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2022年2月28日 (月)

シュロ

漢字では「棕櫚」と書く。ほぼ「ナツメヤシ」のこと。

ブラームスの伝記の末尾、葬儀の記事の中、棺に棕櫚の枝が添えられていたと書かれている。一方シューマンの葬儀の記事の中にもやはり「棕櫚の枝」が現れる。

一体何かと思って調べたら昨日の記事「アトリビュート 」と大いに関係があった。西洋の絵画では人物が棕櫚の枝を持っていたらその人物は「殉教者」であることを意味するらしい。つまり棕櫚は殉教者のアトリビュートだった。殉教者とは一般に信仰に殉じた人のことだ。だからもちろんブラームスもシューマンも殉教者ではない。

けれども葬儀の際には棺に添えられていた。殉教者から派生して信仰厚き人を意味する小道具だったのだと思う。

2022年2月27日 (日)

アトリビュート

西洋絵画の基本的な技法。絵画に描かれた歴史上、伝説上、神話上の人物が誰であるのかを鑑賞者に仄めかすための小物。有名なエピソードからもっともふさわしい物が選ばれるが、動植物であることも多い。聖セシリアでは竪琴、聖母マリアでは百合だったりする。

古今の作曲家についてアトリビュートを決めようと試みる。楽器はなしというルールにする。

  1. ブラームス これはハリネズミで決まりだ。
  2. ドヴォルザーク 機関車にしたいところだが、鳩で済ます手もある。
  3. バッハ コーヒーじゃだめかな。
  4. ベートーヴェン 補聴器か。
  5. ワーグナー 指環。
  6. ショパン 子犬。
  7. シューマン 指拡張機。
  8. シューベルト ます。
  9. モーツアルト 魔笛。
  10. チャイコフスキー くるみ割り人形。
  11. サンサーンス 白鳥
  12. ホルスト 木星。
  13. ウェーバー ライフル。
  14. ベルリオーズ 阿片。
  15. ハイドン ひばり。
  16. マーラー 角笛。
  17. ヨハンシュトラウス こうもり。
  18. タルティーニ 悪魔?
  19. パガニーニ こちらも悪魔?
  20. テレマン テーブル。
  21. Rシュトラウス バラでは乱暴か?

ここまで考えて大問題も浮上した。ヴィヴァルディが意外と難しい。パッヘルベルやブクステフーデなど一連の愛すべき人たちも難しい。

 

 

2022年2月26日 (土)

かるたの隠し玉

一昨年のクララに続いて、昨年バッハをかるたにした。延々と展開したシューベルトさんではあったが、歌曲に特化していたせいかかるたまでは届かなかった。ドヴォルザークさんを抜いて東大関になれないのはそのあたりの事情もある。

シューベルトさんでかるたが作れるようなら記事確保は安泰なのだけれど。

2022年2月25日 (金)

Wissen

ドイツ語の辞書を引く。動詞なら「知っている」という意味で、名詞なら「知識」だ。「Wissenschaft」と続けば「学問」になる。

私が通った大学には生協売店があった。その2階が喫茶店になっていたが、その喫茶店の名前が「Wissen」だった。当時は気にも留めていなかったが、今思うとなかなかのネーミングである。学生たちにはなじみ過ぎて女性とのロマンスの舞台にはなりにくいメジャーな場所だったような気がする。

2022年2月24日 (木)

厄払い

先日、母を連れ出して厄払いに出かけた。

静岡掛川の法多山だ。

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石段が難関だったが、母はこれを登り切った。

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いつもの通り、家族全員の健康と安全を祈願。

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名物「厄除け団子」を堪能。真の目的はこれだった。

ご覧の通りの好天に助けられ、道中富士山の雄姿に恵まれ続けた。

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往復580kmの日帰り厄除けロングドライブであったが、「家にいて家事に明け暮れるよろは楽だ」というプラス思考の母であった。

2022年2月23日 (水)

