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2022年3月31日 (木)

二の矢

2本目に射る矢のこと。「次の一手」の意味でも用いられる。次に打つ手が無いことを「二の矢が継げない」という。逆に次々と手が打たれれば「矢継ぎ早」と称される。

書籍「ブラームスの辞書」は、ブラームスが楽譜上に記した音楽用語を抜き出してアルファベット順に並べた代物だ。各々の語句には以下の要領でコメントが付与される。

  1. 一般的な意味
  2. ブラームスの作品で登場する場所
  3. 著者のコメント

このうちの1番「一般的な意味」は、通常の音楽用語辞典に掲載されているような内容だ。「Adagio」だったら「ゆっくりと」と書いてある。この部分の記述だけなら何も目新しくはない。世の中に広く流布する音楽用語辞典と何ら変わる物ではない。ブラームス作品の演奏に挑もうとする人々が、楽譜上の用語の意味を調べる。一般的な意味であればただちにたぐり寄せることが出来る。我が「ブラームスの辞書」の出番はそこからだ。一般的な意味にたどり着いてなお残ってしまう疑問を解くために書いた。

  1. スフォルツァンドとリンフォルツァンドの区別
  2. 「a tempo」と「in tempo」の区別
  3. 「Adagio」と「Lento」の区別

上記の語句個別であればいずれも一般的な意味を探すのにさしたる苦労はない。けれどもそれらの違いについて明確に言及されている例は希だ。「ブラームスの辞書」にはブラームスの使用実態からそれらの違いに迫ろうという意図がある。使用実態の分析から、よりアクティブにブラームスの真意に迫ろうという魂胆だ。

「ブラームスの辞書」は一般的な辞書でたどり着いた後に、なお残る疑問のためにある。つまりは「疑問の二の矢対策」だ。

 

 

2022年3月30日 (水)

作曲家の制約

作曲家、画家、彫刻家、版画家、小説家、書家、詩人、歌人、俳人、演奏家等々、これらを「芸術家」と一括することに異論は無かろう。きっとまだまだあると思う。芸術家の定義となると難しくもあるのだが、列挙は比較的容易だ。

この中で、作曲家だけが他と違う制約を課せられているといつも感じている。作曲家以外の芸術家は、受け入れ先となる人の五感こそ違うものの、自らの芸術を人々に直接感じさせることが出来る。

作曲家は違う。残すことが出来るのは楽譜だけだ。演奏家でさえ演奏を直接聴衆の感性に問うことが出来る。作曲の目的は楽譜を作ることではない。その先にある音楽が目的なのに、音楽そのものを残すことは出来ないのだ。目的に到達するためには必ず演奏が介在せざるを得ない。自作自演は作曲家存命中のみ可能となる。

楽譜の出来映えを誉められることなどありはしないのだ。それでも作曲家は楽譜に全身全霊を傾ける。思いの全てを楽譜に注ぐはずだ。演奏によって、正しく自作が解凍されることを念じて楽譜を仕上げるに決まっている。自作が正しく演奏されるためには、何でもするに違いない。

現在伝えられる楽譜は全てその格闘の結果として存在している。どんなに制約があっても作曲を不自由だとは思わない。むしろそれが魅力の一つだとさえ感じる。

私が「ブラームスの辞書」を書いた理由のほとんどをそれで説明することが出来る。

2022年3月29日 (火)

ブラームスの絶筆

クララがこの世で書き残した最後の文字が、ブラームス最後の誕生日に対するメッセージだった。

そこから1年を経ずしてこの世を去ったブラームスの絶筆は、どのようなものだったのだろうか。

カール・ガイリンガーの大著「ブラームス-生涯と芸術」という書物がそのことに言及している。

ガイリンガーによれば、ブラームスの絶筆はカロリーネに宛てたハガキだという。カロリーネはブラームスの母の死後、父が迎えた2人目の妻である。ブラームスより10歳年長の継母に自分の体調を書き送ったものだ。これが3月29日である。父の晩年を豊かなものにした継母や前夫との子、フリッツと父の死後も暖かな付き合いが続いていた。何とその絶筆の文面は「大丈夫だから心配するな」という内容だったという。

