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2022年4月30日 (土)

ワーグナーを真剣に考える

ブログ「ブラームスの辞書」のゴールまで、はたしてリヒャルト・ワーグナーを特集企画として取り上げずにすむのだろうか。取り上げぬまま10252本の記事が確保出来るなら、それはそれでめでたい。ブラームスとほぼ同時代を生きた大作曲家にして大著述家を本当に取り上げずにすむのか自信が無い。ブラームスが多大な関心を寄せていたということが、取捨の基準だとするなら、ワーグナーは特集企画の対象として完全に視野に入る。論争の当事者だからといって避けて通るのはフェアではない。

しかし現実に私の脳味噌は反応しない。記事確保のために今から彼の音楽や著作に浸かる勇気が無い。うまくゆけば50本くらいにはなるものと思う。

2022年4月29日 (金)

ワーグナー

30年近くブラームスに親しんでいるし、それは一生続くと断言出来るのだが、本日話題のリヒャルト・ワーグナーはブラームスの伝記にも頻繁に登場する。当時欧州を二分した音楽論争の両陣営の首領どうしという間柄だから、何かと誇張されていることもあろう。

ワーグナーのブラームス観は一貫している。「ちょっと目立つ室内楽作曲家」程度だったことは想像に難くない。20歳年下のブラームスのワーグナー観はもっと複雑だろう。時折皮肉を交えたコメントを発しながらも無関心ではいられないという位置付けだ。クララ・シューマンが見せたストレートな嫌悪よりは大人の対応をしている。

私がブラームスに目覚める前には、まだベートーヴェン少年だったから、かえってブラームスとワーグナーを公平な目で見ることが出来ていた。ワーグナーの作品はいくつかの序曲(前奏曲)が演奏会で取り上げられることもあった。出発点は同じだったのだが、気が付くとやはり私はブラームスにのめり込んでいった。2人の伝記的事項や作品の分析を通じてその原因を追求しようなどということに費やす時間はない。

最近ワーグナーの作品を聴かない。例外はクライバー指揮の「トリスタン」くらい。30年前に購入した今のヴィオラでワーグナーの作品を弾いたことはない。昔の楽器で約35年前にマイスタージンガー前奏曲を弾いたのが最後だったと思う。

私は多分ワーグナーが嫌いなのだと思う。極端に受け取られてもいけないが、少なくともワーグナーの音楽は無くても困らない。膨大なワーグナーの作品を全部聴いたことが無いのに断言することは本来危険なのだが、全部聴いてもおそらく好きにはなるまいと見切っている。

2022年4月28日 (木)

持ってる人

絶対音感について調べている過程で、お宝情報に遭遇。出版館ブック・クラブ刊行「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」という本の232ページ。ブラームスと同時代の作曲家ブルッフが絶対音感について語っている。

ブルッフは「ブラームスには驚くほどの絶対音感があった」と証言する。一方でワーグナーには無かったと断言する。ユリウス・シュトックハウゼンはこれを得ようと努力したが叶わなかったとも語っている。

多くを語ったという文脈から「たとえばこんなこと」という流れの中での話なので、前後の脈絡が不明だ。同証言に現れるのが現代いうところの「絶対音感」と思っていいのかも判然としない。

2022年4月27日 (水)

絶対音感

厳格な定義は私の手には余る。

鳴らされる音の音名が即座に言い当てられると絶対音感があるっぽく見える。鳴らされるのが和音であっても、それを構成する音全てを言い当てられる人も多い。

疑問が無い訳ではない。音名を言い当てられるというのは既に相対的だ。Aの振動数をどれほどと設定するのかで同じ音でも音名が代わってしまうこともあるだろう。あるいは、ハ長調で書かれた作品をニ長調に移調した楽譜を用意する。半音低く調弦された楽器で演奏して録音する。それを再生するときにさらに半音低く再生すると、絶対音感のある人々は何調と認識するのだろうか?

絶対音感どころか相対音感も怪しい私には別世界のお話である。

ブラームスは、はたして現代使われている意味での絶対音感を持っていたのだろうか?鳴っている曲を即座に楽譜に書き留めるくらいの芸当は朝飯前だろうが、それが現代絶対音感と呼びならわされている能力に相当するかどうかは断言が難しい。

散歩の最中に聴いたもの悲しいカエルの鳴き声を「減七和音」と指摘した逸話もある。音に対する鋭敏な感覚を持っていたことは想像に難くない。

2022年4月26日 (火)

ゲーム脳

ゲームのやり過ぎが脳に悪影響を与えるとする見地からのネーミングだそうだ。テレビ脳やメール脳も同類だと思われる。何故勉強のやり過ぎはやり玉に挙がらぬのかは、今後の研究課題である。

医学的なことはさっぱり解らぬが、こうした用語が本や雑誌の売り上げあるいはテレビの視聴率を稼ぐための手軽なツールになっているケースも少なからず混入していると思われる。身近な不安や恐怖を煽るのは常套手段である。

