ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« アウスグライヒ | トップページ | 地味にウィーン特集 »

2022年1月16日 (日)

帝国議会

1867年の和協によりオーストリアハンガリー二重帝国が成立したことは昨日話題にした。オーストリア側にもハンガリー側にも議会が発足した。このときをもってオーストリアは立憲君主制に移行したと解されている。

議員を皇帝が任命する貴族院と、領邦議会代表によって構成される衆議院の二院制で、両院は対等の権能を持った。1873年には領邦議会代表による互選制から直接選挙制に移行した。このときは制限選挙だったが1896年には普通選挙による72議席が追加された。この制度のもとでの最初の選挙が1897年3月だった。ブラームスの没する1ヶ月前である。ブラームスの伝記にはこの最後の3月についての記事が比較的厚く書かれるのだが、この選挙に言及されていることはない。この選挙では青年チェコ党が第一党に躍進して、ちょっとした衝撃だったというのだが、伝記は沈黙している。ブラームスの病状を考えると選挙どころではなかったことは確実なのだが、疑問もわき上がる。

そもそも友人たちの証言によればブラームスは政治の話にも積極的だったらしいのだが、選挙に行ったというエピソードは残されていない。ブラームスは投票に行ったことはあるのだろうか。もしあるとすればドイツとオーストリアどちらの議会だったのだろう。

« アウスグライヒ | トップページ | 地味にウィーン特集 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 帝国議会:

« アウスグライヒ | トップページ | 地味にウィーン特集 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