ブラームスは1897年3月24日つまり死の10日前にヨアヒムに宛てて自らの容態について悲観する手紙を書いていることを、ガイリンガーが明言している。カロリーネへの気丈な内容とは矛盾していることを責めてはなるまい。

2022年3月28日 (月)

楽譜の間合い

少し詳しい伝記には、ブラームスは人にピアノを教えていたことが書いてある。教えられた側の何人かが、ブラームスの想い出を記録に残している。クララ・シューマンの弟子でもある英国の女流ピアニストは、ある時ブラームスは楽譜を指差して「全てはこの中に書いてある」と言っていたと証言している。

またヘルムート・ドイチュ先生もそのご著書の中で、「レッスンは、どの道楽譜に書いてあることの指摘と確認に多くの時間を費やす」と書いておられる。全ては楽譜に書いてあるのだ。問題はそれに気付くかどうかということにあるらしい。

クラシック音楽といわれるジャンルにおいて楽譜は、ある意味で絶対である。楽譜通りということが、まず何よりも尊重される。楽譜に書いていないことをしてしまうのは、「のだめ」でなくてもご法度なのである。個人の表現は、何をおいてもまず「楽譜通り」の範囲内で行われねばならない。

音楽の保存媒体としての楽譜の優秀性がその根底にあると思われる。CDもDVDも無いことを思い浮かべるといい。発音するそばから消えてゆく音の羅列を保存するのはとても難しい。だから音を発するタイミングと音の高さと長さを記号化し、少々の語句で補足した楽譜というシステムは秀逸である。楽譜は作曲家の意図の凍結物として珍重される。演奏家によって正しく解凍されさえすれば、作曲家の意図がたちどころに復元できるのだ。

かくして楽譜は、演奏家たちの出発点であると同時に到達点という意味合いをも持つに至った。楽譜を見て正確に楽譜をトレースすることが基本なのだ。その証拠に、楽譜を見ないで演奏することが「暗譜」と名付けられて珍重されているし、楽譜から意図的に逸脱することも「アドリブ」と命名されている。あるいは、初めての楽譜を見て間違えずに演奏することにも「初見」という名前が奉られている。不思議なことに楽譜通り正確に演奏することには名前が付けられていない。実を言うとこれは、不思議でも何でもない。当たり前とされているからだ。

しかしながら、さりながら、クラシック業界あげて「楽譜通り正確に」がスローガンとして打ち出されていながら、結果としての演奏にはおしなべて演奏家の個性が宿る。この事実は貴重だ。みんながみんな同じ演奏だったらつまらないからだ。楽譜はこのあたりの突き放しかたが絶妙だ。同じ楽譜を見て演奏しているのに下手とうまいがキッチリ割れて出る。先ほどの言い方に従えば、解凍の仕方を誤ると味が落ちるということなのだ。あるいは、解凍の方法一つで、細かな味わいも自在に加減出来るということでさえあるのだ。作曲家の意図は網羅しながら、演奏家の個性の宿る余地も残されているという距離感が絶妙と言わねばならない。こうした微妙な塗り残し感覚が楽譜の最高の長所かもしれない。

 

 

 

 

 

 

2022年3月27日 (日)

好都合

ブログの運営に何が好都合かといって、話題の中心人物のヨハネス・ブラームスが既にこの世を去っていることだ。ブラームスと時代をともにした人物も全て存命していない。私が著書やブログでどれほど荒唐無稽な寝言を繰り返しても、本人やそれに近い関係者から否定されることはあり得ない。

当時を知る人が居ないという点では、極端な話、邪馬台国論争と一緒で、自説の中で女王の都をどこに持ってゆこうがどこからも文句は来ない。影で密かに失笑を買う可能性を別とすれば沖縄だろうがエジプトだろうがフィリピンだろうが奈良県だろうが九州だろうが同じである。私が著書やブログで申し上げていることも同様だ。どれほど理屈をこね回しても本人が出てきて「ば~か」と言われればおしまいである。