目の酷使、同じ姿勢の継続だけならば、受験勉強も同等のはずだが、「受験勉強脳」とは言われない。定義が難しそうなのでそそくさと退散する。

年がら年中ブラームスを聴き、屁理屈をこね回し、自費出版までしてしまったばかりか、こんなブログまで運営している私は、「ブラームス脳」だと思われる。

ブラームス脳の症状はと言われても自分のことなのでよく定義出来ない。周りで見ている人の方がよく解ると思う。自分では普通と思っていることが、ひと様からはそう見えていないこともある。

ブラームスを聴くのをやめても、その分感覚が研ぎ澄まされてブラームスを考えてばかりになるので始末が悪い。

2022年4月25日 (月)

Next one

クリエイティブな仕事をしている人たちが、「自作でもっとも気に入っているのは」と問われた時しばしば発する答えだ。

本当は「我が子同然の作品について序列化なんぞ出来ねぇよ」と言いたいところをグッとこらえてウイットを混ぜ込んだと解されよう。この受け答えを真に受けるのは野暮というものだ。次に発表された作品を「これが彼のベスト作品だ」と触れ回っては失笑の的になりかねない。次の作品が出た後、同じ事を彼に訊けばやはり「Next one」と言うに決まっている。

これには「私は進化し続ける」という意味や「次をお楽しみに」という意味を濃厚に含むのだ。愛好家としては気になるところだが、それを芸術家に言わせるのは無理と思った方が良い。

同じ事がブラームスでも起きている可能性がある。

同様の問いかけを受けたブラームスが「最後に聞いた作品さ」と答えたというエピソードを真に受ける中で起きた。「おおっ」とばかり色めきだったマニアは、その瞬間を起点に、ブラームスが最後に聴いた自作の記録を漁ることになる。仮にそれが「第4交響曲らしい」と解る。これで「ブラームスが自作で気に入っていたのが第4交響曲だ」という説が一人歩きを始めるという寸法だ。

待って欲しい。

  1. 仮にブラームスが心底「自作の最高は第4交響曲だ」と思っていたら「最後に聴いた作品さ」などと答えるだろうか。素直に「第4交響曲」と言えばいいのだ。インタビュウアーが自分の聴いた直近の演奏会の情報にたどりつく保証はないから誤解が発生する可能性がある。
  2. インタビューの直前に聴いた演奏会で第4交響曲が演奏されたことだけは仮に事実としよう。でも本当は次の演奏会の後に同じ答えをしないことを確認しなければいけない。ブラームスはいつもこの手の質問に「最後に聴いた作品さ」と答えていたかもしれない。
  3. 問題の演奏会で第4交響曲の後のアンコールでブラームス作品が演奏されてないことを確認せねばならない。
  4. さらにその演奏会の後、自室において一人でプライヴェートにピアノ小品を弾かなかったことを証明せねばならない。その他あらゆる機会にブラームス作品を聴いていない証拠とセットでなければならない。インタビューの時点で最後に聴いた曲は、一人で弾いたインテルメッツォかもしれないではないか。

上記諸点の裏付けとセットでなければ断言は難しいと感じる。

ブラームスは「Next one」と答える代わりに「最後に聴いた作品さ」と言ったと考える方がより自然だと思う。

 

 

 

 

2022年4月24日 (日)

過剰な傾倒

かなり以前から感じている疑問について述べる。

「プロフェッショナルな演奏家は、特定の作曲家への傾倒とどう向き合っているのだろう」

音楽を学ぶ課程で、あるいは演奏を通じて特定の作曲家や作品への感情が心の中に表れることは自然だ。「~が好き」「○○が嫌い」の類だ。プロの演奏家たちは、そうした感情をどう処理しているのだろう。好きな作曲家の作品ばかりを演奏している訳にも行くまいと考えるが故の疑問だ。それらの感情の痕跡は演奏に現れるものだと思うがいかがだろう。

嫌いの側はさぞ困るだろう。演奏に良い影響があるとは思えない。「私は音楽を愛しているからどんな作曲家の作品からも喜びを感じることが出来る」という演奏家ばかりであれば私の疑問は無意味になる。そもそもそういうことはあるのだろうか。

度が過ぎると「好き」の側でも混乱は起きるだろう。特定の一人を好きであることが昂じて、他の作曲家の位置付けが相対的に大きく下がるケースだ。特定の一人の演奏だけで飯が食えればよいのだが、よほどのことが無い限りそれは自ら演奏の機会を奪っているようなものだ。

そうした感情と演奏を完全に別系統で制御出来ているのだろうか。

お気づきのことと思うが、私のブラームス好きは既に「過剰な傾倒」の域にあると自覚しているが運良くプロフェッショナルな演奏家ではない。

2022年4月23日 (土)

敵の敵は味方か

エドゥワルド・ハンスリックは19世紀後半を代表する音楽評論家。楽壇を2分する論争の中、ブラームスを擁護する一方、激しくワーグナー派を攻撃した。

だからブラームスとは蜜月だったかというとそこはまた微妙だ。

16のワルツop39は、ハンスリックに捧げられている。作品が献呈されるくらいだから親しい間柄なのだが、ハンスリックはともかくブラームスは本音と建て前を使い分けていた形跡がある。交響曲や室内楽の大作を献呈していないのも皮肉な意図を感じてしまう。

