ)生まれ 26.0%
  3. ウィーン以外のオーストリア生まれ 15.1%
  4. ハンガリー生まれ 7.4%
  5. ドイツ生まれ 1.9%
  6. その他 4.1%

ブラームスはドイツ生まれの1.9%にカウントされていそうだ。ウィーン生まれのドイツ人が相当たくさんいるということもほぼ明らかになる。ウィーンにおいてドイツ語を話している限りブラームスはちっとも異邦人なんかではないと言えそうだ。

 

 

2022年1月22日 (土)

Wahlwiener

よそからやってきてウィーンに住みついてしまった人のこと。ベートーヴェンもブラームスもモーツアルトもそうだ。ヴェネチア生まれでウィーンに没したヴィヴァルディも仲間に入れてもいいかもしれない。音楽の都ウイーンには、ことさら音楽家を引き寄せる魅力があったものと思われる。

この言葉にはいわゆる「よそ者」のニュアンスはなく、快くウィーンに迎え入れたかのような温かみがある。帝都ハプスブルクの1000年の重みだ。

2022年1月21日 (金)

ルエーガー

カール・ルエーガー(Karl Lueger1844-1910)は、オーストリアの政治家。反ユダヤ主義を標榜してウィーン市長になった。ずっと不思議に思っていたことがある。

ブラームスの伝記を読んでいると、ときどきルエーガーが話題になっている。彼の反ユダヤの思想と、ウィーン市長に選ばれたことが話題になる。しかし彼の市長への就任は1897年4月20日だから、ブラームスが没した後だ。ブラームスの葬儀そのときのウィーン市長ではなかった。

このほどその謎が解けた。1895年以降ルエーガーは3度にわたった市長選挙で勝利したにもかかわらず、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が拒否したために、市長への就任が出来なかったということだ。せっかく選挙で勝っても皇帝に拒否権があったということだ。

就任後のルエーガーは現在にも残る改革を次々と実行した。端正な容姿とあいまって市民の人気が高かった。彼の名前をつけた道路が今でも残っている。

2022年1月20日 (木)

ご落胤

「高貴な人物の隠し子」というくらいの意味で間違いはなさそう。美貌の皇后シシィは、窮屈な宮廷生活を避けて旅行に明け暮れたから、ウィーンに残る皇帝とは事実上の別居状態だった。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に愛人がいたという噂はこうした境遇と無縁ではない。

30歳の皇帝に見初められたのは、15歳のアンナ・ナホフスキーという女性。この若さで既婚だった。やがて離婚してまた再婚した彼女は全部で4人の子を産んだ。このうち2番目と3番目の子どもの父親が皇帝だったといわれている。

2番目の子は女の子でヘレーネ、3番目は男の子で、そのものズバリでフランツ・ヨーゼフという。驚くべきはヘレーネで、声楽を学びやがて作曲家アルバン・ベルクの妻となった。グスタフ・マーラーの妻アルマや指揮者ブルーノ・ワルターも手記の中で、ヘレーネの父が皇帝だった可能性に言及しているという。

2022年1月19日 (水)

大観覧車

ウィーン進出後のブラームスはしばしばプラーター公園を訪れた。だからあの名高い大観覧車を知っていたのかを調べていたら、面白い話にたどり着いた。

観覧車の設計者はガボール・シュタイナーという技術者だった。腕の立つ技術者だったから設計には自信があったらしいが、お役所の許可が下りずに苦労したと伝えられている。苦労話はさておき、彼の兄フランツ・シュタイナーはアン・デア・ウィーン劇場の支配人なのだが、どうもヨハン・シュラウス2世の2番目の妻リリーの駆け落ちのお相手だったらしいのだ。

さらに彼の息子は1888年生まれでマックス・シュタイナーという。名付け親はリヒャルト・シュトラウスで、ブラームスからピアノの手ほどきを受けたとされている。15歳でウイーン音楽院に進んでグスタフ・マーラーの薫陶を受けた。4年の課程を1年で終えたという天才振りだった。いやはや後期ロマン派総出という感じがまぶしい。

第一次大戦を期にアメリカに渡り映画音楽の分野でブレークする。「風と共に去りぬ」の音楽を担当したほか、アカデミー賞にも名を連ねている。

肝心の観覧車の完成は1897年6月21日だった。つまりブラームスは間に合っていない。高さおよそ65mの観覧車一周の料金は6グルデンという結構なお値段だったが、庶民が殺到したという。ブラームスが元気だったら絶対に乗っていたハズだ。現代で申せばスカイツリーみたいなモンだろう。