それ以上に性質が悪いのは、私自身がブラームスから「ば~か」と言われるなら本望だと開き直っていることかもしれない。

 

2022年3月26日 (土)

自主規格

自分が定めた決まりのこと。味も素っ気もない定義だ。「~を名乗るからには最低備えておきたい資質」とでも付け加えねば横着が過ぎよう。

ブログ「ブラームスの辞書」にもこの自主規格がある。「辞書」を名乗る以上、用語解説の充実は必須である。大事なことは規格そのものではなくて、「自ら定めた」という点だ。元々世の中に決まりが存在しているわけではないが、自らを律するために必要だという判断をしている。

振り返って世の中には、国などの公的機関が定めた規格が存在しないために、業界自ら定めた規格は少なくない。実はこの用法が最も多い気もしている。「どうせ自主基準だし」という少々のいじけも含まれている。

クラシック音楽業界、あるいはブラームス音楽業界で自主規格を定めて欲しいことがある。「暗い」「憂鬱」「渋い」「諦観」など、ブラームスを彩る単語の定義が甘くて困る。大したコンセンサスもなく用いられている気がする。楽譜のどこがどうなっていた場合に「暗い」という形容をしていよいのかさっぱり見当がつかない。Aさんの言う「憂鬱」とB先生の言う「憂鬱」が同一の事象を指しているかいないか不明のことも多い。もちろんブラームス自身はこのような日本語を楽譜に書いていないから「ブラームスの辞書」では収録の対象外である。

書籍「ブラームスの辞書」の最終目的は、ブラームスが用いたイタリア語またはドイツ語の音楽用語についての業界基準の設定にある。荷が重いけどがんばる。

2022年3月25日 (金)

森を歩く

ブラームスは「どうしたらピアノが上達しますか」という問いに、半ば真顔で「森を歩くことだよ」と答えたことがある。早起きして森を散歩しないのは人生の損失だと言わんばかりだ。

ウィーンに居るのは寒い季節だが、夏の避暑地滞在中は本当にこの通りの規則正しい生活をしていた。

健康に良いことはもちろんだが、ブラームス本人が芸術上のメリットと認識していたことは確実だ。朝の森で遭遇するさまざまな光景が、創作の肥やしになっていたことは動かし難い。

さて、私は普通のサラリーマンだ。かつては郊外の我が家と都心の職場の往復に明け暮れていただけだから、森には縁がない。今は在宅勤務の定着によって消滅した通勤時間の有効活用ということで夕方散歩にあてているが、森が調達できない。

それでもよく記事のネタを思いつく。あるいは書店、CDショップ、楽譜屋の徘徊も、記事のひねり出しに効果がある。ネタに困ったら書店、音楽書ばかりではなく歴史書や地図・観光ガイドの売り場も含めて散歩することにしている。知識の森の散歩である。

2022年3月24日 (木)

デナリ

北米最高峰。アラスカのデナリ山で標高は6190mある。

本日のこの記事はブログ「ブラームスの辞書」開設以来6190本目の記事である。その間記事更新の抜けがないこともまたお約束として伝えておく。

2022年3月23日 (水)

気の長い話

よいネタを思いつき、よい記事が書けたとしよう。記事の備蓄が進んだことにより、その記事の公開が1年以上先ということも珍しくなくなってきた。気の長い話だ。あるいはブログ「ブラームスの辞書」にたどり着いたキーワードを見ていて、その言葉がまさに昨日書いた記事の核心だったりすることがある。そういう時に公開予定があまりに未来だとたじろぐ。せっかくブログにたどり着いた人がいても核心をつく記事は、今現在非公開ということだ。これには心が痛む。ブログが一発で見捨てられないことを祈りたくなる。

2022年3月22日 (火)

絶対音楽の裏をかく

ブラームスは「交響曲」「協奏曲」「ピアノソナタ」「弦楽四重奏曲」「ワルツ」など、既に世間での位置づけが決まっているタイトルを、作品の表紙に掲げ続けた。音楽史上、ブラームスが開祖となったジャンルは無い。誰かが既に名付け、ある程度世間に受け入れられたジャンルの名前を付けたということだ。

