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2022年6月30日 (木)

タルティーニのALA

イムジチのヴィヴァルディボックスのブックレットを頼りに、ヴィヴァルディのコンチェルトにおける、楽章冒頭の発想記号を分析してみた。となるとヴァイオリン協奏曲全集のブックレットを頼りに同じことをタルティーニでやりたくなった。

まずは総数を125曲と押さえる。ここから3楽章ではないケース12曲が脱落するから113曲だ。ここでまずは軽い驚きがある。ヴィヴァルディやテレマンは様々な独奏楽器の協奏曲があったが、タルティーニの113曲はすべてヴァイオリン1本の独奏だ。

さてこのうちプレーンの「Largo」が、これまたプレーンの「Allegro」に挟まれた「真正ALA」は6曲しかない。

  1. D  29 ニ長調
  2. D  55 ホ長調
  3. D  59 ヘ長調
  4. D  93 イ長調
  5. D116 変ロ長調
  6. D117 変ロ長調

「Allegro」「Largo」が何かに修飾されている形「疑似ALA」まで含めると下記10曲が加わる。「Larghetto」2曲をこれに含めている。

  1. D   5 ハ長調
  2. D 13 ハ長調
  3. D 18 ニ長調
  4. D 25 ニ長調
  5. D 36 ニ長調
  6. D 81 ト長調
  7. D 87 ト長調
  8. D 88 イ長調
  9. D123 変ロ長調
  10. D125 ロ短調

合計16曲14%少々の構成比でしかない。ヴィヴァルディとは大違いだ。

2022年6月29日 (水)

バッハのALA

ヴィヴァルディのコンチェルトに「Allegro」「Largo」「Allegro」という3楽章構成がやけに多いと書いた。じゃあバッハはどうなのかというのは自然な展開だ。そもそもバッハのコンチェルトはヴィヴァルディほど多くない。

BWV1055のチェンバロ協奏曲が、疑似ALAに相当するくらいしか見当たらない。楽章冒頭の発想記号なしというケースも大変多い。緩徐楽章に「Largo」系の用語が出るには出るが、「Allegro」にサンドされない。

 

 

 

 

2022年6月28日 (火)

ヴィヴァルディの辞書の可能性

楽譜収集の難易度で言うなら、バッハもヴィヴァルディも大差ない。ブラームスに比べると入手困難だし、その数も多い。CDのブックレット頼りになんとかというレベルだ。

我が家のヴィヴァルディは器楽、コンチェルトやソナタに偏ったコレクションだが、数が多いのでデータベースとしては役立つ。バッハのヴァイオリン協奏曲は片手で足りる数だし、チェンバロ協奏曲まで入れたとしても両手両足の範囲内だ。イムジチのボックス1個で150もの協奏曲がそろうヴィヴァルディは大変ありがたい。

ヴィヴァルディの器楽作品のCDがコンプリートできたら、下記のような弱点はあるにせよ、そのブックレットを分析するだけでかなりな情報が得られるはずだ。

  1. 曲全体の調はわかるが楽章毎の調は不記載のこともある。
  2. 楽章ごとの拍子はほぼ書いていない。
  3. 楽章冒頭のテンポはわかるがダイナミクスは絶望。
  4. 楽章途中のテンポ変更は完全に網羅されない。

テンポ表示に現れる楽語の分析はできるものの、調性や拍子、ダイナミクスとの相関をあきらめればそこそこ楽しめる。

 

 

 

 

 

 

2022年6月27日 (月)

Largo代替

ヴィヴァルディの協奏曲において第1楽章や第3楽章において優勢な「Allegro」の代替にどんな用語が使われているかを調べたばかりだ。ほぼ「Presto」だと推定できる。しからば第2楽章で「Largo」の代わりになっているのはどんな用語か調べた。それぞれの用語のプレーンばかりではなく含むケースも全部カウントした。

  1. Adagio      21曲
  2. Andante 16曲
  3. Cantabile 2曲
  4. Grave  10曲
  5. NO INDICATION  2曲

全部で51曲だ。ラルゴとその仲間たちで88曲あったから、ラルゴ主体は動じないが第1楽章や第3楽章における「Allegro」への固執っぷりに比べれば数段自由。ここで注目は「Andante」だ。ヴィヴァルディが「Andante」を遅い概念だと思っていた証拠だ。「急緩急」の中間楽章に据える以上遅い概念でなければならぬ。

ブラームスの器楽曲では数の上で「Adagio」と「Andante」が拮抗する。「Grave」や「Largo」は少数派である。

2022年6月26日 (日)

Allegro代替

イムジチのヴィヴァルディボックスのブックレットはつくづく役立つ。本日もそこから。収録されている協奏曲は150曲。3楽章制でないもの6曲を除去して144曲がベースだということを念頭に以下のリストをご覧いただく。