 

 

2022年1月18日 (火)

建築ラッシュ

ブラームスが進出した頃のウィーンは建築ラッシュの真っ只中だった。ブラームス進出の5年前1857年に皇帝フランツヨーゼフ1世は、ウィーン市壁の撤去を決定した。過去トルコ軍の包囲を耐え抜いた市壁なのだが、もはや時代は移った。

ウィーン市外をグルリと取り囲む幅およそ500mの土地が忽然と姿を現した。市庁舎、国会議事堂、司法省、市立公園などの公の施設が続々と建設された。それでも余った土地は民間に払い下げられた。現代ウィーンの輪郭はこのときから数十年の間に形成されていった。

1869年に完成した宮廷歌劇場は現在の国立歌劇場で、翌1870年には楽友協会が完成。1872年に協会の芸術監督に就任したブラームスは竣工間もない建物に通い詰めたことになる。コンサート会場で名高いコンツェルトハウスの完成は1913年。一連の建築ラッシュのなかではむしろ遅いほう。

2022年1月17日 (月)

地味にウィーン特集

年明け早々、室内楽とサッカーネタでご機嫌をうかがってから一週間。実はひっそりとウィーンネタだ。特集とまではいかぬが、シューベルトについて調べる間に何となく記事が堆積していたのをこの際まとめて公開するという流れ。シューベルト特集を終えた後の脱力に備えるという側面もある。1か月少々は間が持つはずだ。

われながら周到。

2022年1月16日 (日)

帝国議会

1867年の和協によりオーストリアハンガリー二重帝国が成立したことは昨日話題にした。オーストリア側にもハンガリー側にも議会が発足した。このときをもってオーストリアは立憲君主制に移行したと解されている。

議員を皇帝が任命する貴族院と、領邦議会代表によって構成される衆議院の二院制で、両院は対等の権能を持った。1873年には領邦議会代表による互選制から直接選挙制に移行した。このときは制限選挙だったが1896年には普通選挙による72議席が追加された。この制度のもとでの最初の選挙が1897年3月だった。ブラームスの没する1ヶ月前である。ブラームスの伝記にはこの最後の3月についての記事が比較的厚く書かれるのだが、この選挙に言及されていることはない。この選挙では青年チェコ党が第一党に躍進して、ちょっとした衝撃だったというのだが、伝記は沈黙している。ブラームスの病状を考えると選挙どころではなかったことは確実なのだが、疑問もわき上がる。

そもそも友人たちの証言によればブラームスは政治の話にも積極的だったらしいのだが、選挙に行ったというエピソードは残されていない。ブラームスは投票に行ったことはあるのだろうか。もしあるとすればドイツとオーストリアどちらの議会だったのだろう。

2022年1月15日 (土)

アウスグライヒ

「Ausgleich」と綴るドイツ語。辞書を引くと「調整」「妥協」「調停」「和議」という訳語並んでいるが、歴史用語として使われる場合がある。ハプスブルク帝国の転換点のことを指す場合「和協」という言葉か特別にあてられる。

ブラームスの生きた時代、とりわけ1848年のメッテルニッヒ失脚以降、どうもハプスブルク家は旗色が悪い。プロイセンの台頭、とりわけビスマルクの登場により拍車がかかった感じがする。

イタリアに独立され、デンマークから手を引かされ、普墺戦争に負けて、多民族国家の弱点が次々と表面化する。領内でドイツ人の次の勢力だったマジャール人が分離独立を志向することで、帝国の維持がどうにも怪しくなる。その場面で採用された政治的妥協のことを後世の歴史家は「アウスグライヒ」(和協)と呼んだ。マジャール人との妥協だ。

帝国はオーストリアとハンガリーに二分し「オーストリアハンガリー二重帝国」となる。オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を王に戴きながらハンガリーは独立の政府と議会を持つことになる。軍事・財政・外交だけが共通事項とされたほかは、独自に大臣を持った。蔵相や外相がハンガリー人だったこともある。帝国内においてハンガリー人はドイツ人とならぶ特権階級になった。1867年の出来事だ。后妃エリザベートのハンガリーへの肩入れもあって、ハンガリーの地位が大きく向上した。