こうしたタイトルを掲げることで、演奏者や聴衆の側に生じる先入観の裏をかくことが、ブラームスの狙いだったのではと感じることがある。

  1. 交響曲各楽章の調性配置
  2. とりわけ第3楽章の異質な調性と舞曲の放棄
  3. ヴァイオリン協奏曲における4分の3拍子の第1楽章
  4. ピアノ協奏曲における独奏ピアノとオケのからみ。
  5. 弦楽四重奏第3番の「アレグロ不在」
  6. ワルツの標題を掲げながら実質はレントラー

上記はみな古来の慣習と違う選択をした結果だ。それに気付く気付かぬには関知しないブラームスだが、気付けばその周辺から新たな味わいが広がる。

保守派の重鎮、絶対音楽の旗手という評価が高まるほど、このようなひねりが効果的だったと考える。

2022年3月21日 (月)

息をするようにバッハ

ビオンディさんのシャコンヌに触れてまたそぞろバッハが忍び寄ってきた。

見ての通り、ブラームスラブを標榜してやまない我がブログだが、この先バッハを始めとするドイツバロック関連の記事については、バロック特集を打ち出すことなくいつでも発信可能とする。

言わば「息をするようにバッハを吐きたい」からだ。思いついたらバッハに言及する。何ら構えることなくだ。ブラームスもお望みだろう。

新型コロナウイルスの「蔓防」規制も本日をもって解除だという。きっとバッハさんのお指図だ。

 

2022年3月20日 (日)

3度目のファイザー

私自身3度目のワクチン接種から3日経過した。今回もファイザーだったが、副作用は少し増した。接種翌日に37度台中盤が続いたけれど、折り込み済とばかりに日常生活は粛々と続けることができた。昨日は墓参りに出かけて無事を報告した。

腕の重みも今朝までには解消した。

2022年3月19日 (土)

話の脈絡

徳島坂東のドイツ俘虜収容所の話の翌日からお金にまつわる話を続けた。

その途中に、住宅ローンの完済 の話を忍び込ませた。3月14日に25年ローンが終わるのを自ら祝うマネーネタのささやかな羅列であった。

こう見えて周到。

 

2022年3月18日 (金)

金銭感覚

お金に関する価値観は人それぞれだ。その人の立場や収入によって規定されることも多い。

記事「労働者の年収」で1882年のライプチヒの下級労働者の年収が推定出来た。およそ1000マルクだ。日本円で約50万円らしい。ブラームスの交響曲1曲の値段が15000マルクだという記事も書いた。日本円で約750万円だと述べ、高いような安いような微妙な値段だと論評している。ところが下級労働者の15年分の収入だと思うと、印象が変わる。

この周辺の金銭感覚は出来るだけ多くの実例を集めて、より現実感覚に即した解釈をしないと実態を見誤りかねない。

ブラームスに対抗する陣営の首領リヒャルト・ワーグナーの伝記を読んでいるとお金の使いっぷりに驚くことがある。ドイツの上流階級の年収の5倍の金額を1ヶ月で使ったというような指摘もある。これもまた一種の金銭感覚のなせる業である。

2022年3月17日 (木)

楽友協会に寄付

継母カロリーネに10000マルクの寄付をした話をした。

1896年7月にも10000マルクの寄付をした。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻182ページに、ホイベルガーの証言が載っている。

ウィーン楽友協会に6000グルデンを寄付したらしい。マルクに換算すると10000マルクと少々になる。一部を文書室の引越し費用に当てるという条件付だという。500万円に相当する大金だ。下級労働者10年分の収入に相当する。

この前に英国のブラームス愛好家の遺産からブラームスに1000ポンド寄付があった。約1000万円だそうだ。そのうち半分をポンと楽友協会に寄付し、残りもどこかに寄付したという。

このときブラームスは既に体調の変化を自覚していた。

2022年3月16日 (水)

