譜読みは楽しい
クラシック音楽に親しみ始めた頃まで遡る話だ。私は作品を気に入れば気に入るほど、楽譜を参照したくなる傾向があった。もちろん弾く気はないし歌う気もない。それでも作品を気に入ると楽譜が見てみたい方だった。感動するその場所の楽譜がどうなっているのか見たいのだ。感動の源泉が楽譜上に存在するに決まっているからだ。
音楽を介在させずに作曲家の意図に浸りたいと感じることが多々ある。演奏には弾き手歌い手の解釈が必ず混入してしまうのに比べ、楽譜は1歩だけ作曲家に近い。注意すべきは校訂者と出版社の癖だけになる。中学の頃にはさすがにそこまでは考えていなかったが、今になって振り返るとそういうことかと思う。
目指しているのは、事実上片っ端から譜読みして、演奏しないで放置する状態だ。つまり私はこの状態を「積ん読 」に含めたくないということだ。
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