ブラームスの出世作ハンガリー舞曲第一集第二集の出版が1869年なのはけして偶然ではない。そしてその楽譜がベストセラーになったのは帝国内におけるハンガリー熱の高まりを考えるともはや必然という気もしてくる。

 

 

2022年1月14日 (金)

時計回り

記事「旋回の向き」で、19世紀ウィーンではしばしば「左旋回ワルツ」が禁止されていたと書いた。男女の密着度が増すことから、風紀を懸念する人々による政策だ。このとき「左旋回」がただちに「反時計周り」を意味するのかについて、断定を避けておいた。

ウィーンの舞踏会の写真を見ると、女性の腰に回されるのは男性の右手のようだ。向かい合う女性の腰に右手を回したところをご想像いただく。このときもし「時計回り」をすると、回した右腕が振りほどかれる方向にモーメントが発生する。つまり密着度は下がる。

一方「反時計回り」の回転では、右腕は女性の腰をより強く抱えるようなモーメントになる。つまり密着度が増す。だから「左旋回のワルツ」が高密着を理由に制限されるなら、その回転は「反時計回り」であるとみていい。男性の利き腕に関係なく、右腕が腰に回されるからこそ、「左旋回ワルツ」を一律に取り締まったのだ。

たぶん。

おバカな話題だが割と真剣。

 

 

2022年1月13日 (木)

旋回の向き

ウィーンにおけるワルツの大ブームの中、長くウィーンに住んだブラームスがワルツを踊ったのかどうかについて調べているのだが、めぼしい情報が見つからない。一方で興味深い外道情報が目に留まった。

密着した男女が目にも留まらぬ速さで回転するのがワルツの醍醐味。男性が女性の腰に手を回し、女性は男性にしっかりしがみついていなければ遠心力に耐えられない。だからいやでも密着する。これがけしからんということで、しばしば禁止令が出されている。その禁止令の周辺を調べるとしばしば旋回の向きが話題になる。「右旋回ワルツ」と「左旋回ワルツ」だ。これが直ちに「時計回り」と「反時計回り」を意味するかどうかは調査中だが、ワルツを踊るときの姿勢は左右対称ではない。このことが旋回の向きによる違いを生み出していると見て間違いあるまい。

左旋回は男性がより強く女性を引き寄せねばならず、右旋回に比べて密着度が増すとされている。当局は「右旋回ワルツ」だけを許可する内容の告示をしばしば出している。つまり密着度を抑えるという意味だ。

高い密着度はイコール公序良俗に反するという認識の現れだ。密着度はハイテンポと左回りで助長される。速いテンポのワルツを左回りで踊るのが、高密着の秘訣といえそうだ。ワルツのレパートリーを見ても「左旋回のための」とか「右旋回用の」というワルツにはお目にかからないから、どちらに旋回するかは踊り手たちの自由なのだと思う。「ブラームスのワルツ」で名高い15番イ長調のワルツはテンポが緩すぎて、一部の紳士淑女には歓迎されないと見た。14番あたりがおすすめかもしれない。

 

 

 

 

2022年1月12日 (水)

ワルツの夜明け

1766年だからベートーヴェンが生まれる4年前の話だ。皇帝ヨーゼフ1世は、宮廷ダンス教師たちに芸種としての独立を認める決定をくだした。そのときまで舞踏は宮廷作法の一つで、作法としての舞踏を王室や貴族相手に教授するためのお抱え教師を雇っていた。このときの決定は、平たく言うと「庶民相手に舞踏を教えてもよろしい」という意味合いを持っていた。これがワルツ大ブレークのキッカケとなった。

ワルツはカップルが数回ダンス教室に通えば、とりあえず踊れるようになる。習得に長い時間がかかるメヌエットは、あっという間に落ち目になる。さらに習得の手軽さに加え、踊る男女の密着度が大ブレークの原因とささやかれている。眉をひそめる向きももちろんあって、しばしば禁止令が出されたが効果は全くなかった。

メヌエットの代替品がただちにワルツになったわけではないこと周知の事実だがソナタの中間楽章からメヌエットが消えて行くタイミングと不気味なくらい一致している。ソナタに挿入されたスケルツォが「踊らぬ舞曲」の代名詞なら、ワルツは踊る舞曲の帝王である。まさに時代の最先端を行く踊りだ。