  1. 151 Presto
  2. 163 No indication
  3. 173 op6-4 Largo-Allegro
  4. 196 op4-10 Spiccato
  5. 298 Spiccato e non presto
  6. 358 Adagio-Presto
  7. 446 No indication
  8. 483 Presto
  9. 485 Presto
  10. 496 No indication
  11. 542 No indication

結論から書く。144曲のうちこれら11曲だけが第一楽章に「Allegro」が来ない。逆に申せば残り133曲92.4%は第一楽章を「Allegro」または「Allegro+α」で立ち上げている。第三楽章が「Allegro」でないケースは全部で19曲ある。第一楽章よりは落ちるもののこれもかなりの構成比だ。「Allegro」代替はほぼ「Presto」と断言できる。

 

 

2022年6月25日 (土)

Allegroのディテイル

記事「疑似ALA」の中で、「Allegro」や「Largo」のヴァリエーションを話題にした。本日はこのうち「Allegro」について少し深める。

  1. Allegro assai
  2. Allegro ma non molto
  3. Allegro ma poco
  4. Allegro molto
  5. Allegro non molto

疑似ALAに抽出した「Allegro」の変化形は上記の5種類だ。つまりヴィヴァルディはこれらを使い分けている。上記1と4はアレグロを煽ると思われる。2.3.5はアレグロを抑制していると受け取れる。面白いことに煽り型の1と4はブラームスに実例がある一方、抑制形の2.3.5はブラームスに実例がなく、書籍「ブラームスの辞書」に収載されていない。

「Allegro molto」と「Allegro non molto」の違い「non」の有無をヴィヴァルディは意識しているということだ。「Allgro ma non molto」と「Allegro non molto」では「ma」一個の出し入れだ。

「ヴィヴァルディの辞書」が書けそうな気配が立ち込める。

 

 

 

 

2022年6月24日 (金)

疑似「ALA」

記事「ヴィヴァルディのALA」の中で、協奏曲の楽章構成が下記になっている作品をイムジチのヴィヴァルディボックスのブックレットを頼りに抽出した。

  • 第1楽章 Allegro
  • 第2楽章 Largo
  • 第3楽章 Allegro 

プレーンの「Allegro」がこれまたプレーンの「Largo」をサンドしているケースに限ったため「Allegro+α」や「Largo+α」が脱落した。本日はその脱落組をリストアップする。

  1. 128  Dmoll  1楽章が「Allegro non molto」
  2. 202  Cdur op11-5  1、3楽章が「Allegro non molto」
  3. 204  Ddur op4-11  3楽章が「Allegro assai」
  4. 230  Ddur op3-9  2楽章が「Larghetto」
  5. 234  Ddur    1楽章が「Allegro molto」
  6. 244  Dmol  op12-2  2楽章が「Larghetto」
  7. 248  Dmoll  3楽章が「Allegro ma non molto」
  8. 263  Edur  op9-4  1、3楽章が「Allegro non molto」
  9. 267  Edur  3楽章が「Allegro ma poco」
  10. 297 Fmoll 「冬」 1楽章が「Allegro non molto」
  11. 299  Gdur op7-7  1楽章が「Allegro assai」、2楽章が「Largo,cantabile」
  12. 300  Gdur op9-10 1楽章が「Allegro molto」2楽章が「Largo cantabile」
  13. 301  Gdur op4-3 3楽章が「Allegro assai」
  14. 334  Gmoll op9-3  1、3楽章が「Allegro non molto」
  15. 308  Gdur OP11-4  2楽章が「Largo cantabile」
  16. 348  Adur op9-6  3楽章が「Allegro non molto」
  17. 349  Adur  3楽章が「Allgro ma poco」
  18. 383  Bdur op4-1  2楽章が「Largo e cantabile」
  19. 391  Hmoll op9-12  1楽章が「Allgro non molto」
  20. 460  Gmoll op11-6  1、3楽章が「Allegro non molto」
  21. 471  Cdur   1楽章が「Allegro molto」2楽章が「Larghetto」
  22. 481  Dmoll  2楽章が「Larghetto」3楽章が「Allegro molto」
  23. 492  Gdur  1楽章が「Allegro non molto」
  24. 493  Gdur  1楽章が「Allegro ma poco」
  25. 503  Bdur   1楽章が「Allegro non molto」3楽章が「Allegro molto」
  26. 504  Bdur  1楽章が「Allegro ma poco」2楽章が「Larghetto」
  27. 522 Amoll op3-8  2楽章が「Larghetto」
  28. 523  Amoll  1楽章が「Allgro molto」
  29. 525  Bdur  2楽章が「Larghetto」3楽章が「Allegro molto」
  30. 530  Bdur  op9-9  2楽章が「Largo e spiccato」
  31. 552  Adur  「遠くのこだま」 2楽章が「Larghetto」
  32. 565 Gmoll op3-11  2楽章が「Largo e spiccato」
  33. 549 Ddur op3-1  2楽章が「Largo e spiccato」

