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2022年2月 8日 (火)

ピアニストとしての評価

1862年にブラームスはウィーンに進出した。そこでもさっそく仲間を作って、コンサートに出演しているが、ピアノソロのリサイタルは記録に残っていないように見える。自作室内楽のピアノパートを弾くなど、アンサンブルを楽しんだようだ。

ウィーン進出前のハンブルクではピアノ独奏作品を演奏会で弾くことも多かったが、ウィーンではそうでもないようだ。少し詳しい伝記には書いてあるが、ブラームスのピアノの腕前は、当代一級のヴィルトゥオーゾたちと比べると見劣りしたらしい。

そして決定的なことが起きる。ウィーン楽友協会の芸術監督在任中、ある種の陰謀によって、ブラームスを独奏者に据えた、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の演奏会が催された。本人が気乗りしないこともあってか、散々の出来だったらしい。ウィーンでの評価は残酷で、「優れた作曲家だが、下手なピアニストで、指揮者としてはその中間」などと評された。楽友協会芸術監督を間もなく辞任し、その後終生実務を伴うポストに着かなかった理由が、この手のわずらわしい人間関係だと言われている。

言われた当初はショックもあろうが、満更でもない評価かもしれない。音楽の都ウィーンで「優れた作曲家」と認められるとは、素晴らしいではないか。CDやレコードの無い当時、優れたピアニストは生きている間の話だ。時代を超越するなら優れた作曲家の方が都合が良い。

現に死後100年以上経過した、はるか東方の日本でオヤジを一人虜にしている。

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