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2022年1月23日 (日)

ウィーンの異邦人

北ドイツに生まれて、ドイツ語の話者であったブラームスは1862年に単身で帝都ウィーンに進出する。異国にポッツリやってきた異邦人だったのだろうかと調べてみた。どうも違いそうだ。ハプスブルク帝国は、もともと主要民族だけで10民族を超える多民族国家だったから、その首都にはたくさんの民族が入り乱れていた。

「ウィーン多民族文化のフーガ」という書物に興味深い数値が載っていた。1880年時点におけるハプスブルク帝国内の民族構成比だ。

  1. ドイツ人 26.4%
  2. マジャール人 17.1%
  3. チェコ人 13.7%
  4. ポーランド人 8.6%
  5. ウクライナ人 8.3%
  6. セルビア&クロアチア人 7.7%
  7. ルーマニア人 6.0%
  8. スロヴァキア人 5.0%
  9. スロヴェニア人 3.0%
  10. イタリア人 1.6%

このときの帝国の総人口は3779万人。支配層のドイツ人でもやっと4分の1だ。この26.4%の中にブラームスがカウントされているものと思われる。さらに同じ本の同じページに興味深い資料が掲載されていた。1890年現在のウィーンの出生地別構成比だ。

  1. ウィーン生まれ 44.7%
  2. ボヘミア・モラヴィア(=チェコ)生まれ 26.0%
  3. ウィーン以外のオーストリア生まれ 15.1%
  4. ハンガリー生まれ 7.4%
  5. ドイツ生まれ 1.9%
  6. その他 4.1%

ブラームスはドイツ生まれの1.9%にカウントされていそうだ。ウィーン生まれのドイツ人が相当たくさんいるということもほぼ明らかになる。ウィーンにおいてドイツ語を話している限りブラームスはちっとも異邦人なんかではないと言えそうだ。

 

 

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