ブラームスが評論家ハンスリックの「飯のタネ」であったことは想像に難くない。反ワーグナーの論陣を張る以上、対抗勢力の首領ブラームスと親しい間柄であることは、有形無形のメリットがあったに違いない。

実はブラームスは、ワーグナーとの交流の事実をハンスリックには伏せていた。さらにはハンスリックを「ワーグナー作品を論評するには耳も心も十分でない」と評していたと、一部の知人が証言する。ドヴォルザークの新世界交響曲の評価も食い違っていた。

ハンスリックよりもブラームスが一枚も二枚も役者が上と感じる。

2022年4月22日 (金)

二元論

たとえば「白黒」「善悪」というように、世の中で起きている諸事象を2分類することで捉えようとする試み、または考え方のことだ。

天下分け目の戦いとされている関ヶ原の合戦は、当時の大名たちを2分する戦いだった。一般に東軍西軍と言われているが、単純に地理的な東西対抗ではなかったという。風雲急を告げてから、実際の合戦までの間水面下の諜報活動が盛んだったらしい。大名たちはその勢力の大小にかかわらず東西どちらの陣営に与するか、事前に意思表示を求められた。自分が味方した陣営が負ければお家の一大事だ。しかし中立というのも戦後の論功行賞で後手を引くのだ。

皆相当困った。とりわけ東西どちらにも恩も義理もない大名は、相当困ったはずだ。だから意思表示を引き延ばして、周囲の流れを読んだ。あるいは戦いの大勢が決すると、次々と寝返りが起きた。どだい東西の二元論では無理があるのだ。

19世紀後半、欧州とりわけドイツ・オーストリアの楽壇を2分した論争があった。両陣営の首領の名前をとってブラームス派とワーグナー派の論争とも言われている。当時普及著しかった音楽ジャーナリズムに乗って論争はおおいに盛り上がった。論争の中心人物たちはともかく、どっちでもいい人あるいは両方嫌いな人や、両方好きな人は困ったと思う。

実際にワーグナーの周囲に集う門人でありながらブラームスの音楽を評価する人々もいて、過激な中傷合戦には沈黙をもって距離をおいていたという。ゴルトマルクやタウジヒなど音楽史上の評価ではワーグナー派と目される人とブラームスの交流も伝えられている。何よりもブラームス派の首脳と目される2人、ハンスリックとビューローは元々はワーグナーの賛美者だったくらいだ。

関ヶ原の合戦に際して、機を見るに敏な商人たちは、ちゃっかり両陣営と商売していた。似た立場にいたのが、この論争が盛り上げれば盛り上がるほど、売り上げが伸びる音楽ジャーナリズム業界の人々だ。両陣営の関係者からコメントを取っては誌上を飾る。コメントが過激なほど好都合だった。この手の二元論が根強いほど商売には有利だ。

大河ドラマを作るには好都合だが、世の中どうもそう単純ではないらしい。

 

 

2022年4月21日 (木)

保存と出版

CDを始めとする録音技術の無かった時代、楽譜だけが音楽作品保存の媒体だった。暗譜には限界がある。過去の大作曲家の作品は楽譜が遺されてこそ保存することが出来る。作曲され演奏もされながら楽譜が散逸したために聴くことが出来ない作品は膨大な数に達する。

当代一級の作曲家にして古楽譜のコレクターでもあったブラームスは、そのことが身に沁みていた。一度失われたが最後2度と復元出来ないのが音楽作品だ。古楽譜の収集と保存は、散逸に対抗する唯一の手段だ。

ところが、ブラームスは丹念な収集により保存された作品がただちに出版されるべきとは考えていなかった形跡がある。出せばいいというものではないとも考えていた。学術的に貴重な作品でも、印刷譜として刊行されるべきではないものもあるということだ。

図書館のようなしかるべき保存施設に収蔵されていれば、出版されなくてもいい作品もあったということなのだ。

これはまさに骨董的価値と芸術的価値の区別をしていたことに他ならない。

2022年4月20日 (水)

同業他社

同じ業界に属する別の会社の意味だ。ビジネスの世界では普通に用いられる言い回しである。ほぼ「競争相手」と同義だったりもする。成熟した市場では需要の拡大はアテにできないから、売り上げを伸ばそうと思えばマーケットシェアの獲得しか道がない。ヒット商品の創造同様に言うは易しの世界である。さらに困ったことに同業他社どうしの癒着や馴れ合いは法律によって禁止されているのが普通である。

作曲家にとって、自分以外の作曲家が同業他社にあたる。

自らの独創性を世に問う職業だから、業界の動向に無関心過ぎるのも考え物だが、同業他社の研究にはあまり熱心ではない。他の作曲家の作風を真似たところでタカが知れている。古今の大作曲家と呼ばれる人たちは、他の作曲家から受けた影響など、伝記の片隅にひっそりと書かれることが多い。