だからワルツop39を献呈されたハンスリックは驚いたのだ。「あの堅物のブラームスが」という台詞は、当時のワルツの大ブレークを下敷きに考えねば実感できない。

2022年1月11日 (火)

ウィーンの民謡

正式な定義はおろか近似する概念さえ思い浮かべにくい。ニューイヤーコンサート等で「ワルツ」や「ポルカ」は頻繁に耳にするが、ウィーンの民謡となると情報が少ない。

記事「子守歌のルーツ 」で述べた通り、ブラームスの子守歌の元になったワルツを求めてあれこれ調べ物をしていて、興味深いCDに出会った。例によって中古CDショップでの掘り出し物だ。

「ウィーンの辻馬車の歌」というタイトルのアルバム。演奏はエーリッヒ・クンツというバリトン。1967年の録音で発売は1991年。有り難いことに国産CDなので解説書が読める。お宝だ。私が求める「子守歌のルーツ」は収録されていないけれど、まさにウィーン民謡と呼ぶにふさわしい内容だ。歌詞は全部ドイツ語だから、ドイツ民謡のノリで聴いて楽しめる。

2022年1月10日 (月)

7回おいしい

生涯の趣味としての音楽、ニアリーイコールブラームスは私に6重の楽しみをもたらしてくれる。

  1. 「聴く」:中学時代に端を発するもっとも根源的な音楽の楽しみ。クラシック音楽に立ち入った当初はベートーヴェン大好き状態だった。
  2. 「弾く」:大学入学と同時にオーケストラに入団し、ヴィオラを習い始めたことによって弾く楽しみに目覚めた。今もって技量は怪しいが、楽しみは深くて広い。
  3. 「読む」:楽器を習い始める以前からスコアを読む楽しさには気付いていた。楽器を始めてから譜読みの楽しさに目覚めた。
  4. 「打つ」:ブラームスの楽譜上の諸現象をパソコンを駆使して分析する。「読む」をさらに深化させ、「聴く」や「弾く」にも影響を与えることになる。
  5. 「書く」:「ブラームスの辞書」の執筆とともに始まった。本の執筆は終わったがブログの記事の更新は今やライフワークでさえある。
  6. 「飲む」:ブラームスを肴に仲間と盛り上がる。

残念ながら「作る」つまり作曲だけは諦めているが、ブラームスは私にとって6度おいしい宝物だ。残すところがない魚みたいなものだ。さらに加えて7つ目の楽しみに挑戦したいと思っている。それは「歌う 」だ。ブラームスの残した歌曲を思い切り歌ってみたいのだ。あるいはドイツレクイエムに合唱で参加するのもありだ。

 

2022年1月 9日 (日)

歌の経験

大学入学後に習い始めたヴィオラ演奏の経験が、ブログ「ブラームスの辞書」の基礎になっていることは、疑い得ない。拙いながらもヴィオラでブラームス作品の演奏に参加した記憶は、至る所に痕跡となって横たわっている。

ここでハタと考える。

もし歌の経験があったらどうなるだろう。

ヴィオラでブラームスに親しんだ記憶だけでもこれだけ楽しいのだから、ブラームスを歌った記憶があればもっと楽しいだろう。オフィシャルには「日曜日」op47-3を高校の授業で歌っただけだ。

最近ブラームスやシューベルトの声楽作品に触れて心からそう感じる。ドイツレクイエムの演奏にヴィオラではなくコーラスで参加していたら、ブログの記事が1ダースは書けるだろう。混声合唱版の民謡を歌えたら、唖然とするような発見が出来るに違いない。

声楽愛好家にとってのブラームスが、並ではない喜びを与える存在だろうと想像している。ただただ羨ましい。

2022年1月 8日 (土)

雪のメッセージ

今年の元日。母の姉、私の伯母が静かに息を引き取った。母と6つ違いの92歳。三が日が明けるのを待っていたのだろう。4日朝、従兄が母に電話をくれた。明らかに取り乱した母が在宅勤務中の私に知らせてきた。「お姉さんが死んじゃった」「こたつで横になって静かになくなったって」「年末には電話で話したのに」「6日に火葬場だって」と私に告げる。「都内とはいえ電車を乗り継いで行くのは無理なんで、お顔見に行けない」と。