これらをひとまず「疑似ALA」と名付けるとともに、プレーンの「Allegro」「Largo」だけからなるパターンは「真正ALA」とする。昨日「真正ALA」が144曲中51曲をヴィヴァルディ協奏曲の根幹と位置付けた。惜しくも漏れた変化形「疑似ALA」は、派生形と受け取れる。このほかに1楽章または3楽章がテンポ表示をもっておらず、それ以外は「ALA」いう怪しいケースもあるにはあるが、きりがないので「真正ALA」と「疑似ALA」合計84曲、なんと58.3%が同パターンが占める。

 

 

 

 

2022年6月23日 (木)

ヴィヴァルディのALA

ヴィヴァルディの協奏曲を概観しているとほどなく気づかされる。

  • 第1楽章 Allegro
  • 第2楽章 Largo
  • 第3楽章 Allegro

3楽章構成が優勢のコンチェルトで、その3つの楽章が上記の通りになっているケースが非常に目立つ。ひとまずこのパターンを「ALA」と名付ける。多い多いと言っていてもブログにならぬから、試しに我が家所有のイムジチボックスのブックレットを頼りにカウントしてみた。まずは4楽章以上の楽章から成り立つコンチェルトは早々に脱落だ。「Allegro+α」や「Largo+α」も脱落とする。プレーンの「Allegro」がプレーンの「Largo」をサンドしているケースだけをカウントした。同ボックスに収録されているコンチェルトは全部で150曲。作品番号入りのものすべてとその他少々だ。このうち「ALA」型をRV番号順に列挙し、調性を添えておく。

  1. 117 Cdur
  2. 118 Cmoll
  3. 127 Dmoll
  4. 133 Emoll
  5. 161 Amoll
  6. 178 Cdur  op8-12
  7. 180 Cdur  op8-6
  8. 181 Cdur  op9-1
  9. 188 Cdur  op7-2
  10. 207 Ddur  op11-1
  11. 210 Ddur  op8-11
  12. 229 Ddur
  13. 236 Dmoll  op8-9
  14. 238 Dmoll  op9-8
  15. 239 Dmoll  op6-6
  16. 242 Dmoll  op8-7
  17. 253 Esdur 「海の嵐」op8-5
  18. 259 Esdur  op6-2
  19. 265 Edur  op3-12
  20. 269 Edur  「春」op8-1
  21. 279 Emoll  op4-2
  22. 280 Emoll  op9-7
  23. 284 Fdur  op4-9
  24. 310 Gdur  op3-3
  25. 316 Gmoll  op4-6
  26. 317 Gmoll  op12-1
  27. 332 Gmoll  op8-8
  28. 345 Adur  op9-2
  29. 347 Adur  op4-5
  30. 359 Bdur  op9-7
  31. 361 Bdur  op12-6
  32. 363 Bdur 
  33. 374 Bdur  op7-6
  34. 379 Bdur  op12-5
  35. 392 Ddur
  36. 393 Dmoll 
  37. 394 Ddur
  38. 397 Amoll
  39. 434 Fdur  op10-5
  40. 435 Gdur  op10-4
  41. 437 Gdur  op10-6
  42. 454 Dmoll
  43. 463 Amoll
  44. 464 Bdur  op7-7
  45. 499 Amoll
  46. 500 Amoll
  47. 519 Adur  op3-5
  48. 521 Adur
  49. 531 Gmoll
  50. 564 Ddur
  51. 580 Hmoll  op3-10

以上だ。収録協奏曲数150のうち、4楽章以上から構成されている作品6曲を控除し総数144曲のうち51曲35.4%が「ALA」だった。ヴィヴァルディ協奏曲の根幹をなす位置づけと解する。

2022年6月22日 (水)

空前の大改革

自室在宅スペースの充実を狙った模様替えから50日経過した。在宅ライフがこの上なく充実したことのほかに、特筆すべき変化があった。朝の清掃が完全に定着した。部屋がきれいになったおかげで毎朝起床後、在宅勤務前に自室を掃除する習慣が定着した。従来は実に適当だった。四角い部屋をまあるく掃除して、物も動かさずにごまかしていた。それがどうだ。起床後寝具を上げて、モップがけ。デスクの周りは念入りに雑巾がけ。全ての窓枠、本棚など埃がかかりやすいところも拭き上げる。時間にすれば15分だが、これで気持ちがキリリと引き締まる。

きれいだとやる気がする。そしてそれがきれいの維持に繋がるという好循環だ。

2022年6月21日 (火)

