絶対音感
厳格な定義は私の手には余る。
鳴らされる音の音名が即座に言い当てられると絶対音感があるっぽく見える。鳴らされるのが和音であっても、それを構成する音全てを言い当てられる人も多い。
疑問が無い訳ではない。音名を言い当てられるというのは既に相対的だ。Aの振動数をどれほどと設定するのかで同じ音でも音名が代わってしまうこともあるだろう。あるいは、ハ長調で書かれた作品をニ長調に移調した楽譜を用意する。半音低く調弦された楽器で演奏して録音する。それを再生するときにさらに半音低く再生すると、絶対音感のある人々は何調と認識するのだろうか?
絶対音感どころか相対音感も怪しい私には別世界のお話である。
ブラームスは、はたして現代使われている意味での絶対音感を持っていたのだろうか?鳴っている曲を即座に楽譜に書き留めるくらいの芸当は朝飯前だろうが、それが現代絶対音感と呼びならわされている能力に相当するかどうかは断言が難しい。
散歩の最中に聴いたもの悲しいカエルの鳴き声を「減七和音」と指摘した逸話もある。音に対する鋭敏な感覚を持っていたことは想像に難くない。
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