議論のキッカケ
わが愛する著書「ブラームスの辞書」は、楽譜の中のさらにまた楽語だけに的を絞って、各々の楽語の所在を羅列列挙した。実はそれだけでも大変な作業だ。エクセル使いまくりでデータベース作成に5ヶ月半かかった。
でも執筆の主眼はそこには無かった。所在地の羅列列挙の後に、所感を記している。羅列列挙は単なる事実の積み上げだが、この所感は主観の披露になっている。
実はこれがメイン。この場所の楽譜から、こういう景色を見ていますよという告白だ。けれどもこれは少しリスキーだ。「そりゃ違うだろ」という感想を持つ人だって多いはずだ。同調する人より違和感を感じる人の方が多いのではと想像する。
作曲家が残したのは楽譜だけ。演奏に際してそこから何をどう読み取るかが、演奏家の個性である。AさんとBさんで見解が違って当たり前なのだ。活発な議論の中から、作品への理解がより深まると確信している。
私の著書「ブラームスの辞書」は、いやブログだってそうした議論のキッカケの集合体である。
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