見切りの根拠

記事「舞曲てんこ盛り」で、舞曲ネタの連発をブラームスは咎めぬはずだと書いた。その後昨日までの記事3本で、そう見切った根拠の一つを提示した。ブラームスもクララも私ごときが気づく舞曲のドイツローカルルールを知っていた。学びの初期の段階でドイツの古い音楽を体系的に仕込まれたブラームスが知らぬはずはない。

だから本ブログでの舞曲ネタの連発をブラームスが咎めることはない。エッヘン。

2022年6月20日 (月)

アルマンドはどうした

記事「組曲イ短調」で、1855年9月12日にブラームスがクララに舞曲集をプレゼントしたと書いた。クララが「完全な組曲」と表現している。だからマッコークルのブラームス作品目録は、現存しない「プレリュード」「エア」を「失われた作品」扱いしている。クララの証言を真に受けているということだ。

しかしフローベルガーの定義は「アルマンド」「サラバンド」「ガヴォット」「ジーク」で一そろいだ。この時点で「プレリュード」「エア」は必須アイテムではない。「完全な組曲」と現存する3曲の差異は「アルマンド」なのに、「プレリュード」「エア」を存在確実扱いしているということになる。

ブラームスの生きただ時代までにフローベルガーの定義が変化したのだろうか。もう一つや二つ目から鱗の事情が隠れていそうである。

2022年6月19日 (日)

時代錯誤か

1855年と言えば、世はまさにロマン派まっただなかだ。シューマン、ショパン、リストなどが働き盛り。メンデルスゾーンの記憶さえ新しいころだ。ショパンに限らず、みなピアノのキャラクターピースを主戦場と定めて個性を競っていた。ベートーヴェンの時代にはフェアウェイの中央だったソナタはむしろ異端でさえあったくいらいだ。

その年のクララの誕生日にブラームスは小品をプレゼントする。恩師シューマンの妻にして当代最高のピアニスト・クララに、無名のブラームスが自作を奉ったのだ。そのためにブラームスが選んだのは、ロマン派お得意のキャラクターピースではなかった。古典舞曲の集合体としての組曲を贈ったのだ。すべて同じイ短調が貫かれるという構成、舞曲の選択に至るまで等身大のバロック舞曲集だ。

受けたクララは、これを「完全な組曲」と認識する知見の持ち主だった。シューマン、ベートーヴェンと並んでバッハ解釈でも当代一の泰斗だったクララのお眼鏡にかなう作品を贈ったブラームスは、このとき弱冠22歳だ。この若さで、大切な人へのプレゼントに古典舞曲の集合体たる「組曲」を選ぶセンスは、天性かはたまた教育のたまものが、にわかには判じ難いが、なんだかとてもうれしい。

これだけでブログ「ブラームスの辞書」がバロック特集を展開する価値がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月18日 (土)

組曲イ短調

1855年9月12日だから、クララの誕生日の一日前だ。この日のクララの日記に「ブラームスがイ短調の完全な組曲を突然見せてくれた」という記述がある。その断片は下記の通り今に伝えられている。

  • WoO3 イ短調ガヴォット
  • WoO4 イ短調ジーク
  • WoO5 イ短調サラバンド

マッコークルの「ブラームス作品目録」には「イ短調アリア」「イ短調プレリュード」が失われた作品扱いになっている。この5曲で構成された組曲イ短調をクララは誕プレとして受け取ったことは確実だ。

「完全な組曲」とクララが証言しているのは、組曲が古典舞曲の集合体であることを踏まえていると思われる。舞曲配置の順番を以下の通りと推測する。

  1. プレリュード
  2. サラバンド
  3. ガヴォット
  4. アリア
  5. ジーク

プレリュード先頭は疑問の余地はない。同様にジークが結尾に据えられたのも確実だ。ガヴォットは挿入舞曲だとするならサラバンドとジークの間がふさわしい。エアの位置は悩ましい。先頭と末尾以外どこでもあり得る。語感に照らしてエアのテンポが急速でないとすると、同じ緩めのテンポであるサラバンドの前後には据えにくいかと考えてひとまず4番目とした。

大事なことは音楽の素養が豊かなクララがこの顔ぶれで「完全な舞曲」と表現したことだ。フローベルガーの定義から「アルマンド」が脱落しているにもかかわらずだ。同定義を満たさぬ組曲がバッハでさえ全体の3分の1存在することを考えれば、フローベルガーの定義を満たさぬことをもって「不完全」とはみなさないということだろう。

 

 

 

 

2022年6月17日 (金)

舞曲てんこ盛り

フローベルガーと亡き妻の誕生日の間を舞曲ネタで埋め尽くした。こってりバロックのてんこ盛りの4週間であった。年末にシューベルト特集を終えてから、緩い繋がりのネタを連ねたが久しぶりに気合が入った。ブラームスには直接関係のない話題だが、この系統の話を繰り出したことを咎めるブラームスではないと見切っている。

2022年6月16日 (木)

