医薬分業
私が子供の頃、医者から薬をもらうことが多かった。最近は医者からもらうのは処方箋だけで、薬は薬局でもらうことが増えた。これが「医薬分業」だ。メリット、デメリットとも様々な形で議論されているらしい。
ハンス・フォン・ビューローという人がいた。クララの父の弟子。ピアニストで指揮者だ。音楽史に残る名言をいくつか吐いていることでも知られる。彼の功績に「作曲家と演奏家の分離を決定づけた」ことを挙げる人も多い。彼以前はそれらの区別は混沌としていた。特に指揮の分野において彼の業績は高く評価されている。
我々が今日クラシック音楽と呼んでいる世界においては、過去の作曲家の手による作品を演奏することが定着している。この傾向が現れたのが、実は19世紀だった。ということはつまり、演奏する時点で作曲家が没していることが増えてくる。時間が経つほどそうなる。つまり作曲家イコール演奏家ではあり得ないのだ。「作曲家と演奏家の分離を決定づけたこと」をビューローの功績とするより、時の流れに近いと感じる。彼の功績は、その流れを先取りしたことにあると思う。
さて作曲と演奏の分離はただいま申し上げたとおりだ。実は密かに疑問に思うことがある。
「解釈と演奏の分離」だ。19世紀に作曲と演奏が分離したように、解釈が演奏から新たに分離することはあり得ぬ妄想だろうか。まるで医薬分業のようにである。現在、解釈は演奏の一部だ。CDのラベルには作曲家と作品名と演奏家だけが書かれる。オペラの演出家は例外だ。オペラ以外のCDに解釈だれそれと書かれるようになりはしないかという疑問だ。
私の解釈で誰か演奏をしてくれる人はいないものか。せっかく解釈出来ても演奏で台無しにしてしまうことが多いから、つい妄想が膨らむ。
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