例によってブラームスは例外だ。先輩作曲家の研究に余念が無かった。先輩ばかりではない、同時代の作曲家の業績にも無関心ではいられなかった。つまり同業他社の動向をいつも研究していたのだ。研究するばかりではなく、自らの作品にそれを生かしていた。これこそまさにマーケティングである。

現代のクラシック音楽業界における知名度に関係無く、数多くの作曲家を研究した成果を自分なりに消化吸収して作品に盛り込んだ。それでいてけして埋没することのない個性が作品に宿っていることをブラームスの特徴の一つとしたいくらいである。

2022年4月19日 (火)

時代遅れ

ブラームスの作品を批判する際にしばしば用いられた表現。生前にもそういって作品を批評されていた。それらに対してブラームスは沈黙を貫いていた。

手許の辞書で「時代遅れ」を引いた。「時流に乗っていないこと」「時代の趨勢に乗り遅れていること」とある。つまり「作品が時代の趨勢に乗っていない」と批判された訳だ。そもそも「時代の趨勢」とは何ぞやという点も私のような素人には難題だがひとまず棚上げだ。

恐らく「時代遅れだ」と批判する側は痛烈に批判したつもりだろう。世の中ロマン派末期だ。ロマン主義爛熟と言えば聞こえはいいが、早い話「何でも有り」の状態だったから言われたブラームスはそれを批判と感じたかどうか怪しい。むしろ「我が意を得たり」だったのではあるまいか?「何でも有り」の風潮に安易に乗ってしまうほうがよっぽどやばいと思っていたのではないだろうか?

「時代遅れ」であるかないかについては議論にならなかったと思われる。敢えて言えばブラームス自身「時代遅れ」だと思っていただろう。時代の潮流に安易に乗らないことを美徳としていたブラームスにとっては「誉め言葉」に聞こえた可能性さえある。あの時代の中にあって「時代遅れ」を貫いたことに価値がある。

そのブラームスの作品は時代と場所を突き抜けて現代の日本人である私の心を捉えて離さない。

2022年4月18日 (月)

レッスンの教材

ブラームスが何人かにピアノを教えた記録が残っている。大抵は教わった本人の証言だ。ブラームスの指導方法の貴重な証言であるばかりでなく、その音楽観をも垣間見ることが出来る。その中でブラームスが指導に用いた教材あるいはレッスン中の課題曲に言及されていることがあるので拾ってみた。

  1. クレメンティ「グラドゥス・アド・パルナッスム」
  2. バッハ「インヴェンション」
  3. バッハ「シンフォニア」
  4. バッハ「平均律クラヴィーア曲集」
  5. バッハ「イギリス組曲」
  6. バッハ「フランス組曲」
  7. モーツアルト「ソナタヘ長調」
  8. ベートーヴェンの変奏曲ヘ長調
  9. ベートーヴェンの変奏曲ハ短調
  10. シューベルトの即興曲
  11. メンデルスゾーン無言歌より
  12. ショパン「ノクターン」より
  13. チェルニー練習曲より
  14. スカルラッティのソナタより

きっとこれらはほんの一部だろうと思われる。詳しい作品名が記されていないものも多い。考えてみればバッハのシュミーダーによるBWVやモーツアルトのケッヘルナンバーも考案される前だから、作品の特定が難しいのだ。自作が無いこととシューマンの作品を見かけないのも気にかかる。

 

 

 

2022年4月17日 (日)

自作への沈黙

ブラームスは出版済みの自作品に対して、著述にしろ発言にしろコメントを発することが極端に少なかったという。「ごくごく親しい友人相手」「ブラームスが上機嫌」「周りに人がいない」この3つの条件を満たした場合に、ごくまれに限定的な表現で自作に言及したらしい。

さらに作曲やピアノを教える側に回った場合、自作を教材に使うことは無かったという証言も複数残っている。

恐らくこれは作曲家としての強烈な自負の裏返しだと思われる。楽譜に全てを盛り込みきっているという自信とも言い換え得る。あるいは作曲家自身が作品について中途半端に言及することで、弾き手や聴き手に無用の先入観を与えかねないというリスク回避行動かとも考えられる。自作に標題を与えないという姿勢と一脈通じるものがある。

許されたのは自作を演奏することのみであったようだ。かくのごとき自作に対する沈黙ぶりは、禁欲的でさえある。この種のストイックさはブラームス作品の放つ禁欲的なオーラと矛盾しない。

だからその分だけ楽譜が大切なのだ。という毎度の落ち。

2022年4月16日 (土)

医薬分業

私が子供の頃、医者から薬をもらうことが多かった。最近は医者からもらうのは処方箋だけで、薬は薬局でもらうことが増えた。これが「医薬分業」だ。メリット、デメリットとも様々な形で議論されているらしい。

ハンス・フォン・ビューローという人がいた。クララの父の弟子。ピアニストで指揮者だ。音楽史に残る名言をいくつか吐いていることでも知られる。彼の功績に「作曲家と演奏家の分離を決定づけた」ことを挙げる人も多い。彼以前はそれらの区別は混沌としていた。特に指揮の分野において彼の業績は高く評価されている。