ホルベアの時代から

グリーグの名高い作品のタイトルだ。ホルベアはデンマークの文豪の名前だ。ノルウエーの作曲家グリークは、ホルベアの生誕200年祭に作品を献じた。グリークとホルベアは同じベルゲンの生まれとういう縁もあろう。

もともとピアノ組曲だが、弦楽合奏でも演奏される。楽章の配置は以下の通り。

  1. 前奏曲
  2. サラバンド
  3. ガヴォットとミュゼット
  4. アリア
  5. リゴードン

小気味のいい舞曲集ながらドイツ組曲の伝統「フローベルガーの法則」からは大きくはずれる選曲。ホルベア(1684ー1754)とバッハ(1685ー1750)は、ほぼ時代が重なる。バッハは3月生まれだから、日本風に申すなら「同学年」だ。つまり「ホルベアの時代」とは「バッハの時代」ということだ。

グリーグの脳裏にバッハはない。もしあったらこんな舞曲チョイスにはなるまい。やはりフローベルガーの法則はドイツ限定だとわかる。

そうそうグリークさんの誕生日は亡き妻と同じだった。つまり昨日である。

 

 

 

 

2022年6月15日 (水)

生きていれば還暦

本日は亡き妻の誕生日。1962年の生まれだから生きていれば還暦ということになる。死んだ妻の歳を数えても仕方がないが、それなりの感慨はある。

 

2022年6月14日 (火)

オルガンの舞曲集

バロック時代のオルガン作品に舞曲が見当たらないという現象を論じている。

 

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ここに一枚のCDがある。2017年の録音。ジャンチャールズアブニッツァーというオルガニストの演奏だ。「ヨーロッパの舞曲とポリフォニー」というタイトルだ。収録された作曲家を没年順に列挙する。

  1. Francisco de la Torre 1460-1504
  2. Heinrich Isaac 1450-1517
  3. Clement Janequin 1485-1558
  4. Claudin de Selmisy 1490-1562
  5. Hans Neosiedler 1508-1563
  6. Tieleman Suzato 1510-1570
  7. Girolamo Cavazzoni 1506-1577
  8. Antonio Valente 1520-1581
  9. Antonio Carreira 1520-1587
  10. M.Praetrius 1571-1621
  11. Jan Pieterszoon Sweelinck 1562-1621
  12. Franciso Correa de Arauxo 1584-1664
  13. William Byrd 1639-1723
  14. Tarquinio Merula 1590-1765

必ずしもドイツ系とは言えなそうな名前もある。タイトルからすぐには舞曲と感じないものもあるし、聴いてもわからん曲もある。でも確かにオルガンで舞曲が弾かれているはずだ。バロック時代の定義を1600年以降とするなら、このメンバーの3分の2はバロック前だ。

10番目のプレトリウスの作品として「クーラント」がオルガン演奏で収録されている。我がブログの主張を根底から覆す反証だ。

楽しくなってきた。

 

 

2022年6月13日 (月)

フレスコバルディ

初期バロック時代のイタリアの作曲家。鍵盤楽器用作品を数多く残した。

彼のオルガン作品の中にコレンテという舞曲があるという情報をキャッチした。流布しているCDを発見できていない。もしも実在するなら、「オルガン作品に舞曲は現れない」という命題の反証になる。あるいはドイツに限ってはという詞書の付与が必要になる。

彼の作品は鍵盤用作品としてくくられて語られることが多い。チェンバロ用なのかオルガン用なのか見極めたい。

 

 

 

 

2022年6月12日 (日)

舞曲とオルガン

シャコンヌを例外として、オルガン作品の中に舞曲が現れないと書いた。「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「ジーク」「ブーレ」などがオルガン作品に出現しない現象のことだ。

バッハ、テレマン、ブクステフーデ、パッヘルベルを見ただけの段階で仮説として提起した。記事「オルガンボックス」で我が家所有のオルガン作品のCDに登場する作曲家に範囲を広げても、同仮説が成り立つ。全集を所有している作曲家ばかりではないから、ゆめゆめ断言は慎みたいのだが、我が家所有のCDには舞曲がオルガン作品に現れない。

オルガンは教会そのものだ。教会ソナタから舞曲が謝絶されている現象と同根と考えたい。

 

 

 

 

2022年6月11日 (土)

シャコンヌは例外か

「教会ソナタ」と「室内ソナタ」を隔てる「舞曲の有無」という条件について、「オルガン自由曲」における舞曲の不存在を根拠に「教会での舞曲の拒絶」という可能性を取り上げた。

少なくともバッハのオルガン自由曲に「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「ジーク」「ブーレ」「シャコンヌ」は現れない。舞曲は教会での演奏にそぐわぬという不文律の存在を提起したつもりである。