リヒテンタール違い

シューベルトさんはウィーン生まれ。少し詳しい伝記ならリヒテンタールだと書いてある。現在では市内だが、当時は近郊であった。

ところが、ブラームスの伝記にもリヒテンタールが出てくる。こちらはドイツ南西部。保養地で名高いバーデンバーデン近郊だ。クララ・シューマンの避暑地で、ブラームスがしばしば訪れたとされている。

慣れるまでは注意が要る。

2022年2月22日 (火)

友人たちの物持ち

1853年秋のロベルト・シューマンとの出会いがブラームスの創作人生に劇的な転換をもたらしたことは語られる機会も多い。この前後には、シューマンの影に隠れてブラームスにとっての重要な出会いが多かった。生涯の友の何人かとこの時期に出会っている。

元々の才能に加え、こうした音楽環境の充実が創作に与えた影響は小さくなかったと思われる。ヨアヒムと対位法の諸課題について相互添削を始めたのもこのころだ。いくつかのミサ曲が作られそれが交換されたりしている。後日ブラームスは、そうした作品の返却を求めている。意に沿わぬ作品を世の中に流布させないための策だ。

返却を求められた側は概ね求めに応じているのだが、返却の前に総譜を筆写していた者がいた。WoO番号17番前後にある一連のミサ曲の断片がそれにあたる。複写機の無い時代だ。まだ海の物とも山のものともつかない無名時代のブラームス作品を筆写の手間もいとわずに手許に残しておきたいと考えた友人がいるのだ。

ブラームスが返却を求めなかったケースについては、楽譜の所有者が贈られた楽譜を後生大事に保存していた。「FAEソナタ」「左手のためのシャコンヌ」だ。それらが出版されたことをブラームス本人がどう思うかは別として、ブラームスから作品の提供を受けた者が皆楽譜をキチンと保存していたおかげで、現在に生きる愛好家を喜ばせている。

やはり楽譜は有り難いのだ。ましてや音楽史に残る巨匠から直接贈られた楽譜であるから、粗末に扱う訳がないのだ。あるいは、大切に扱ってくれるような相手にしかブラームスが作品を贈っていないとも考えられる。

ブラームスの友人たちの物持ちの良さに感謝だ。

2022年2月21日 (月)

時事問題

旬な話題のことだ。季節の話題に限定されるものではなく、最近の主なニュースというニュアンスで間違いなかろう。中学校社会の定期試験で出題される他、受験問題にも一部混入する。次の試験で何の問題が出るか娘と予想して楽しんだものだ。

ブラームスの詳しい伝記を読んでいると、友人たちとの会話の中に時事問題がしばしば現れる。ブラームスはなかなかの情報通だった。以下にその一部を列挙する。

  1. 普仏戦争 愛国者ブラームスは重大な関心をもっていた。
  2. デンマークとの確執 プロシアとデンマークの微妙な政治バランスの話。
  3. ビスマルク もちろんブラームスはビスマルク支持である。
  4. ルートヴィッヒ2世の死 ワーグナーの保護者の不審死。
  5. 皇太子ルドルフの死 「短くも美しく燃え」の話。
  6. ウィーン市長の交代の話 
  7. ブルノの大地震の話
  8. 日清戦争の趨勢
  9. 自転車の感想
  10. 電球や録音の技術
  11. 様々な叙勲の話

帝都ウイーンはゴシップの街でもあった。5,6,7,11がウィーン系かもしれぬ。

2022年2月20日 (日)

ウィーン学派

ウィーン楽派ではない。「学派」だ。細菌学の世界ではコッホやパスツールが有名なせいか、ドイツやフランスが医学の最先端というイメージが強いが、実はウィーンも負けていない。それどころかウィーンは欧州一の医学の中心地だったという話。

1744年にマリアテレジアの侍医としてオランダから招かれたゲルハルト・ヴァン・ズヴィーテンがウィーン学派の開祖と目されている。彼の業績はベッド数12の市民療養所を設けたこと。ここで臨床授業を考案した。入院患者に毎日の検温を実施したのも彼が最初だ。療養所で亡くなった患者全てを対象に検死を始めたのも彼の業績。

やがて皇帝ヨーゼフ2世が総合病院「アルゲマイネスクランケンハウス」を創設する。全入院患者に専用のベッドを用意するという新機軸も打ち出された。ハード面のこうした充実をベースに医学界の俊英たちを次々と輩出した。