我々が今日クラシック音楽と呼んでいる世界においては、過去の作曲家の手による作品を演奏することが定着している。この傾向が現れたのが、実は19世紀だった。ということはつまり、演奏する時点で作曲家が没していることが増えてくる。時間が経つほどそうなる。つまり作曲家イコール演奏家ではあり得ないのだ。「作曲家と演奏家の分離を決定づけたこと」をビューローの功績とするより、時の流れに近いと感じる。彼の功績は、その流れを先取りしたことにあると思う。

さて作曲と演奏の分離はただいま申し上げたとおりだ。実は密かに疑問に思うことがある。

「解釈と演奏の分離」だ。19世紀に作曲と演奏が分離したように、解釈が演奏から新たに分離することはあり得ぬ妄想だろうか。まるで医薬分業のようにである。現在、解釈は演奏の一部だ。CDのラベルには作曲家と作品名と演奏家だけが書かれる。オペラの演出家は例外だ。オペラ以外のCDに解釈だれそれと書かれるようになりはしないかという疑問だ。

私の解釈で誰か演奏をしてくれる人はいないものか。せっかく解釈出来ても演奏で台無しにしてしまうことが多いから、つい妄想が膨らむ。

 

 

2022年4月15日 (金)

議論のキッカケ

わが愛する著書「ブラームスの辞書」は、楽譜の中のさらにまた楽語だけに的を絞って、各々の楽語の所在を羅列列挙した。実はそれだけでも大変な作業だ。エクセル使いまくりでデータベース作成に5ヶ月半かかった。

でも執筆の主眼はそこには無かった。所在地の羅列列挙の後に、所感を記している。羅列列挙は単なる事実の積み上げだが、この所感は主観の披露になっている。

実はこれがメイン。この場所の楽譜から、こういう景色を見ていますよという告白だ。けれどもこれは少しリスキーだ。「そりゃ違うだろ」という感想を持つ人だって多いはずだ。同調する人より違和感を感じる人の方が多いのではと想像する。

作曲家が残したのは楽譜だけ。演奏に際してそこから何をどう読み取るかが、演奏家の個性である。AさんとBさんで見解が違って当たり前なのだ。活発な議論の中から、作品への理解がより深まると確信している。

私の著書「ブラームスの辞書」は、いやブログだってそうした議論のキッカケの集合体である。

2022年4月14日 (木)

標題の代わり

ブラームスが当時流行の標題に無頓着だった話を続けてきた。それを持ってただちに「だからブラームスは絶対音楽の旗手だ」と言えるのかどうか自信がない。ことの本質がそんな浅いところにあるとは思えない。

印刷譜の表紙に標題を添えることをしなかったブラームスだが、表紙をめくって現れる楽譜には、山ほど注意書きを置いた。標題の不在を補ってあまりある程、音楽用語が多彩だ。

自分の言いたいことを標題に託していないという意味では、「標題音楽」を書いていないが、自分の言いたいことを何とか伝えるために言葉を用いたという意味では、言葉が音楽を補足している。その補足の丁寧さ周到さにおいて当代一級の作曲家だった。至る所に恐るべき整合性が仕掛けてある。そして一部の発想用語は事実上標題として機能している。

だから「ブラームスの辞書」というコンセプトが生まれたともいえる。

2022年4月13日 (水)

昔の楽譜

演奏会で使った楽譜は捨てられないものである。晴れの舞台での演奏に備えて一定期間寝食を共にした楽譜は、演奏会が終わったからと言っておいそれと捨てられるものではない。だから我が家にはかなりの数の楽譜がある。捨てられないのはブラームス以外の作曲家の楽譜であっても同様である。

さて大学4年間8回の定期演奏会でブラームスを演奏したのは下記の通りだ。

  1. 交響曲第2番 1年冬メイン
  2. ハンガリア舞曲第4番 1年冬アンコール
  3. 大学祝典序曲 2年夏
  4. 交響曲第1番 3年夏

「3年夏」などというと何だか甲子園みたいだ。

そうした楽譜の希少価値を高めているのが無数の書き込みである。パートリーダーの言ったこと、トレーナーの言ったこと、指揮者の言ったことが、いろいろな筆跡で書かれている。自分の筆跡だけでもない。その当日プルトを共にしたパートナーの筆跡であることも少なくない。書き込みの内容は年次によって変わって来ている。

大学オケデビュウの曲だった交響曲第2番の楽譜は指番号だらけだ。ポジション移動の場所には縦線が必ず入れてある。ボウイングのアップダウンに加えて「音程注意!」「指揮者見よ」「踏めくり早く」「急ぐな」「遅れるな」などが中には「気合いを入れろ」というのもあって微笑ましい。何しろ真剣であった。それが3年夏の第1交響曲になると、書き込みの量自体は減る。ボウイングのアップダウンが主体だ。書かんでも分ることが増えたということだ。掛け合いの相手のパート名だとか、「オーボエ聞け」とか他のパートとのかねあいの書き込みも多くなる。1年の頃は周りの音なんぞ聴いちゃいなかったということかもしれない。

 

 

 

 

 

 