しかし、バッハに先行するドイツオルガン界の巨星二人、ブクステフーデとパッヘルベルは「オルガン自由曲」の中に「シャコンヌ」がある。

ブクステフーデは、BuXWV159ハ短調とBuXWV160ホ短調の2曲。パッヘルベルは6曲ある。

周知の通り「シャコンヌ」は舞曲起源だから、「教会が舞曲を拒絶した」という仮説には都合が悪い。

ブクステフーデやパッヘルベルの時代、教会でない場所に設置されたオルガン、つまり世俗オルガンがあり得たのか。あるいは単にバッハとの時代の違いなのか。

「シャコンヌ」は、舞曲だがもともとキリスト教文化圏の舞曲だったからという落としどころが透けて見える。

 

 

 

 

2022年6月10日 (金)

自由の中の不文律

記事「オルガン自由曲の標題」でバッハのオルガン自由曲を構成する標題について整理しておいた。

  1. 前奏曲とフーガ 18曲 「Praeludium und Fuga」BWV531から552まで。
  2. トリオソナタ 6曲 BWV525から530まで。両手と足でトリオという斬新さ。
  3. コンチェルト 5曲 BWV592から596まで。他者作品の編曲。「無伴奏オルガン協奏曲」
  4. トッカータとフーガ 5曲 BWV538、543、564、565、566。
  5. トリオ 4曲 BWV583から586。
  6. フーガ 4曲 BWV574、575、578、579。BWV578は「小フーガト短調」である。
  7. 幻想曲とフーガ 3曲 BWV537、542、582。
  8. 前奏曲 3曲 BWV568~570。
  9. 幻想曲 2曲 BWV572と573。
  10. アリア 1曲 BWV587
  11. カンツォーナ 1曲 BWV588
  12. パッサカリアとフーガ 1曲 BWV582
  13. パストラーレ 1曲 BWV590

コラールに準拠しないという一点をもって「自由曲」とくくられてはいるのだが、実は完全な自由ではないと感じる。「舞曲」がない。「アルマンド」「コレンテ」「サラバンド」「ジーク」「シャコンヌ」「ブーレ」など、バロック時代を特徴づける舞曲が全く出現しない。

わずかに1曲存在する「パッサリア」を舞曲と分類する人もいる。バッハが「パッサカリア」を舞曲と考えていなかった証拠かと妄想も膨らむ。

チェンバロやヴァイオリンによる「ソナタ」には「教会ソナタ」と「室内ソナタ」があって、それらは「舞曲の有無」により分類されていた。「教会ソナタ」には舞曲を含まぬと。「オルガン自由曲」が真に自由なら舞曲を含んでもよさそうなものだ。「自由」とはいえ、やはり「不文律」があるのだ。

持ち運びの難易度から見て、オルガンで弾かれることイコール教会で弾かれることだ。だから、教会ソナタに舞曲の混入が許されぬことと符合する。オルガン作品に舞曲を忍び込ませることはタブーなのだ。

ここでも舞曲を拒絶する教会という構図が示されている。

2022年6月 9日 (木)

歌と踊り

「歌と踊り」はしばしば使われる言い回しだ。セットで用いられる対の概念である。

キリスト教はしばしば「歌う宗教」と評される。賛美歌、コラールなど歌を歌うことが教義にのっとているとされている。宗教改革のルーターは賛美歌を積極的に取り込んだ。歌うことはかなり重要な位置付けにある。西洋音楽自体がキリスト教の関与無しに発展はあり得なかったと断言してもよもやブログは炎上するまい。

踊りはどうだろう。キリスト教が「歌」を中心に据えた「音楽」を巧みに取り入れているとは言いながら、それはあくまでも歌にとどまり、踊りには踏み込んでいないように見える。

収穫を祝う農民の集まりにこそ相応しいのが踊りである。あるいは、記事「ハルツ」で言及したワルプルギスの集まりは踊りが主体だった。朝まで踊るのだ。

毎度毎度のお叱り覚悟がある。キリスト教が歌に重きを置いているのは、「踊り」がザクセン族古来の信仰のベースにあったからではあるまいか。ザクセン族がキリスト教化の名目で、無理矢理捨てさせられた本来の信仰の中心に「踊り」があったのではないだろうか。キリスト教側から申せば「踊り」が異端宗教の象徴だったのではあるまいか。時代が深まれば反キリスト教の意識は薄れて来ようが、踊りはそれでも世俗の風習にとどまったと見たい。メヌエットやジークなど本来舞曲であった音楽が、踊られない器楽曲となって行くのは、キリスト教文化圏の中では必然だったように思えてならない。

「踊り」にはどこかキリスト教的でないノリを感じてしまう。だから、「教会ソナタ」から舞曲が締め出されていると解したらお叱りを受けるのだろうか。

 

 

2022年6月 8日 (水)