続10000マルクの寄付

当時の10000マルクは現在のお金にして約500万円だという。晩年のクララにブラームスが半ば強引に援助したことは既に書いた。

ブラームスの弟フリッツが1886年に亡くなった。生前あまりソリが合わなかったブラームスだったが、当時としては結構な金額の遺産がブラームスにも回ってきた。その金額が10000マルクだったのだ。

ブラームスは迷わずその全額を継母カロリーネに贈与した。フリッツが病気の時の献身ぶりに対するお礼とも言われている。

父の晩年を穏やかなものにしたカロリーネに対する暖かな心配りはこれだけではない。先夫との間にもうけた息子フリッツとも親しく文通していた。何よりもブラームス自身の死去に際して、遺産遺品の一部が本人の意思でカロリーネに贈られた。それらは息子フリッツを通じて現在に伝えられているという。

 

 

2022年3月15日 (火)

完済

昨日の引き落としをもって25年の住宅ローンが完済となった。いやいやもう感動的だ。よく持ったなという感じ。25年間ずっと引き落とされてきたから、来月から引き落とされないという実感が持てないでいる。

気が付けば春。

2022年3月14日 (月)

資金運用

ブラームスの収入源は主に以下の4種類だ。

  1. 奉職 ジンクアカデミー、楽友協会の監督
  2. 個人レッスン ピアノや作曲
  3. 演奏会
  4. 作品の報酬

1は、ほんの一時。1875年に楽友協会監督を辞してからは途絶えた。個人レッスンは細々。

だから上記3と4が二本柱と言える。

演奏会の報酬はまとまった金額だった。演奏会のシーズンは秋から冬の間。この間に開く演奏会のギャラで年間の生活費が賄えた。夏のリゾートでの滞在費まで含む。ひとえに質素な生活のおかげ。

残る上記4は、交響曲1曲で750万円を受け取るなど、ジムロック主導で細かい価格表が決まっていた。けれども、生活費は演奏会の上りで賄えたので、作品出版の報酬は丸ごと浮いた。浮いたお金は資金運用に回していたということだ。生活費を削っての投資ではなく、文字通り余剰金の運用だった。

 

 

 

 

2022年3月13日 (日)

取引銀行

ジムロックに加えもう一人、フェリンガーがブラームスの預金口座を管理していたと推定した。しからばそのブラームスの口座はどのような銀行だったのだろう。

なかなか資料が発見できないが、思わぬ所に手がかりを見つけた。音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」という本の最終章に、盛大な葬儀の様子が書かれている。会葬者の名前が列挙される中に以下のような件を見つけた。

銀行家リッター・フォン・ドゥチュカ

会葬者および花輪の送り主は本当に多岐にわたっており個人団体合計でざっと100もの名前が記されているが、銀行家と明言されているのは、この人だけだ。さすがに音楽関係の名前が多いから、銀行家という肩書きは異彩を放っている。

銀行家が自らの肩書きを隠さずに葬儀に参列するというのはどういう状況が考えられるだろう。ブラームスが本人名義の口座を開設している銀行の首脳部と考えては行き過ぎだろうか。ましてブラームスは個人の顧客とはいえ相当な預金額だったに決まっている。世間での知名度を考えれば、銀行の頭取が葬儀に出席しても不思議はない。

それがジムロック社あるいはジーメンス社の取引銀行である可能性さえ想像してしまう。

 

 

2022年3月12日 (土)

リスク分散

ブラームスの財産管理はベルリンのジムロックだとばかり思っていたがどうももう一人いたようだ。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻の179ページにウィーンのフェリンガー博士の名が上がっている。巨大企業ジーメンス&ハルスケ社のハプスブルク支店長で、彼の屋敷にはしばしばブラームスも出入りしていた。

ジムロックからの楽譜の出版は、ブラームスの収入の源泉だから、それをもたらすジムロックが管理するのは理にかなっている一方、普段ウィーンに住むブラームスの日常生活用のお金は、いちいちベルリンから取り寄せるのは不便だ。生活の本拠であるウィーンにも財産管理人がいるほうが何かと好都合だろう。リスク分散というより利便追求の結果だという気もする。

銀行にも顔が利くのだろう。うってつけの人物だ。

2022年3月11日 (金)