2022年4月12日 (火)

年齢指定

世の中には数多くの年齢制限が存在する。

飲酒、自動車の運転、選挙、被選挙、喫煙、成人映画、成人雑誌などなど枚挙に暇がない。大人になってからしか認められていない事項が多いという訳だ。

ブラームスはどうだろう。もちろん法的な制限はない。未成年にブラームスを聴かせても、弾かせても罰せられることはない。

しかしながら、ブラームスに限らず作曲家には長い間に積み上げられてきたイメージというものがあって、そのイメージが一人歩きをしてしまって、あたかも制限があるような様相を呈しているケースも少なくない。普段何気なく使う言葉にそれを感じることがある。たとえば「○○○は大人の音楽だ」「○○○は子供にはまだ早い」「お若いのに○○○を判っている」「○○○は子供のように純真だ」などである。「○○○」の部分には作曲家名や作品名が入ると言うわけだ。否定的肯定的どちらのニュアンスで使われることもあるようだが、結果として作曲家あるいは作品の「対象年齢」を無意識に規定していることに他なるまい。

ブラームスの音楽をこのような見方で捉えた場合、子守歌やハンガリア舞曲を例外とすれば、どちらかというと「大人側」それも「やや年配」に寄った作曲家だと考えられている節がある。

ピアノにしろヴァイオリンにしろ子供の発表会ではとりあげられにくかったりする。私が19歳でブラームスに傾倒し始めた頃、「好きなのはブラームスです」と自己紹介すると「お若いのに渋い」みたいな反応がかえってきたりした。嫌いと言うと理由を訊かれるのがモーツアルトで、好きと言うと理由を訊かれるのがブラームスだったりもしていた。

「若い頃はベートーヴェンだったが、このごろはドップリとブラームスです」という言葉と、その逆「若い頃はブラームスだったが、このごろはドップリとベートーヴェンです」という言葉では、どちらが語られる頻度が高いだろう。根拠は全くないが前者だと思う。

なんだか窮屈な話だ。ドイツでも同じなのだろうか。

2022年4月11日 (月)

神童

「特定の分野に関して非凡な才能を持った子供」くらいの意味。音楽史でも作曲・演奏の両分野で神童に関するエピソードには事欠かない。残念ながら聴衆側に神童の概念はないようだ。

子細に見るとさらに、おおよそ以下の如く細分化出来ると思われる。

  1. 大人顔負けであること。これが本来の意味。20歳過ぎてただの人になってもよい。
  2. その年齢の子にしては優れていることの誇張表現。
  3. 上記1も2も満たしていないにもかかわらず主にマーケティング上の意図から神童と呼ばれている状態。ブラームス自身ピアノの才能を認めたプロデューサーからアメリカ行きを持ちかけられたことがある。

1896年2月1日、13歳のブロニスラフ・フーベルマンがブラームス本人の前でヴァイオリン協奏曲を演奏した。終演後ブラームスが楽屋に駆けつけるとフーベルマンは、カデンツァの途中で拍手が起きて集中できなかったことを嘆いていた。ブラームスは「それならカデンツァをあんなに美しく弾かなければいいのだよ」と言って慰めたという。大抵の伝記には「神童の類を好まなかったブラームスにしては珍しく」というニュアンスで書かれている。とてもセンスのある誉め方だ。ブラームス本人とのこうしたエピソードがヴァイオリニスト・フーベルマンを内外から支えたことは想像に難くない。フーベルマンは20歳を過ぎてもただの人にはならなかった。

このエピソードから、ブラームスが嫌っていたのは、上記分類の2または3の意味の「神童」だと思われる。あるいは「神童」という言葉そのものへの嫌悪だった可能性もある。優れた演奏が子供の弾き手によって実現した場合、賞賛の意思を温かく表現するデリカシーは持ち合わせていたと考えられる。

もちろんブラームス自身は神童扱いされていない。大器晩成 と神童の間くらい。それなら私と一緒かというとやはりそれも違う。

しかし昨日、日本プロ野球28年ぶりの完全試合を達成した20歳と18歳のバッテリーは、神童にカウントしたい気分である。

2022年4月10日 (日)

大器晩成

ブラームスを指してこの言葉が用いられる時、しばしば頭が混乱する。

ブラームスの創作人生の何を称して「大器晩成」というのか首をかしげたくなることも少なくない。10歳になる前からブラームスは音楽的な才能を示したことが大抵の伝記には書いてある。最初の教師は多分父親で、次の教師はコッセルだ。この二人ともがブラームスの才能を確信したからこそ10歳でエドワルド・マルクセンに師事することになった。そのマルクセンもブラームスの才能を見抜き徹底して古典を叩き込んだ。やがてブラームスはピアノ協奏曲第2番を献呈してマルクセンに謝意を示している。