  1. イグナーツ・フィリップ・ゼンメルヴァイス 産褥熱の原因特定と治療法の確立。
  2. アードルフ・ローレンツ 先天性股関節脱臼の治療法確立。
  3. カール・ラントシュタイナー 血液型の発見。1930年ノーベル賞受賞。
  4. ユリウス・ワーグナー・ヤウレック 梅毒の末期症状としての神経障害について「マラリア療法」の考案。脳梅毒の症状が患者の体温が高いときに好転するという経験から導き出されたもの。1927年ノーベル賞受賞。
  5. ローレンツ・ペーラー 救急外科外来の父。

ウィーン大学医学部を中心としたウィーン学派の隆盛はナチスの台頭まで続いた。オーストリアのノーベル賞供給基地の異名をとったがナチス政権の発足とともに有力な学者たちが揃ってアメリカに脱出してしまう。

お気づきだろうか。もう一人、大事な人が抜けている。テオドール・ビルロートだ。特筆大書されるべき外科医。がん患者の咽頭あるいは胃の一部切除の方法を考案した功績がまぶしいばかりなのだが、彼はヨハネス・ブラームスの親友だ。ベルリン大学からの招請を断ったことは有名で、ブラームスがいるウィーンを離れたくなかったからだとささやかれてもいるのだが、実はウィーン学派の中枢に残ることにこだわった結果に過ぎない。 

 

 

2022年2月19日 (土)

市民功労賞

1897年4月7日には、前日に行われたブラームスの葬儀の模様が新聞に掲載されたに決まっている。音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」という本の最終章には、葬儀の模様を伝える新聞記事が和訳されている。おそらく日本語で読める限り、もっとも詳しい葬儀の資料だ。興味深いネタ満載の同書の中でも白眉となっている。

それはそれは盛大だった葬儀の模様が詳しく解る。

花輪の送り主は、どこの誰だったのか、弔使を送り込んだのはどことどこか、参列者の名前と肩書き、当日の大まかな流れなどなど、実に興味深い。

おやっと思う記述があった。

ブラームスの棺に付き従った物品の中に「レオポルド騎士団勲章」と並び「市民功労賞」と書かれている。ブラームスがハンブルク名誉市民に選ばれていたことは有名だが、それらに言及する資料で「市民功労賞」と呼ばれていた形跡がない。「市民功労賞」がどのようなドイツ語の投影なのか不明だが、これが「ハンブルク名誉市民」を指すとは思えない。ウィーンのモノであると解する方が自然だ。つまりブラームスはウィーン市から「市民功労賞」を授与されていたと考えられる。生前に受けたのか、死後ただちに受けたものか判じがたいが、受けていたこと自体は確実だろう。

2022年2月18日 (金)

接種3回目

母が新型コロナウイルスワクチンを接種して3日経過した。

目立った副作用もなくほっとしている。最初2回はファイザー製だったのが今回はモデルナだったので気にはしていた。何よりかかりつけのお医者さんに打ってもらえることが支えになっていて、銘柄は気にならぬと申していた。ワクチンに「銘柄」も何もあったものではないが、先生からの説明を受けて、「ああ、キリンの次にアサヒを飲むようなものね」と納得していた。

頭がいいのか悪いのかわからぬが、これが母の平常運転だ。

2022年2月17日 (木)

曾孫弟子

ブラームスの恩師として名高いエドヴァルド・マルクゼン(1806-1887)は、ブラームスにピアノと作曲を教えた。ショパンやシューマンやメンデルスゾーンより少しだけ年上の同世代だが、教育内容はいわゆるロマン派に偏重してはいなかった。バッハからウィーン古典派に至る伝統をも体系的に叩き込んだとされている。

このマルクゼンの先生はイグナーツ・クサーヴァー・リッター・フォン・ザイフリート(1776-1841)という人だ。当時のウィーンで大変高名な作曲家だったらしい。ベートーヴェンとほぼ同世代の少し年下だ。