もう一人の財産管理人

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻179ページにある話題。ホイベルガーの証言だ。ウィーンのフェリンガー博士がブラームスの財産を管理していると書かれている。ブラームスの財産の管理といえば、友人のフリッツ・ジムロックが有名なのだが、フェリンガー博士も管理を分担していたと受け取れる。

フェリンガー博士は、大企業ジーメンス&ハルスケ社のハプスブルク帝国支社支配人という地位にあるセレブでありながら、家族ぐるみでブラームスと付き合っていた。

ジムロックの本拠はベルリンだったから、同じウィーンにも財産管理人がいたほうが便利だったのかもしれないが、ホイベルガーの勘違いという可能性も心に留めておきたい。

2022年3月10日 (木)

JRよりウクライナへ

先日買い物に出かけて発見した。JR船橋駅の総武緩行線のホームだ。

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東西線のライトブルーと総武線のイエローが、もろにウクライナ国旗に見える。

朝晩の通勤時間帯に東京メトロ東西線が津田沼まで乗り入れするから、乗客に整列を促すペイントだ。ライトブルーならばJR京浜東北線でも代替可能に見えるが、総武線との接点は秋葉原駅だけ。しかもホームが2階と3階に分かれているから、ホーム上のペインティングは共存できない。よってライトブルーの東西線とイエローの総武線だけが同じホームを共用する駅でしか起きない現象となる。総武線の津田沼、東船橋、船橋でしか起きない。もしかすると中央線側の中野三鷹間でもこうなっているかもしれない。皮肉にも東西線の終点・西船橋は総武線と東西線のホームが別なので見ることができない。考えれば考えるほど貴重だとわかる。

思わず立ち止まって頭を垂れた。

2022年3月 9日 (水)

坂東ドイツ人捕虜物語

某古書店をうろついていて、うれしい掘り出し物に出会った。

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1982年に刊行された「坂東ドイツ人捕虜物語」という書物。第一次大戦の際、中国・チンタオで捕虜になったドイツ兵の物語。米国の研究家の本を和訳したもの。第九日本初演で名高い徳島坂東のお話を、米国人が冷静に淡々と描いている。訳もいいのだろう。爽やかな余韻に浸れる。特に印象深いのは「彼らは捕虜としてやってきて、友として去っていった」というフレーズだ。

今戦争を考えている。

 

 

2022年3月 8日 (火)

四国八十八か所一番札所

四国に点在する空海のゆかりの寺院が88か所あって、それらを参詣することを「四国遍路」と呼んでいる。全行程およそ1500kmだ。なんでも一番は気になるもので、一番札所はとしらべてみると、徳島県鳴門市の竺和山霊山寺だとわかる。西暦815年行基の開山だなどという基礎情報にはすぐにたどりつく。

ブログ「ブラームスの辞書」的に大切なことがある。同寺は、坂東ドイツ人捕虜収容所から1km少々の位置にある。1918年3月8日、同収容所の捕虜たちによる「芸術と技術の展示会」が本堂をメイン会場に開催された。ドイツの高い技術を示す目的で捕虜たちがさまざまな品物を出店した。12日間の会期におよそ5万人がおとずれた。日本人の入場も認められたばかりか東久邇宮殿下の来臨があるなど、日独の交流に一役買ったという。

2022年3月 7日 (月)

フラジオレット

弦楽器の奏法の一つ。弦の振動の節に触れることによって澄んだ高い音を出すことが出来る。これをフラジオレットと呼んでいる。弦の長さの「整数分の1」の場所に軽く触れることで出すことが出来る。きれいな音を出すには触れる位置に加えて触れる強さも大切だ。初心者は得てして強く押さえすぎているという。さらには右手側にも協力が求められる。弓と弦の接する位置や力加減も重要だ。

自然フラジオは開放弦に対して「整数分の1」の場所を触る。ところがこれに対して左手の1の指で弦を押さえて、残る指で弦に触る「技巧的フラジオ」もある。

ヴァイオリンの超絶技巧を披露する場合、これらのフラジオレットがちりばめられることがある。音色がきれいで澄んでいるから作曲家が意図的にフラジオレットを指図する場合も少なくない。