思えば仲のいい姉だった。「戦争中は一家を代表して買い出しに行ってくれた」が口癖で何度聞かされたことか。私もいろいろと世話になった。

5日と6日の勤務の具合を見て、5日午後に母を連れてゆくことにした。葬儀場に安置された伯母にお別れをしようと提案すると母はいくらか落ち着きを取り戻した。異論があるはずもない。お骨になる前にお顔を見ねばならない。やっておかねば心に傷が残るに決まっている。

行ってよかった。穏やかなお顔を見て話しかける母。「ありがとう」「やすらかに」「がんばったね」と言葉が途切れない。火葬当日ではなかったので従兄姉2人ともゆっくり話ができた。「叔母さんが来てくれて本当に良かった」「お母さんの分まで元気で長生きしてね」と励まされて涙を拭かずにうなずく母。我ながらよい判断ができたものだ。

けじめがついたとはこのことだろう。帰りの車の中で母はいつもの母に戻っていた。行かなかったらきっと「ああお顔を見ておけば」とか「お別れも出来ずに」とか、今後ずっと引きずっていたに違いない。人の死について回る一連の儀礼は、後に残る者のためにあるとつくづく思った。

一昨日6日は火葬当日。ほどなく東京は1月としては異例の積雪。母は積る雪を見ながら「お姉さん」とつぶやく。そう、この雪は伯母から私への「お母さんを大切にしなさい」というメッセージに決まっているではないか。

2022年1月 7日 (金)

番付編成会議

大げさな言い回しだが、私の脳内作曲家番付の話だ。事実上のシューベルト特集で半年過ごしたこと、あるいはその前のバロック特集の取り組みを考慮して少々の変更が要る。

新番付は以下の通り。

  • 東横綱 ブラームス
  • 西横綱 バッハ
  • 東大関 ドヴォルザーク
  • 西大関 シューベルト
  • 東関脇 マーラー
  • 西関脇 ベートーヴェン
  • 東小結 ブクステフーデ 
  • 西小結 モーツアルト
  • 東前頭 シューマン
  • 西前頭 テレマン

シューベルトはすぐにでも東大関をうかがう位置。ブクステフーデがオルガン補正でこの位置まで昇進した。西前頭筆頭の位置は最後までメンデルスゾーンとテレマンの争いだった。マーラーさんは学生時代の記憶とりわけアダージェットによって命脈を保っている感じ。内助の功も相当ある。内助の功といえばシューマンさんもである。部屋の女将がでんと控えている感じ。

2022年1月 6日 (木)

グループリーグ結果

ブラームスの室内楽全24曲を参加国に見立てた疑似ワールドカップを進行中だ。昨日組み合わせを決定した。それはそれはもう楽しい作業だった。パズルとして一級と申し上げたい。本日はグループリーグの結果をレポートする。

<グループA>からは弦楽六重奏曲第1番が3連勝で余裕の首位通過だ。2位はクラリネットソナタ第1番が滑り込む。六重奏曲が勝ち点を集めすぎたために3位の勝ちが下がってしまい、ピアノ四重奏曲第2番が3位ながら決勝トーナメント進出を逃がした。

<グループB>からはピアノ五重奏との首位争いを制した「雨の歌」が首位通過した。クラリネットソナタ第2番が3位ながら決勝トーナメントに進んだ。

<グループC>はいわゆる「死の組」どこにも敗退のリスクがあるという意味だ。弦楽六重奏曲第2番、ピアノ三重奏曲第一番、チェロソナタ第一番の順で決勝トーナメント入り。

<グループD>ニ短調ヴァイオリンソナタを得失点差でかわして、ピアノ四重奏曲第1番が首位通過。ホルン三重奏曲も狙い通り3位で通過にこぎつけた。

<グループE>ここもまたグループA同様首位のピアノ四重奏曲第3番が3連勝で通過した。弦楽五重奏曲第2番も手堅く勝ち点を拾ったおかげで、3位のチェロソナタ第2番が決勝トーナメント進出を逃がした。

<グループF>ここも「死の組」。クラリネット五重奏、弦楽四重奏曲第3番、ヴァイオリンソナタ第2番の順で決勝トーナメント進出を果たした。

2022年1月 5日 (水)

組み合わせ決定

室内楽カップの組み合わせが下記の通り決定した。グループ内で総当たり戦を行い、上位2曲12作品に加えて、3位の中から成績優秀の4曲が決勝トーナメントに進む。各組の記載はポット順とする。

