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2022年4月24日 (日)

過剰な傾倒

かなり以前から感じている疑問について述べる。

「プロフェッショナルな演奏家は、特定の作曲家への傾倒とどう向き合っているのだろう」

音楽を学ぶ課程で、あるいは演奏を通じて特定の作曲家や作品への感情が心の中に表れることは自然だ。「~が好き」「○○が嫌い」の類だ。プロの演奏家たちは、そうした感情をどう処理しているのだろう。好きな作曲家の作品ばかりを演奏している訳にも行くまいと考えるが故の疑問だ。それらの感情の痕跡は演奏に現れるものだと思うがいかがだろう。

嫌いの側はさぞ困るだろう。演奏に良い影響があるとは思えない。「私は音楽を愛しているからどんな作曲家の作品からも喜びを感じることが出来る」という演奏家ばかりであれば私の疑問は無意味になる。そもそもそういうことはあるのだろうか。

度が過ぎると「好き」の側でも混乱は起きるだろう。特定の一人を好きであることが昂じて、他の作曲家の位置付けが相対的に大きく下がるケースだ。特定の一人の演奏だけで飯が食えればよいのだが、よほどのことが無い限りそれは自ら演奏の機会を奪っているようなものだ。

そうした感情と演奏を完全に別系統で制御出来ているのだろうか。

お気づきのことと思うが、私のブラームス好きは既に「過剰な傾倒」の域にあると自覚しているが運良くプロフェッショナルな演奏家ではない。

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