このザイフリートに作曲を教えたのはヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー(1736-1809)という人だ。この人もウィーンで活躍した人で、シュテファン教会の楽長まで務めた大物だそうだが、何よりもベートーヴェンの先生であったことで名高い。

さらに驚いたことにザイフリートにピアノを教えたのが、モーツアルトだという。

師弟関係を辿る限り、ブラームスは作曲面ではベートーヴェンと同門で、ピアニストとしてはモーツアルトの曾孫弟子ということになる。納得。

 

 

2022年2月16日 (水)

守護聖人

膨大な数に上るであろう信者の願いを聞き届けるには、神一人ではさすがに忙しいからかどうか判らぬが、キリスト教圏とくにカトリックでは守護聖人の概念が浸透している。特定の地域、特定の職業、あるいは特定の条件を満たす人毎に担当が決められている印象だ。それが守護聖人である。彼等は神ではなく人間だ。

ブラームスにゆかりの深いところで申すと下記の通りだ。

  1. ハンブルク 聖マリア
  2. ウィーン 聖シュテファン
  3. 音楽家 聖セシリア(イタリア語だとチェチーリア)

聖クララは目を病む人々の守護聖人だし、聖アントンは養豚業者の守護聖人になっている。肉屋の長男がアントニンなのはつくづく理論的だと思う。ちなみに日本の守護聖人はフランシスコ・ザビエルだ。

私の守護聖人はもちろんヨハネス・ブラームスである。

 

 

 

 

2022年2月15日 (火)

レンタルピアノ

一流のアスリートに対し、メーカーが用具を無償提供するケースがある。一流選手が使用しているということ自体が、巨大な広告と同じだから、メーカー側に十分なメリットがある。

ウィーン進出以降、ブラームスは瞬く間に楽壇における地位を上げていった。彼が演奏会で弾くピアノには注目も集まろう。メーカーはそこに目を付ける。シュトライヒャーというウィーンのメーカーが、カールスガッセの自宅用にとピアノを1台貸与する。

1872年のことだ。カールスガッセへの転居と同時に貸与されたと解されよう。そしてそれは、ウィーン楽友協会の芸術監督に就任した時期とも一致するのだ。

そのピアノはブラームスが没するまでその部屋にあった。つまり終身貸与である。これが有償だったか無償だったか定かではないが、心証としては「そりゃ無償に決まってンだろ」という感じである。

2022年2月14日 (月)

女帝

日本なら「女性の天皇」の意味。欧州なら「女性の皇帝」だろう。

オーストリア・ハプスブルク家で申せばほぼ「マリア・テレジア」の代名詞だ。ドイツ語では「Kaiserin」という。「Kaiser」の女性形だ。しかししかし、カイザーというのは王の中の王だ。神聖ローマ帝国は「女帝」を認めていないから、彼女は厳密に言うと皇帝ではなく、女帝とは言えない。

「事実上の女帝」である。皇帝はあくまでも婿のフランツ1世である。プロイセンにいちゃもんを付けられたが、実質的には家事から国事まで全てを掌握してた国の母であった。

オーストリアの地図を開く。首都ウィーンの南およそ40kmの場所に「Theresiendorf」という地名があるほか、「Maria」または「Marien」で始まる地名がオーストリアには大変多い。

 

 

2022年2月13日 (日)

大公

ドイツ語「Erzherzog」の訳語。単なる公爵「Herzog」より偉いという意味がある。

神聖ローマ帝国では、皇帝を選ぶ選挙があって、投票権の保有者を選帝侯と呼んだ。制度正式発足時7名が名を連ねた。不思議なことにこの7名にハプスブルク家が含まれていない。長らく疑問だった。

これは当時の皇帝、ボヘミア王カール4世の陰謀だ。ルクセンブルク家出身のカール4世はライバルであったハプスブルク家をはずしたのだ。1396年の金印勅書でそう決めた。

ところがこれを逆手に取る切れ者がハプスブルク家に現れた。ルドルフ4世という。ハプスブルク家は選帝侯たちより上位にあるからといって、「オーストリア大公」を名乗った。公爵より上だという理屈だ。「選帝侯はどんなに偉くても選ぶ側」であり、ハプスブルク家がそれに入っていないのは「選ばれる側」だという理屈だ。

