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2022年1月15日 (土)

アウスグライヒ

「Ausgleich」と綴るドイツ語。辞書を引くと「調整」「妥協」「調停」「和議」という訳語並んでいるが、歴史用語として使われる場合がある。ハプスブルク帝国の転換点のことを指す場合「和協」という言葉か特別にあてられる。

ブラームスの生きた時代、とりわけ1848年のメッテルニッヒ失脚以降、どうもハプスブルク家は旗色が悪い。プロイセンの台頭、とりわけビスマルクの登場により拍車がかかった感じがする。

イタリアに独立され、デンマークから手を引かされ、普墺戦争に負けて、多民族国家の弱点が次々と表面化する。領内でドイツ人の次の勢力だったマジャール人が分離独立を志向することで、帝国の維持がどうにも怪しくなる。その場面で採用された政治的妥協のことを後世の歴史家は「アウスグライヒ」(和協)と呼んだ。マジャール人との妥協だ。

帝国はオーストリアとハンガリーに二分し「オーストリアハンガリー二重帝国」となる。オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を王に戴きながらハンガリーは独立の政府と議会を持つことになる。軍事・財政・外交だけが共通事項とされたほかは、独自に大臣を持った。蔵相や外相がハンガリー人だったこともある。帝国内においてハンガリー人はドイツ人とならぶ特権階級になった。1867年の出来事だ。后妃エリザベートのハンガリーへの肩入れもあって、ハンガリーの地位が大きく向上した。

ブラームスの出世作ハンガリー舞曲第一集第二集の出版が1869年なのはけして偶然ではない。そしてその楽譜がベストセラーになったのは帝国内におけるハンガリー熱の高まりを考えるともはや必然という気もしてくる。

 

 

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