<グループA>

  1. 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調op18
  2. ピアノ四重奏曲第2番イ長調op26
  3. ピアノ三重奏曲第2番ハ長調op87
  4. クラリネットソナタ第1番変短調op120-1

<グループB>

  1. ピアノ五重奏曲ヘ短調op34
  2. 弦楽四重奏曲第1番ハ短調op51-1
  3. クラリネットソナタ第2番変ホ長調op120-2
  4. ヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78

<グループC>

  1. 弦楽六重奏曲第2番ト長調op36
  2. 弦楽四重奏曲第2番イ短調op51-2
  3. ピアノ三重奏曲第1番ロ長調op8
  4. チェロソナタ第1番ホ短調op38

<グループD>

  1. 弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op88
  2. ピアノ四重奏曲第1番ト短調op25
  3. ホルン三重奏曲変ホ長調op40
  4. ヴァイオリンソナタニ短調op108

<グループE>

  1. 弦楽五重奏曲第2番ト長調op111
  2. ピアノ四重奏曲第3番ハ短調op60
  3. クラリネット三重奏曲イ短調op114
  4. チェロソナタ第2番ヘ長調op99

<グループF>

  1. クラリネット五重奏曲ロ短調op115
  2. 弦楽四重奏曲第3番変ロ長調op67
  3. ピアノ三重奏曲第3番ハ短調op101
  4. ヴァイオリンソナタ第2番イ長調op100

グループAのみ長調3曲の短調1曲となったが、他は長短仲良く2曲ずつだ。各G内に同じ主音の調が無い。弦楽器のみの室内楽がどの組にも最低1曲は入っている。クラリネット入り作品は同一G内に複数存在しない。グループFを構成する作品の調性を見てほしい。「H、B、C、A」となる。入れ替えると「BACH」が完成する。

 

2022年1月 4日 (火)

ポット分け

ブラームスの室内楽24曲をワールドカップの組み合わせ抽選よろしく4作品ずつA~Fの6組に分けてみる。その際のルールを下記の通り定める。

  1. 五重奏または六重奏が各組に必ず1曲入る。
  2. 四重奏が各組に必ず1曲入る。
  3. 同じ調または同主調の作品が同一Gに複数存在しない。
  4. 各Gには長調短調の作品が2つずつ同居する。ただしA組は例外とする。
  5. ピアノを含まない作品が各Gに最低1曲は入る。
  6. クラリネット入りの作品が同一グループに複数存在しない。

上記を満たすべくポッド分けを行う。これで各ポット6曲ずつとなるが、二重奏ソナタが7曲で、三重奏が5曲なので、二重奏ソナタから1曲が第三ポットに回る。(※)

  • 第一ポット 五重奏と六重奏
  • 第二ポット 四重奏
  • 第三ポット 三重奏※
  • 第四ポット 二重奏ソナタ※

上記ポット分けで組み合わせルールの1と2に対応できる。

第一ポット6曲を、作品番号の若い順に以下の通り各グループに自動的に配分する。

  • グループA 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調op18
  • グループB ピアノ五重奏曲ヘ短調op34
  • グループC 弦楽六重奏曲第2番ト長調op36
  • グループD 弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op88
  • グループE 弦楽五重奏曲第2番ト長調op111
  • グループF クラリネット五重奏曲ロ短調op115

さあ抽選だ。

2022年1月 3日 (月)

室内楽マラソン

ブラームスの室内楽全24曲の演奏時間はおよそ12時間になる。これを一日で聴くとどうなるかというお話。生ではとてもしんどい。トイレも食事もある上に、客席の椅子は窮屈だ。DVDまたはCDとしよう。どこぞのリゾートホテルに一日こもってサンドイッチやコーヒーを用意してソファにふんぞり返って楽しもうという設定だ。

<持ち物>

  1. CD
  2. DVD
  3. プレーヤー
  4. コーヒーセット
  5. サンドイッチ
  6. ホットドッグ
  7. おにぎり
  8. ワイン
  9. ビール
  10. ケーキ
  11. クッキー
  12. フルーツ
  13. 完璧な体調

