歌の経験
大学入学後に習い始めたヴィオラ演奏の経験が、ブログ「ブラームスの辞書」の基礎になっていることは、疑い得ない。拙いながらもヴィオラでブラームス作品の演奏に参加した記憶は、至る所に痕跡となって横たわっている。
ここでハタと考える。
もし歌の経験があったらどうなるだろう。
ヴィオラでブラームスに親しんだ記憶だけでもこれだけ楽しいのだから、ブラームスを歌った記憶があればもっと楽しいだろう。オフィシャルには「日曜日」op47-3を高校の授業で歌っただけだ。
最近ブラームスやシューベルトの声楽作品に触れて心からそう感じる。ドイツレクイエムの演奏にヴィオラではなくコーラスで参加していたら、ブログの記事が1ダースは書けるだろう。混声合唱版の民謡を歌えたら、唖然とするような発見が出来るに違いない。
声楽愛好家にとってのブラームスが、並ではない喜びを与える存在だろうと想像している。ただただ羨ましい。
てぃんぱにゃ~さま
あけましておめでとうございます。
ですよね。
旋律じゃなくていんですけど、臨時記号一つで場面転換してみたいな場所、それが自分のパートにあるとなおさらねえ。
正月早々取り乱してしまいましたが、こちらこそよろしくお願いいたします。
投稿: 実朝の弟子 | 2022年1月 9日 (日) 18時05分
あけましておめでとうございます。
たしかに「あっちやってたら今頃どうなってたんだろう…」て思うことあります。
太鼓の人なのにブラームスが好き…というとたいてい「え?」て反応されますけど、ブラームスは抑制を要求しときつつも、美味しい場面をいつも与えてくれてるので(やったことないけど)、打楽器奏者であることに不満はありません。
が、クラリネットソナタやって思いますけど、旋律のある楽器で触れるとやっぱりいいですねぇ(笑)
新鮮さだけじゃない、何かを感じます。和声に参加する心地よさ…とか?
年頭から楽しく読ませていただいております。
今年もよろしくお願いいたします。
投稿: てぃんぱにゃー | 2022年1月 9日 (日) 17時39分