トゥルクサ夫人
Celestine Truxsaと綴る。ブラームス最後の10年の大家としてブラームスの面倒を見た。
1887年にブラームスが大家を募集したところ応募が殺到したという。1887年と言えば押しも押されもせぬ楽壇の重鎮となっていたから、それもうなずける。ブラームスは「未亡人」であることを望んだため、別途探した結果、白羽の矢が立ったのがトゥルクサ夫人である。文筆家の未亡人であるからブラームスの希望通りである。ブラームスよりも23歳年下だから、ブラームス54歳、トゥルクサ夫人31歳から10年のお付き合いということになる。ブラームスの最期を看取ったのもこの人だ。ブラームス関連の書物を紐解けば頻繁に登場するが、揉め事があった形跡がない。ブラームスの信頼厚きパートナーといった感じである。
ブラームスの伝記中で一番言及されることが多い女性は、当然クララ・シューマンだが、アガーテやリーズル、そして母と並ぶ第2位グループの有力なメンバーの一人である。
この人が後年、回想録でも書けばそれはそれは貴重な情報の山になったハズだが、実現していない。そんなものを書かないのも見識の一つだろう。ブラームスの信頼はそのあたりに起因していそうである。
1935年つまり昭和10年に没しているから、つい最近の人なのだ。
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