さてさて原則としてブラームスは作品上にフラジオレットを自ら指図していない。2つのコンチェルトにあったかどうか。気になりだすと落ちつかない。

 

 

2022年3月 6日 (日)

影譜

弦楽器初心者にとっては、音を出すこと以外にも、いろいろ課題が多い。長い休みもその一つだ。つまりは休符が数えられないのだ。オケの曲では大抵弾きっぱなしだから音が無い小節を数えることに慣れていない。仮に数えていても、本当に合っているのか半信半疑である。こうした不安な気持ちは次なる出番における音質に現れてしまう。

大学入学後に始めたヴィオラでのデビュー演奏会でブラームスの第2交響曲を弾いた。第1楽章の最初の出番はこの長い休符の後にやってくるのだ。16小節間丸々休んで、第17小節の3拍目から「p dolce」の伸ばしだ。音楽的に明確な段落の区切りとは関係がないから、慣れるまでは厄介だ。

あるいは、弦楽六重奏曲第1番の第1楽章のセカンドヴィオラも、最初の出番までに同じような長い休符がある。こちらは22小節休む。

長い休みの間のこの手の不安に対処するため、他のパートの音が小さな音符で記載されていることがある。この小さな音符のことを「影譜」という。知らずにこれを弾いてしまったという初心者の笑えぬ話もある。長い休みの後の入りを間違えないための措置だから、影譜に現れるのはよく聞こえるパートということになる。仮にそれがクラリネットなどの移調楽器だとしても、影譜になるときは実音の記譜になるようだ。

パート譜にだけ現れる影譜には作曲者の意図は反映していないと思われる。「ブラームスの辞書」では集計の対象にしていないが、無視し得ぬ作法もありそうだ。

気になりだすと落ちつかない。

2022年3月 5日 (土)

ディヴィジョン

管弦楽曲弦楽器の楽譜中にあって、同時に発するよう記された音をパート内で手分けして弾けとする指示。記譜上では重音奏法と変わらぬ表示になる。手分けの数だけ五線の段を別にすれば明快確実なのだが、諸般の事情でそうも行かない場合「div」という略号を音符に添える。ちなみに「div」の解除には「unis.」と記される。「ユニゾン」の意味だ。

複数記された音を、手分けして単音として弾いてオーケストラ全体で帳尻を合わせた場合と、個人個人が全部重音奏法をした場合では、結果として得られる響きに違いが出る。重音がキッチリはまった時にあごに感じる心地よい響きは格別だ。これがパートの人数分増幅されるのだから効果は絶大だ。作曲家たちは当然それを知っている。

「ブラームスの辞書」ではこの「div」はカウントの対象にしていないが、「div」にはいろいろな疑問点もある。たとえば最大の関心事は「div」は作曲家の意図かどうかである。学生時代の経験では、指揮者から重音にこだわって音程が悪くなるより「div」にして確実に音を捉えるように言われることが多かった。後世のある段階でのそうした指示が楽譜上に混入している可能性もあるかもしれない。

絶対に「div」にして欲しくない場所にはしばしば「non div」という書き込みが現れる。これもまた作曲家本人の意思かどうか怪しい場合もあろう。

複数の音符が記載されいいて、かつ「div」とも「non div」とも書かれていない場所はいったいどういう位置付けになるのだろう?物理的に重音奏法が不可能な場所は当然「div」としても、現実的でないくらい難しい重音になる場合でさえ、「何が何でも重音を」という作曲家の意図である可能性もあって悩ましい。気になりだすと落ちつかない。

2022年3月 4日 (金)

練習番号

室内楽や管弦楽の楽譜に記された目印。番号ではなくてアルファベットのこともある。音楽進行上の区切りのよい場所に置かれて、練習の際演奏者や指揮者が話題の箇所の認識を統一するのに重宝である。

1番括弧や2番括弧の始まりあるいは、複縦線のように、簡単に言葉で指し示すことが出来る場所には置かれない。小節番号を言うやり方は、休みの多いパートにとっては必ずしも簡便な方法とは言えないから、練習番号は貴重である。効率的な練習のためにあると断言出来るだろう。だから「練習番号」と言うのだ。

今更人に訊けない疑問がある。作曲家自身が練習番号の位置を指定しているのだろうか?ブラームスの諸作品にも作品番号が出現するが、これはブラームス本人の指定によるものなのだろうか?

