友人たちの物持ち
1853年秋のロベルト・シューマンとの出会いがブラームスの創作人生に劇的な転換をもたらしたことは語られる機会も多い。この前後には、シューマンの影に隠れてブラームスにとっての重要な出会いが多かった。生涯の友の何人かとこの時期に出会っている。
元々の才能に加え、こうした音楽環境の充実が創作に与えた影響は小さくなかったと思われる。ヨアヒムと対位法の諸課題について相互添削を始めたのもこのころだ。いくつかのミサ曲が作られそれが交換されたりしている。後日ブラームスは、そうした作品の返却を求めている。意に沿わぬ作品を世の中に流布させないための策だ。
返却を求められた側は概ね求めに応じているのだが、返却の前に総譜を筆写していた者がいた。WoO番号17番前後にある一連のミサ曲の断片がそれにあたる。複写機の無い時代だ。まだ海の物とも山のものともつかない無名時代のブラームス作品を筆写の手間もいとわずに手許に残しておきたいと考えた友人がいるのだ。
ブラームスが返却を求めなかったケースについては、楽譜の所有者が贈られた楽譜を後生大事に保存していた。「FAEソナタ」「左手のためのシャコンヌ」だ。それらが出版されたことをブラームス本人がどう思うかは別として、ブラームスから作品の提供を受けた者が皆楽譜をキチンと保存していたおかげで、現在に生きる愛好家を喜ばせている。
やはり楽譜は有り難いのだ。ましてや音楽史に残る巨匠から直接贈られた楽譜であるから、粗末に扱う訳がないのだ。あるいは、大切に扱ってくれるような相手にしかブラームスが作品を贈っていないとも考えられる。
ブラームスの友人たちの物持ちの良さに感謝だ。
« 時事問題 | トップページ | リヒテンタール違い »
« 時事問題 | トップページ | リヒテンタール違い »
コメント