「この程度の実績では、ブラームスが壮年期以降に成し遂げた成果に比して貧弱だ」という意味で「大器晩成」という語が使われているのだとしたら、一応納得できる。

交響曲、弦楽四重奏曲、ヴァイオリンソナタが壮年期になって世に出たことが「大器晩成」と呼ばれる理由だろうか?しかし「第1番」が必ずしも「最初の作品」ではないことは常に念頭におくべきだ。3曲のピアノソナタを20歳そこそこで作曲したという事実をもってしても「大器晩成」という形容がまかり通るのだろうか?何かと強調される「第一交響曲に20年云々」というエピソードの影響が無いとは言えまい。容赦のない自己批判の結果、残された作品の品質は若い頃から一定の水準を保ち続けているブラームスを「大器晩成」と称するのは少し違和感がある。

「神童としてもてはやされなかった」あるいは「若死にしなかった」程度の意味で「大器晩成」という言葉が使われてやしないか心配になる。

ひょっとすると、学校の音楽室のお決まりの肖像が「大器晩成」という言い回しの無意識な根拠になっているかもしれない。

2022年4月 9日 (土)

主婦対主婦の会話

結婚により我が家を巣立ってから6日目の昨日、長女が我が家に里帰りした。なるほど摂関政治の時代から結婚後も嫁と実家の結びつきは濃いと実感。

婚姻関連の書類に親のハンコが要るらしい。これにより法的にも私の世帯から離脱するのかという感慨をよそに母と盛り上がっていた。長女を送り出して以降、いささか沈鬱だった母の表情が明るい。長女は開口一番「おばあちゃんに訊きたいことが山ほどある」と言って質問攻めにした。主婦歴60年超の母はすべての質問に淀みなく即答する。内容といいテンポといいキレッキレの会話。

そう。もうそれは祖母と孫の会話ではなく主婦と主婦の会話になっていた。

2022年4月 8日 (金)

タルティーニ

本日4月8日はジョゼッペ・タルティーニの誕生日だ。本日は生誕230年のメモリアルデーということになる。1792年生まれということでバッハより7つ年下だ。

なんといっても「悪魔のトリル」で名高い。夢に悪魔が現れて云々。ビオンディさんのリサイタルで「捨てられしデイド」を聴いた。どちらもヴァイオリンとチェンバロの二重奏なのだが、彼の本領はむしろヴァイオリン協奏曲にある。120曲以上あるのだが、このほど全集を入手した。CD1から律儀に聴いているが、これがなかなか楽しい。キレッキレだ。

 

 

2022年4月 7日 (木)

長女ロス症候群

長女の巣立ち前の2週間、我が家は準備で忙しかった。イベント好きの母の仕切りは平常営業である。がしかし、送り出した翌日からどうも調子が悪い。動き回った疲れでもなさそうだ。夕食の支度の時間になると元気がない。一人の時間には涙ぐんでいる。「長女ロス症候群」である。半ば想定していたが、やはりという感じ。巣立ちに乗じて我が家の大整理を企てたのは、寂しさを少しでも紛らわせればという意図もあった。

夕食の支度は切ない。一人分作らなくていい。テーブルのセッティングの時もう長女の食器は並べない。こういう時こみあげてくるのだ。長女の幸せの門出だと理屈ではわかっていても涙が込み上げてくる。洗濯しては思い出し、布団を干しては思い出す。こうしてみると日常には長女の痕跡は無数にちらばっているのだ。思えば妻を亡くした日からもう26年、母親代わりに精魂込めて育ててきた孫娘が抜けた心の穴は大きい。

一方、母は「おじいちゃんが亡くなったときはここまでグズグズしなかった」とも申している。幼い子3人を抱えて悲しんでる暇がなかったとか。連れ合いを亡くした悲しみに浸る間もなく慈しみ続けてきた孫の一人が家を去るだけでこのありさまだ。私としては感謝しかない。

特効薬は2つある。一つは時間だ。時間をかければやがてまた平安を取り戻す違いないが即効性は期待できない。もう一つある。

むしろこちらが切り札。それは曾孫だ。今時これを前面に出しては「マタハラ」にもなりかねないが、効果はかなり期待できる。

2022年4月 6日 (水)

Fahr Wohl

作品番号93aとしてまとめられた6曲のうちの4番目。「さよなら」という邦題が与えられている。変イ長調8分の6拍子で、全長19小節、演奏時間にして2分弱の愛らしい合唱曲。混声四部合唱がリュッケルトのテキストをアカペラで歌う。

1897年4月6日ヨハネス・ブラームスの葬儀の日、棺は自宅からウィーン中央墓地に直行せずに長く親しんだ楽友協会に立ち寄る。葬列の到着にあわせて歌われたのがこの曲だ。

楽友協会への到着とともに歌い始められて、最後まで演奏したとしても2分弱だ。伴奏を持たぬアカペラということも屋外での演奏に適していたと思う。屈託のない変イ長調というのが、かえって悲しみの表現に相応しい。

誰の選曲だろう。数あるブラームス作品の中から1曲を選ぶ困難な作業を誰が受け持ったのだろう。合唱団は急遽集められて練習したのだろうか。あるいは万が一の場合はこの曲をとばかりに生前のブラームスが誰かに託したのだろうか。

 

 

2022年4月 5日 (火)