後にハプスブルク家が皇位を独占する法的根拠になったから、この知恵比べはルドルフ4世の勝ちだ。ベートーヴェンのパトロンとして名高いルドルフ大公など、オーストリア・ハプスブルク家には何かと「大公」が登場するのはそのせいだ。

 

 

2022年2月12日 (土)

アリーチェ・シュトラウス

ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の娘。3人目の妻アデーレの連れ子である。

彼女がブラームスにサインをねだった。ブラームスは「美しく青きドナウ」の一節をサラサラと書きとめ、「残念ながらヨハネス・ブラームスの作品にあらず」と添えた。ブラームスとヨハン・シュトラウスの交流を語る際、忘れられることのないエピソードである。

ブラームスは彼女の結婚の際、証人役を引き受けるよう要請されたが、格式ばった格好をするのが嫌できっぱりと断っている。

その一方で婚約のパーティには喜んで呼ばれている。さすがにワルツ王の娘の婚約パーティだから、一流の音楽家がはせ参じた。クネイゼル弦楽四重奏団の、メンバーに混じってイローナ・アイベンシュッツがブラームスのピアノ四重奏曲第1番ト短調を弾いたという。譜めくりが後の大指揮者ニキッシュだったというから華麗である。

2022年2月11日 (金)

作曲家生活50年祝賀会

1894年に行われたヨハン・シュトラウス2世の作曲家生活50周年記念祝賀会の話題が、ブラームスとホイベルガーの会話に出現する。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻の117ページだ。

せっかくの祝賀会に楽友協会の幹部3人が揃って欠席だった話。その理由にブラームスが言及している。ブラームスはその理由を「許されざる結婚」と称している。ヨハン・シュトラウスの3度目の結婚を指している。2番目の妻リリーが劇場支配人シュタイナーと駆け落ちして、その後アデーレと結婚したのだが、2番目の妻とは死別ではない。カトリックは離婚を認めないから、アデーレとの結婚には道義的な問題が生じるという筋立てだ。

楽友協会の上層部に加え、大臣や政府高官などのVIP、あるいは宮廷の音楽家たちも軒並み出席を見送った他、ウィーン市は名誉市民権も贈らずにお茶を濁した。

カトリックの街ウィーンにとってはゆゆしき結婚だったという訳だ。

2022年2月10日 (木)

シュトラウスの妻たち

1862年8月27日37歳のヨハン・シュトラウス2世が最初の結婚をした日だ。ブラームスがウィーンに進出する3週間ほど前の話。花嫁の名はヘンリエッテ。新郎よりも7歳年上だったといわれている。年長の妻と並んで舐められないようにというのが髭をたくわえはじめたキッカケだったと噂されている。ヘンリエッテが卒中で亡くなるまでの16年間、充実した結婚生活をベースに旺盛なペースで作品を生み出した。

2番目の妻との結婚は、先妻の死から6週間後で、花嫁は25歳年下のリリーという学生だったが、およそ4年後に某劇場支配人と駆け落ちしてしまう。こうした場合の再婚には難儀な手続きが要るが、シュトラウスはめげずに再婚に踏み切った。カトリックの街ウィーンはつめたい視線を送る。

3人目の妻をアデーレという。彼女の連れ子だった娘に、サインをねだられたブラームスは、差し出された扇子に「美しく青きドナウ」の一節をしたため、「残念ながらヨハネス・ブラームスの作にあらず」と記した。

2022年2月 9日 (水)

組の名前

世界中で親しまれているウィーン少年合唱団は、10歳から14歳までの男子およそ100名によって構成されている。形としては全寮制の私立学校になっている。彼らは4つの組に分かれてローテーション制で活動し、王宮ミサでの歌唱に穴が開かないようにスケジュールがくまれているという。

