雪のメッセージ
今年の元日。母の姉、私の伯母が静かに息を引き取った。母と6つ違いの92歳。三が日が明けるのを待っていたのだろう。4日朝、従兄が母に電話をくれた。明らかに取り乱した母が在宅勤務中の私に知らせてきた。「お姉さんが死んじゃった」「こたつで横になって静かになくなったって」「年末には電話で話したのに」「6日に火葬場だって」と私に告げる。「都内とはいえ電車を乗り継いで行くのは無理なんで、お顔見に行けない」と。
思えば仲のいい姉だった。「戦争中は一家を代表して買い出しに行ってくれた」が口癖で何度聞かされたことか。私もいろいろと世話になった。
5日と6日の勤務の具合を見て、5日午後に母を連れてゆくことにした。葬儀場に安置された伯母にお別れをしようと提案すると母はいくらか落ち着きを取り戻した。異論があるはずもない。お骨になる前にお顔を見ねばならない。やっておかねば心に傷が残るに決まっている。
行ってよかった。穏やかなお顔を見て話しかける母。「ありがとう」「やすらかに」「がんばったね」と言葉が途切れない。火葬当日ではなかったので従兄姉2人ともゆっくり話ができた。「叔母さんが来てくれて本当に良かった」「お母さんの分まで元気で長生きしてね」と励まされて涙を拭かずにうなずく母。我ながらよい判断ができたものだ。
けじめがついたとはこのことだろう。帰りの車の中で母はいつもの母に戻っていた。行かなかったらきっと「ああお顔を見ておけば」とか「お別れも出来ずに」とか、今後ずっと引きずっていたに違いない。人の死について回る一連の儀礼は、後に残る者のためにあるとつくづく思った。
一昨日6日は火葬当日。ほどなく東京は1月としては異例の積雪。母は積る雪を見ながら「お姉さん」とつぶやく。そう、この雪は伯母から私への「お母さんを大切にしなさい」というメッセージに決まっているではないか。
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