令和の大整理

長女が結婚により我が家を巣立ってから3日経過した。実は長女の巣立ちを機に我が家の大模様替えを決意した。長女の家財、衣類、身の回り品を送り出して、浮いた空間の有効活用が目的だ。

まだ完成には程遠いけれど、みんな少しずつ専用の居住空間が広がる予定。特に次女だ。物心ついて以降ずっとお姉ちゃんと同じ部屋で暮らしてきた。デスクと箪笥が1ずつ減るほか、個室1部屋まるまる自分専用になる。これで我が家に個室がないのは私だけになる。それでも昨今の在宅勤務は2階の一角で過ごしているのだが、スペースが少々広がる模様。

以前から捨てきれずにいた物品を思い切って処分することもできた。我が家は新たな時代に突入した。

 

2022年4月 4日 (月)

Le Nozze di Chojo

フィガロの結婚のパクリ。「Chojo」は「長女」だ。

生後10328日目にあたる一昨日、我が家の長女が新婚の家に引っ越した。こんなご時世だから披露宴も新婚旅行も見送ったが、笑顔いっぱいで住み慣れた我が家を巣立っていった。

万感胸に迫る。ブラームスのご加護を特盛で。

 

2022年4月 3日 (日)

誇り高き戦場

父は洋画が好きだった。その影響で小学校から中学にかけて私もよく映画を見た。戦争映画と西部劇中心だった。

私の好きな映画は、「大脱走」「戦場に架ける橋」で、父のお薦めは「眼下の敵」や「ナバロン要塞」だ。「誇り高き戦場」もその一つだった。今は亡きチャールトン・ヘストン演じる高名な指揮者が、慰問演奏中オーケストラもろともドイツ軍の捕虜となる。ドイツの将軍との奇妙な友情が描かれる。記憶が曖昧で気持ちが悪いのだが、クライマックスで用いられたのがブラームスの交響曲だった記憶がある。当時はバリバリのベートーヴェン少年だったから気にも留めなかった。確認したくてDVDを探しているがなかなか見当たらない。

見当たらないと無性に見たいのが人情だ。思い詰めてあちこち当たっているうちにお宝情報を発見。

この映画「誇り高き戦場」はもちろん日本公開にあたっての題名、つまり邦題だ。オリジナルのタイトルは「Counterpoint」ということが判った。

のけぞった。

「Counterpoint」とは英語で「対位法」のことなのだ。アメリカの高名な指揮者と、ドイツの将軍という2人のやりとりがおそらくネーミングの肝なのだと思う次第だが、何というセンスだろう。ますますブラームスだったような気がしてきた。

本日4月3日はもちろんブラームスの命日。没後125年のメモリアルデーではあるのだが、亡き父の誕生日でもある。生きていれば87歳。

2022年4月 2日 (土)

波動

記事の本数も6000を越えた。

以前にも述べたが不思議なことがある。

記事のネタを思いつくのは、いつも同じペースではないのだ。思いつかない時は6ヶ月程度全く思いつかない。逆に思いつくときは毎日3つ程度を連続1週間くらい思いつく。何が引き金になるか全く予測が出来ない。最近ではこのペースにも慣れてきた。最初の頃、全く思いつかない一週間は不安だった。「このまま一生ネタを思いつかないかもしれない」という不安だ。でもそれらは皆全て杞憂だった。やはり数日後ネタのラッシュが訪れるのだ。記事を備蓄していることで、相当程度不安を減じることが出来る。心を平静に保っていればまた、思いつきの波がやってくるのだ。

中学生の頃真剣に疑問を持ったことがある。いつの日か音楽の旋律が底を尽いてしまう心配だ。旋律は音の組み合わせだから有限で、いつかきっと途絶えると思ったのだ。今では、考えが変わった。ほぼ無限だと思う。少なくとも私が生きている間は大丈夫だ。ブラームスネタも同じだ。生きている間は多分大丈夫である。

自分の脳味噌のことなのに断言出来ないというところが本当に不思議である。

2022年4月 1日 (金)

弱気

春休み恒例のアクセス減のまっ只中にいる。通算アクセス数120万を超えたという今になっても、弱気になる。

ブログ「ブラームスの辞書」は、2005年5月30日の開設以来一日も記事の更新が途切れることもなく、のらりくらりと6000本少々の記事を積み上げて来た。「読まれないで当たり前、読まれれば儲け物」という言葉を支えにしてきた。記事を読んだ読者がどう感じているかについては、解らぬ点が多い。記事へのコメントも一部の読者から頂戴出来るが、コメントを発しない読者の方が数としては多い。

アクセスが伸び続けることは「暗黙の支持」だと考えて「どう読まれているのだろう」という問いを敢えて封印してきた。「つまらぬ」と思えばアクセスしてくれないはずだ。立ち上げ当初に比べれば夢のようなアクセス状況である。アクセス数の増加は無言の励みであった。物言わぬ訪問者のメッセージだと確信している。その証拠に毎年この時期恒例のアクセスダウンは正直なところ寂しいのだ。GWが過ぎてもアクセスの勢いが回復しないのではないかという不安はこの先何年たっても消滅しないだろう。

 

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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