教会ソナタ考

バロック時代のソナタが教会ソナタと室内ソナタに分けられていること周知のとおりだ。表面上の違いは「舞曲の有無」だ。教会ソナタには舞曲は含まれない。

ここまで考察を重ねてきた「舞曲の配列」は、室内ソナタに限った話となる。その室内ソナタには「世俗ソナタ」という別称もあるので、舞曲の有無が聖俗の分岐点になっていると見受ける。

意外なことにネットや書籍でいろいろ探しても、「教会ソナタ」のネーミングの由来は明らかにならないから下記の通り想像をめぐらせる。

  1. 教会で演奏したから
  2. 教会の関係者が演奏したから
  3. 教会の関係者が作曲したから

この程度しか浮かばない。

さらに奥に鎮座する疑問がある。「なぜ、舞曲の有無が分岐点なのか」「その結果、舞曲を含まぬ側が、なぜ教会ソナタなのか」

先に想像したようにネーミングの由来がわかればこの疑問の答えも見つかるものと思うのだが。

 

 

2022年6月 7日 (火)

室内ソナタと教会ソナタ

バロック時代の「ソナタ」と古典派以降の「ソナタ」が別物であることはよく知られている。一方バロックのソナタは「教会ソナタ」と「室内ソナタ」に大別される。教会ソナタは、「緩急緩急」の楽章構成を基本とする4楽章。大切なのは舞曲を含まないということだ。室内ソナタは舞曲の混入が許されている。世俗ソナタともいわれている。

つまり、ずっと考察してきた舞曲構成は、室内ソナタに関する話である。舞曲を含まぬバッハのヴァイオリンソナタは教会ソナタと考えていい。

教会ソナタと室内ソナタを分かつ分水嶺は「舞曲の締め出し」とも見える。「教会」が標榜されるソナタに舞曲の混入が許されないのはなぜだろう。

 

 

2022年6月 6日 (月)

ソナタとパルティータ

チェロ組曲とともにバッハ無伴奏作品の双璧を形成する無伴奏ヴァイオリン作品はソナタとパルティータ各々3曲から構成される。このうちソナタは言わゆる「教会ソナタ」で舞曲を含まない一方、パルティータは舞曲の集合体だ。記事「Hortus musicus」で、ラインケンの室内楽の代表作に言及した中で、その楽章構成を下記の通り指し示した。

  1. ソナタ(序奏→フーガ→アンダンテ→フィナーレ)
  2. アルマンド
  3. コレンテ
  4. サラバンド
  5. ジーク

第2楽章以下がフローベルガーの定義を満たしていると書いた。

この第一楽章と残り4つの楽章が分割されたのが、ソナタとパルティータだということだ。古来両者は一体だったのだが、やがてソナタ部分と舞曲部分に分離独立したということだ。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは分離の過渡期がそのまま保存された化石のようだ。

ソナタ、パルティータ各3曲で、調性の不一致に目をつむればソナタとパルティータ各1曲一組とみなしうる。前半部分は後継の舞曲に対する序奏が起源だから舞曲を含まぬのは当然だ。ここに教会ソナタの名称が奉られたものと推察される。序奏ソナタに離脱された後半分は舞曲の集合体となり、やがては「室内ソナタ」と称されるに至る。

最大の疑問は、分離の前半部分、つまり舞曲を含まぬ方に「教会ソナタ」と命名し、後半部分、つまり舞曲の集合体側が「室内ソナタ」になったのかだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月 5日 (日)

Hortus musicus

ヨハン・アダム・ラインケン(1743-1722)の室内楽作品で「音楽の園」という訳が定着している。編成はヴァイオリン2本とガンバ、そして通奏低音だ。ラインケンの作品はオルガン中心なのだが、これはうれしい例外だ。30の小曲の集合体なのだが、5曲ずつにグルーピングされており、事実上6曲の室内楽だ。

その構成は下記の通り。

  1. ソナタ
  2. アルマンド
  3. クーラント
  4. サラバンド
  5. ジーク

このうちの1楽章「ソナタ」は、前奏曲、フーガ、アダージョ、アレグロに細分される。驚くべきは2楽章以降の舞曲構成だ。「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「ジーク」という配列はドイツにのみ有効と思われる「伝フローベルガーの配置」と一致する。

バッハは全30曲のうち、1~6番および11~15番の全11曲をチェンバロ独奏用に編曲している。ラインケンへの敬意を感じさせる。

2022年6月 4日 (土)

舞曲順序の矛盾

フローベルガーのチェンバロ組曲を集めたCDが手元にある。「14の組曲ストラスブルク手稿譜」だ。成立は1675年で、フローベルガーの没後に写し取られた楽譜だ。チェンバロ組曲14作が収められている。その舞曲の並び順を以下に示す。調性とアドラー番号を添付する。A:Allmande/C:Courante/S:Sarabande/G:Gigue

