長女ロス症候群
長女の巣立ち前の2週間、我が家は準備で忙しかった。イベント好きの母の仕切りは平常営業である。がしかし、送り出した翌日からどうも調子が悪い。動き回った疲れでもなさそうだ。夕食の支度の時間になると元気がない。一人の時間には涙ぐんでいる。「長女ロス症候群」である。半ば想定していたが、やはりという感じ。巣立ちに乗じて我が家の大整理を企てたのは、寂しさを少しでも紛らわせればという意図もあった。
夕食の支度は切ない。一人分作らなくていい。テーブルのセッティングの時もう長女の食器は並べない。こういう時こみあげてくるのだ。長女の幸せの門出だと理屈ではわかっていても涙が込み上げてくる。洗濯しては思い出し、布団を干しては思い出す。こうしてみると日常には長女の痕跡は無数にちらばっているのだ。思えば妻を亡くした日からもう26年、母親代わりに精魂込めて育ててきた孫娘が抜けた心の穴は大きい。
一方、母は「おじいちゃんが亡くなったときはここまでグズグズしなかった」とも申している。幼い子3人を抱えて悲しんでる暇がなかったとか。連れ合いを亡くした悲しみに浸る間もなく慈しみ続けてきた孫の一人が家を去るだけでこのありさまだ。私としては感謝しかない。
特効薬は2つある。一つは時間だ。時間をかければやがてまた平安を取り戻す違いないが即効性は期待できない。もう一つある。
むしろこちらが切り札。それは曾孫だ。今時これを前面に出しては「マタハラ」にもなりかねないが、効果はかなり期待できる。
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