<日程>

  • 06:00 起床
  • 07:00 ①ピアノ三重奏曲第1番 朝食をとりながら。第一楽章は意外と朝食向き。
  • 07:40 ②弦楽六重奏曲第1番
  • 08:15 休憩
  • 08:30 ③ピアノ四重奏曲第1番 長い作品が午前中にあるのはありがたい。
  • 09:40 ④ピアノ四重奏曲第2番
  • 10:30 休憩
  • 10:45 ⑤ピアノ五重奏曲
  • 11:30 ⑥弦楽六重奏曲第2番
  • 12:15 休憩 ランチのつもり
  • 12:45 ⑦チェロソナタ第1番
  • 13:10 ⑧ホルン三重奏曲
  • 13:40 休憩 コーヒーを多めに
  • 13:55 ⑨弦楽四重奏曲第1番
  • 14:25 ⑩弦楽四重奏曲第2番
  • 15:00 休憩
  • 15:15 ⑪ピアノ四重奏曲第3番
  • 15:50 ⑫弦楽四重奏曲第3番
  • 16:15 休憩 軽くワイン可能。ちょうど半分。
  • 16:30 ⑬ヴァイオリンソナタ第1番
  • 17:00 ⑭ピアノ三重奏曲第2番
  • 17:30 休憩
  • 17:45 ⑮弦楽五重奏曲第2番
  • 18:15 ⑯チェロソナタ第2番
  • 18:45 休憩 もっとも長い45分の休憩。ビール可。
  • 19:30 ⑰ヴァイオリンソナタ第2番
  • 19:55 ⑱ピアノ三重奏曲第3番
  • 20:15 休憩
  • 20:30 ⑲ヴァイオリンソナタ第3番
  • 20:55 ⑳弦楽五重奏曲第2番
  • 21:25   休憩
  • 21:40 ㉑クラリネット三重奏曲
  • 22:05 ㉒クラリネット五重奏曲
  • 22:45 休憩
  • 23:00 ㉓ヴィオラソナタ第1番
  • 23:25 ㉔ヴィオラソナタ第2番
  • 23:50 お開き

我ながら完璧。演奏会ではないので、咳払いもくしゃみもOK。缶ビール開けたり、ケーキを切ったりもできる。コーヒーをハンドドリップしながらでもいい。お湯はわかしておかないと。

箱根駅伝の往復を1日で済ます感じだが、なんだかやれそうな気がしてきた。

 

2022年1月 2日 (日)

室内楽楽章別ベスト10

ブラームスの室内楽は24曲ある。それらは91の楽章で構成される。4楽章制19曲、3楽章制5曲である。(4*19)+(3*5)=91だ。本日はその91楽章から私的ベスト10を選ぶというお遊び。24作品から10作のチョイスよりも話が深まる。作品として上位10作にランクインしない曲の中にも魅力的な楽章があることも少なくない。

  1. 弦楽六重奏曲第1番op18の第1楽章 変ロ長調
  2. 弦楽六重奏曲第1番op18の第2楽章 ニ短調
  3. ピアノ四重奏曲第1番op25の第3楽章 変ホ長調
  4. ピアノ五重奏曲op34の第3楽章 ハ短調
  5. ピアノ四重奏曲第3番op60の第3楽章 ホ長調
  6. 弦楽四重奏曲第3番op67の第3楽章 ニ短調
  7. ヴァイオリンソナタ第1番op78の第1楽章 ト長調
  8. ヴァイオリンソナタ第2番op100の第3楽章 イ長調
  9. クラリネット五重奏曲op115の第2楽章 ロ長調
  10. ヴィオラソナタ第2番op120-2の第2楽章 変ロ短調

上記は作品番号順の配列であり、そのままランキングではない。10曲選ぶ楽しさよりもいくつか切らざるを得ないつらさが身に染みた。

楽章別でこのありさまだから旋律別にしたらもっとカオスに違いない。対旋律の扱いとか課題も多い。

 

2022年1月 1日 (土)

ワールドカップイヤー

かつて私には妙なジンクスがあった。

1996年に妻を亡くしたとき、会社が私に東京勤務を命じて以降の、転勤辞令が発せられたのは下記の通りだ。

  1. 1998年
  2. 2006年
  3. 2010年
  4. 2014年

見ての通り、全てワールドカップ開催年だ。2018年は少しドキドキしたがなにも無かった。今年2022年はカタールワールドカップの年だけれど、きっと良い年になる。

あけましておめでとうございます。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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