  1. イ短調 Suite15 AGCS
  2. ホ短調 Suite27 AGCS
  3. ニ短調 Suite13 ACSG
  4. ト短調 Suitee18 AGCS
  5. イ短調 Suite1   AGCS
  6. ヘ長調 Suite17 AGCS
  7. イ短調 Suite28 ACSG
  8. ニ長調 Suite11 AGCS
  9. ハ短調 Suite19 AGCS
  10. ニ短調  Suite2 AGCS
  11. ト短調 Suite14 XCSG
  12. ト長調 Suite16 AGCS
  13. ホ短調 Suite23 ACSG
  14. イ長調 なし   ACS

11番目Suite14の第一楽章は「Lamnento」となっている。14番目はアドラー番号なしで、全体が3つの楽章でできている。

一見してAGCSが多い。14曲中9曲が「Allmande」「Gigue」「Courante」「Sarabande」という順序になっている。一方、フローベルガーが確立したとされる「ACSG」はわずか3例に過ぎない。フローベルガーが確立したはずの曲順になっていない組曲の方が3倍も優勢だ。

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月 3日 (金)

ドイツローカル

フローベルガーを論ずるさまざまなソースを見るに、組曲における舞曲配置を決めたのがフローベルガーだとする論説の一方で、フローベルガー自作における逸脱を疑問として提示する指摘も存在する。

「アルマンド」「コレンテ」「サラバンド」「ジーク」という配列のことだ。

ところが、CDのブックレット頼りに様々な作曲家について調べると、必ずしも守られていない。ドイツ系といわれている作曲家については60%の作品で順守されているのだが、イタリアではほぼ無視されている。さまざまなソースが、フローベルガーの自己矛盾だけを指摘する一方、イタリアで無視されていることには不思議と言及が見られない。

伝フローベルガー作のこの順序は、ドイツ語圏でのみ有効と解される。当時の音楽の本場がイタリアだったかどうかはともかく、このルールはドイツのローカルルールであったと結論づけたい。

 

 

 

 

 

 

2022年6月 2日 (木)

テルプシコーレ舞曲集

舞曲は、バロック時代の世俗器楽作品の中枢を占める。原産国、拍子、テンポなど多岐にわたりとても楽しい。踊りの性格を徐々に薄め器楽作品のジャンルに特化していたこと周知のとおりだ。

我が家所有のCDで最古の舞曲が「テルプシコーレ」舞曲集だ。ミヒャエル・プレトリウスが1612年に出版したもの。「Terpsichore」と綴る。ギリシャ語で「舞踏の女神」に由来する。300を超える舞曲集なので我が家のCDは全集ではない。フランス宮廷で演奏されていた旋律集の性格を帯びている。プレトリウスは厳密には編曲者であり、作曲者ではない。旋律を示され、内声やベースラインを付与したに過ぎないという。旋律をベースライン付きで受け取ったか、旋律だけを受け取ったのかが明示されているという。この手の厳密さはブラームスのハンガリア舞曲に対する姿勢と共通するものがある。

本曲集の後に、イタリア、ドイツ、スペインの舞曲集を出す予定だったが実現していない。

ブックレットに現れる舞曲名を列挙する。

  1. Passamezzo
  2. Gaillarde
  3. Boure
  4. Bransle
  5. Philou
  6. Ballet
  7. Pavane
  8. Courrante
  9. Sarabande
  10. Volte

バッハにもみられるのが、ガイヤルド、ブーレー、サラバンド、クーラントなどだが、フロ-ベルガーの規格を構成するジーク、アルマンドが見当たらない。ガヴォットもない。全300のリストがないからこれ以上の推測は野暮というものだ。

イタリア、ドイツ、スペインの舞曲集が出ていたらどんなに楽しかったことか。

2022年6月 1日 (水)

やはりACSG

ブクステフーデの「Wachet auf」のCDに興味深い演奏が混入していた。ヨハン・ハインリッヒ・エルレバッハのソナタ6番ヘ長調。ピッコロヴァイオリンとガンバと通奏低音のためのソナタだ。

先のCDは、バッハとブクステフーデの聞き比べが出来るとほくそ笑んだが、地味に混入していた同ソナタの可憐ないでたちにハッとさせられた。慌ててブックレットを読み込んだところ以下の5楽章から成り立つとわかった。

  1. Affettuoso
  2. Allemande
  3. Courante
  4. Sarabande und variation
  5. Gigue

なんということか。「アレマンド」「クーラント」「サラバンド」がこの順番で並ぶ上に「ジーク」がフィナーレに来ているではないか。先にさんざん話題にし、「単なるドイツのローカルルール」と結論付けた「ACSG」そのままだった。作曲者エルレバッハはバッハより28歳年長のドイツの作曲家だから、「ドイツローカル」という仮説を補強する材料だ。

まあ、しかし作品の可憐さに比べれば枝葉末節だ。

 

 

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