「ブラームスの辞書」では、練習番号は収録の対象外としている。つまり練習番号の指定にブラームス本人は関与していないという立場だ。

気になり出すと落ち着かない。

 

 

2022年3月 3日 (木)

譜読みの友

「ブラームスの辞書」は書籍もブログも譜読みのためにある。

感動する箇所を楽譜上で特定し、必ず存在するに決まっている感動理由を探索する果てしない旅のガイドブックとして読まれたい。指揮者Aの演奏では感動するのに指揮者Bの演奏では感動しないというケースはもしかするとその理由は楽譜上にないかもしれない。けれども誰の演奏でも感動するなら、その源泉は楽譜に求めざるを得ない。

作曲家は、およそ古典派以降、作品が自らの死後も長く愛好されることを願っていたに決まっている。そのためにはあらゆる情報を楽譜に盛り込んだはずだ。それを楽語の切り口から読み込んでみたいとするのが「ブラームスの辞書」の譲れぬスタンスである。

内容には不備も手抜かりもあるに決まっているが、少なくとも議論のキッカケくらいの役には立てると、自らを鼓舞している。

2022年3月 2日 (水)

譜読みは楽しい

クラシック音楽に親しみ始めた頃まで遡る話だ。私は作品を気に入れば気に入るほど、楽譜を参照したくなる傾向があった。もちろん弾く気はないし歌う気もない。それでも作品を気に入ると楽譜が見てみたい方だった。感動するその場所の楽譜がどうなっているのか見たいのだ。感動の源泉が楽譜上に存在するに決まっているからだ。

音楽を介在させずに作曲家の意図に浸りたいと感じることが多々ある。演奏には弾き手歌い手の解釈が必ず混入してしまうのに比べ、楽譜は1歩だけ作曲家に近い。注意すべきは校訂者と出版社の癖だけになる。中学の頃にはさすがにそこまでは考えていなかったが、今になって振り返るとそういうことかと思う。

目指しているのは、事実上片っ端から譜読みして、演奏しないで放置する状態だ。つまり私はこの状態を「積ん読 」に含めたくないということだ。

2022年3月 1日 (火)

積ん読

「つんどく」と読む。入手した本が読まれない状態のことを表す俗語。1冊や2冊では用いられない気もする。1度読んだだけで放ったらかしという状態も、含まれるかどうかは議論の余地がある。書籍本来の目的は、申すまでもなく読まれることだ。だから「読まれない」ということは本来の目的からの決定的な逸脱だ。この点への自戒と自嘲というニュアンスが濃厚に含まれることも少なくない。

実は同様の現象がCDについても起きる。1度聴いただけで放置という状態まで定義を緩めれば、誰にも経験があるだろう。

「ブラームスの辞書」だって、どこかで「積ん読」されているに決まっている。しかし辞書は、調べ物が発生する度に手に取られる確率が高いと思う。

前置きはそこまでにする。

本の本来の目的が「読まれること」であるなら、「楽譜の本来の目的」はどう定義されるのだろう。「弾かれること」「歌われること」なのだろうか。どうもこれが一筋縄ではいかない気がする。もしも「弾かれること」「歌われること」が本来の目的だとするなら、我が家の楽譜は皆「積ん読」状態にある。「弾きもしない」「弾けもしない」あるいは「歌いもしない」「歌えもしない」のに我が家にはかなりな量の楽譜がある。

演奏にあたり作曲家と演奏家の間を取り持つ唯一の架け橋であることこそ、楽譜の最重要目的だが、それだけでは説明のつかぬ巨大な側面が楽譜には存在すると確信している。

我が家の楽譜は「積ん読」ではないと思う。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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