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2022年6月 9日 (木)

歌と踊り

「歌と踊り」はしばしば使われる言い回しだ。セットで用いられる対の概念である。

キリスト教はしばしば「歌う宗教」と評される。賛美歌、コラールなど歌を歌うことが教義にのっとているとされている。宗教改革のルーターは賛美歌を積極的に取り込んだ。歌うことはかなり重要な位置付けにある。西洋音楽自体がキリスト教の関与無しに発展はあり得なかったと断言してもよもやブログは炎上するまい。

踊りはどうだろう。キリスト教が「歌」を中心に据えた「音楽」を巧みに取り入れているとは言いながら、それはあくまでも歌にとどまり、踊りには踏み込んでいないように見える。

収穫を祝う農民の集まりにこそ相応しいのが踊りである。あるいは、記事「ハルツ」で言及したワルプルギスの集まりは踊りが主体だった。朝まで踊るのだ。

毎度毎度のお叱り覚悟がある。キリスト教が歌に重きを置いているのは、「踊り」がザクセン族古来の信仰のベースにあったからではあるまいか。ザクセン族がキリスト教化の名目で、無理矢理捨てさせられた本来の信仰の中心に「踊り」があったのではないだろうか。キリスト教側から申せば「踊り」が異端宗教の象徴だったのではあるまいか。時代が深まれば反キリスト教の意識は薄れて来ようが、踊りはそれでも世俗の風習にとどまったと見たい。メヌエットやジークなど本来舞曲であった音楽が、踊られない器楽曲となって行くのは、キリスト教文化圏の中では必然だったように思えてならない。

「踊り」にはどこかキリスト教的でないノリを感じてしまう。だから、「教会ソナタ」から舞曲が締め出されていると解したらお叱りを受けるのだろうか。

 

 

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