その4つの組は「ハイドン」「モーツアルト」「シューベルト」「ブルックナー」というウィーンゆかりの作曲家名になっているらしい。

  1. ハイドン ローラウ生まれ。1861年エステルハージ家に仕えるようになってからほぼ39年ウイーンに住む。。
  2. モーツアルト ザルツブルク生まれ。1781年から10年間ウィーンに住む。
  3. シューベルト ウイーン近郊生まれ。1797年から死去まで31年間。
  4. ブルックナー アンスフェルデン生まれ。ほぼ1868年から死去まで28年間。

「ウィーンゆかりの」というのは必ずしもウィーン生まれを意味していないのは明らか。ベートーヴェンは1792年から没するまで35年間、ウイーンで生活していた。ブラームスは1862年以降没するまで35年間ウィーンに住んだ。2人とも上記4人の中に置けば、ハイドンに次ぐ居住年数になる。ウィーン生まれのシューベルトは当確で文句も出まいが、この4名の人選は多分にイメージも影響していると思う。

楽友協会の芸術監督だったブラームスが「ウィーンゆかり」の審査基準で落選とは解せない。1年の3分の1が避暑地暮らしだった上に、演奏旅行でウィーンを明け勝ちだった生活実態が考慮されて留守補正がかかったかもしれない。

2022年2月 8日 (火)

ピアニストとしての評価

1862年にブラームスはウィーンに進出した。そこでもさっそく仲間を作って、コンサートに出演しているが、ピアノソロのリサイタルは記録に残っていないように見える。自作室内楽のピアノパートを弾くなど、アンサンブルを楽しんだようだ。

ウィーン進出前のハンブルクではピアノ独奏作品を演奏会で弾くことも多かったが、ウィーンではそうでもないようだ。少し詳しい伝記には書いてあるが、ブラームスのピアノの腕前は、当代一級のヴィルトゥオーゾたちと比べると見劣りしたらしい。

そして決定的なことが起きる。ウィーン楽友協会の芸術監督在任中、ある種の陰謀によって、ブラームスを独奏者に据えた、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の演奏会が催された。本人が気乗りしないこともあってか、散々の出来だったらしい。ウィーンでの評価は残酷で、「優れた作曲家だが、下手なピアニストで、指揮者としてはその中間」などと評された。楽友協会芸術監督を間もなく辞任し、その後終生実務を伴うポストに着かなかった理由が、この手のわずらわしい人間関係だと言われている。

言われた当初はショックもあろうが、満更でもない評価かもしれない。音楽の都ウィーンで「優れた作曲家」と認められるとは、素晴らしいではないか。CDやレコードの無い当時、優れたピアニストは生きている間の話だ。時代を超越するなら優れた作曲家の方が都合が良い。

現に死後100年以上経過した、はるか東方の日本でオヤジを一人虜にしている。

2022年2月 7日 (月)

ヘルベック

ヨハン・フォン・ヘルベック(1831-1877)は、ウィーン生まれの作曲家、指揮者だ。20代で頭角を現し、宮廷楽団楽長、宮廷オペラ指揮者、楽友協会芸術監督を歴任した。ブラームスがウィーンに進出した頃には既に、そこそこの地位にあった。

ブラームスは1862年にウィーン進出を果たすと、まずは室内楽のピアニストとして楽壇にデビューした。いくつかの演奏会のセッティングではヘルベックの世話になっているし、ヘルベックはブラームスの作品を評価した。同世代の音楽家として意気投合したというニュアンスだ。

ところが1872年になると、この同じ人物が違うニュアンスで描写される。この年ブラームスはウィーン楽友協会芸術監督に就任するが、ヘルベックはその前任だ。ヘルベックがその地位に未練があり、ブラームス在任中に水面下で復帰を画策したとされている。1873年5月にウィーンはバブル経済が崩壊し、演奏会の入りが悪化した。これをブラームスのプログラミングのせいだとする一派が、ヘルベックを担ぎ出したとも考えられているが、10年前の意気投合もどこへやらという感じである。

ブラームスはこの手の非音楽系の揉め事に嫌気がさしたのか1875年春をもって退任し、その後任にはヘルベックが収まった。

1876年12月18日、このとき楽友協会芸術監督だったヘルベックの指揮によりブラームスの交響曲第1番がウィーンで初演された。ハンスリックの批評が遺されているが概ね好意的だ。このシーズンはヘルベック最後のシーズンになった。翌年ヘルベックは46歳の若さで急死する。

ブラ1で最後の花道かもしれない。

 

 

2022年2月 6日 (日)

ヘルメスベルガー

ヨーゼフ・ヘルメスベルガー(1828-1893)ヴァイオリニスト。父ゲオルクも著名なヴァイオリニストで同名の息子もヴァイオリニスト、さらに弟はチェリストという音楽一家だ。

1870年代後半からウィーン高等音楽院の校長だったらしい。ブラームスと同時期にウィーンで活躍した音楽家だから、少し詳しいブラームス本ではたまに言及されている。1862年ウィーン進出間もないブラームスが、ピアノ四重奏をメインに据えた演奏会を開いた。このときにヴァイオリンを弾いたのがこの人だ。

一方、この人はウィーン・ワーグナー協会の設立発起人の一人である。どちらかと申せば「あちら側」の人だ。楽友協会の芸術監督を退任後、音楽院で教鞭を執ることが無く終わったブラームスだが、ヘルメスベルガー校長の下では気が乗らなかったのかもしれない。

かの名高いヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーはウィーン高等音楽院時代ヘルメスベルガーに師事していたという話は昨日しておいた。

 

 

2022年2月 5日 (土)

フリッツ・クライスラー

1875年2月2日ウィーンに生まれたヴァイオリニスト。小さな奇跡に浮かれていたので言及が遅れた。

ヨアヒムの後継者に相応しい技量と品格、名声を併せ持つ。ヴァイオリン演奏だけにとどまらず、作曲の腕前も確かだ。ヨアヒムといいクライスラーといい、ブラームスのコンチェルトの中に置かれても遜色のないカデンツァを作るくらいだから、作曲がお留守ということは有り得ないのだ。

3歳からヴァイオリンを習い始めた彼は、1882年7歳でウィーン高等音楽院の入学を許可される。17歳ではない。7歳である。よほどの才能だ。そこではヘルメスベルガーに師事したことになっている。これほどの才能がブラームスの耳に入らなかったということは考えにくい。現にクライスラーは、ヨアヒムやブラームスと直接交流があった。

のちにフランスを経て米国に渡る。1950年に引退して1962年に亡くなった。

終生手許においた宝物がある。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の自筆譜だ。クライスラーの遺品となったその自筆譜は、現在ワシントンのアメリカ国会図書館で、コレクションの白眉となっている。

彼はおそらくブラームスを愛していたのだと思う。

2022年2月 4日 (金)

小さな奇跡

お気づきだろうか。

これらが3日連続するのは奇跡だ。ブログ「ブラームスの辞書」はこうした、偶然を軽視することなく丹念に拾い集めることで出来ている。

両端の2人は生誕で、挟まれた妻だけが命日だ。これで冥福を祈るのだからある意味幸せ。通算120万アクセスへの到達がこれに花を添えた。もしかすると先月末の異例のアクセスラッシュ で1月中に120万に到達したのは、亡き妻からの返礼のメッセージかもしれぬ。今年はきっと良い年。

2022年2月 3日 (木)

お力を借りて

昨日喜寿を迎えたペーター・レーゼル先生はベートーヴェン演奏の泰斗だ。レパートリーは広大だが、その中央にベートーヴェンが鎮座する。ブラームスのピアノ作品全集は私の一生の宝で、最高のブラームス弾きの座に長く君臨する。おそらくもうその序列は変わらないだろう。となると興味は彼のベートーヴェンだ。

いつかレーゼル先生のお力を借りてベートーヴェンを語ってみたい。

2022年2月 2日 (水)

レーゼル喜寿

本日は大好きなピアニストのペーター・レーゼル先生のお誕生日。1945年ドレスデンのお生まれだから満77歳つまり喜寿である。昨年生演奏を聴いたけれど、お元気そうだった。

おめでとうございます。

2022年2月 1日 (火)

妻二十七回忌

本日は妻の命日。1996年に亡くなったから満26年。つまり二十七回忌ということだ。すでに墓参は済ませたものの法要も会食もなしとするので、せめてブログで言及する次第。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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