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2022年7月31日 (日)

3大ラルゴ

ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲のお話。それも作品番号付きの範囲で。ヴィヴァルディのコンチェルトは「急緩急」の3楽章制が基本だと繰り返し説明されている。中間2楽章が緩徐楽章となることが漢字3文字で言い表されている。

ブラームスに慣れた耳には新しいのだが、その緩徐楽章には「Largo」が頻繁に現れる。ブラームスはアンダンテやアダージョが優勢なのでいやでも目に付く。

本日は、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲の「3大ラルゴ」を私的に選定する。

  1. 第1位 「調和の霊感」op3-12ホ長調 
  2. 第2位 「四季」op8-4ヘ短調「冬」
  3. 第3位 「ラチェトラ」op9-4ホ長調

結果だけをお示しすると素っ気ない。1位はかなり鉄板だった。今までに何度も言及してきた。第2位は、いわゆる「冬」の二楽章だ。大好きな「調和の霊感」op3-9ニ長調の第二楽章は「Larghetto」なので門前払いになった結果、3位は激戦だった。同じくop9「ラチェトラ」の7番変ロ長調の第二楽章と迷った。皇帝カール6世に献呈されているだけのことはある「ラチェトラ」だ。

2022年7月30日 (土)

これもありか

調和の霊感の12番、ホ長調ヴァイオリン協奏曲のラルゴのこと。

バッハがハ長調に移してBWV976としてクラヴィーア版を編曲している。

これを編曲の対象に選んだバッハに感謝したいとずっと申し上げてきている。我が家所有のCDではピアノで演奏しているのはカツァリスただ一人だ。

いやいやどうして、バロックに慣れた耳には斬新。

 

 

2022年7月29日 (金)

かすかなつながり

記事「研究対象 」で、バッハによるヴィヴァルディ作品の編曲ぶりを列挙した。本日はそこからかすかな細い糸がブラームスにつながる話をする。

リストにあったBWV593の話だ。原曲はヴィヴァルディの「調和の霊感」op3-8で2つのヴァイオリンのための協奏曲イ短調。これをバッハがオルガン独奏用に編曲したもの。この第三楽章142小節目に、作曲上の禁則「平行8度」あるいは「平行5度」があると、ブラームスが指摘している。

ブラームスは同時期や過去の著名な作曲家たちの作品中に現れるこの手の作曲上の禁則違反をことこまかにリストアップしていた。作曲家32名による禁則違反128か所が延々10ページにわたって列挙される中、ヴィヴァルディ作品はここ一か所。ただし、ヴィヴァルディの原曲はリストに入っていないから、バッハが編曲にあたっておかした違反と考えられる。ヴィヴァルディの原曲にこの違反が存在したら、ヴィヴァルディとしてカウントされていたことだろう。

リスト作成中のブラームスは、原曲をあたって裏付けをとったに決まっている。

2022年7月28日 (木)

ウィーン工科大学

ヴィヴァルディの命日がバッハと同じ7月28日だとはしゃいだばかりだ。ヴィヴァルディは1741年7月28日に旅先のウィーンで急死し、同地で一般人扱いで埋葬された。その墓地は既に取り壊されているので墓碑も残っていない。

墓地を取り壊した跡地にたてられたのがウィーン工科大学だ。住所はカールスプラッツ13番地。カール教会至近の位置。ブラームス愛好家にはなじみの地域だ。ブラームスのウィーンの住まいはカールスガッセ4番地で、カール教会とは指呼の間だ。カール教会から工科大学の路地を入ったところにあった。

ブラームス生涯最後の数年の住まいは、ヴィヴァルディの墓地に近いということだ。無理やり見つけたネタ。

 

 

2022年7月27日 (水)

ピアノ三重奏曲第2番寿

本日は母の87回目の誕生日。24日に長女宅でケーキを食べてお祝いした。

20日には新型コロナウイルスの4日目のワクチン接種を終えている。ファイザー、ファイザー、モデルナときて今回はファイザーだった。副作用はほぼ無し。腕が少々重いという状態が翌日あったくらい。

2022年7月26日 (火)

初訪問

一昨日、結婚により巣立った長女の新居を訪問した。母と次女を連れて初めての訪問だ。車でおよそ50分。近からず遠からずの距離。駅近の新興住宅地といった趣きの街。こぎれいな賃貸住宅の2階の一室。

二人で精一杯の歓待を受けた。

幸せそうで何より。

 

2022年7月25日 (月)

まさに醍醐味

店頭で手に取ったのは、単なる偶然だった。ストラディヴァリウスというイタリアのレーベルが珍しくて何の気なしだった。内容はヴィヴァルディのオルガン協奏曲だった。収録曲目を見て血の気が引いた。イタリア語はわからぬものの「RV265」と「BWV976」という記載が確認できた。

 

ヴィヴァルディの「調和の霊感」から12番ホ長調op3-12RV265を、バッハがチェンバロ独奏に編曲したものがBWV976である。ヴィヴァルディのオルガン協奏曲を集めたCDの余白に収録されている以上、チェンバロ独奏用の作品がオルガンで演奏されている可能性が高いとにらんで購入。

 

帰宅して再生するとあたりだった。まさにBWV976のオルガン盤である。第二楽章ラルゴをオルガンで聴けた。

 

そりゃあもう絶句。「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」をシュプラーコラールBWV645で初めてオルガン曲として聴かされて以来の衝撃と申すべきか。いやはや敬虔。ヴィヴァルディにも編曲したバッハにも宗教的な意図なんざあったはずはないのだが、賛美歌風だ。これを教会で聴かされたら神様を信じてしまう。

2022年7月24日 (日)

移調の理由

バッハは、自作であれ他の作曲家の作品であれ、編曲に際してオリジナルではない調に移調することがある。基準は不明だ。チェンバロ奏法に精通したバッハが演奏上の配慮をしたものと受け止められている。

ヴィヴァルディの「調和の霊感」の中、ホ長調協奏曲op3-12を無伴奏チェンバロ協奏曲に編曲する際にも移調を試みている。オリジナルのホ長調がハ長調に移されてBWV976となった。私のようなヘボな弦楽器奏者にとってはありがたい移調だ。ホ長調と言えばシャープ4個が奉られた長調であるのに対し、移調先のハ長調は調号なしだから、演奏が容易になる。

編曲の依頼主であるワイマール公の腕前に配慮した可能性はあるのだろう。高度な芸術的判断とも思えない。

まさかと思うことがある。

同コンチェルトBWV976の次、BWV977ハ長調は原曲不明の作品だが以下のように立ち上がる。

 

20170413_084951
レ抜き音階がひとつ前のBWV976と共通する。

 

20170413_130503
どちらもハ長調だから「ドミファソ」という「レ抜き」っぷりが鮮明に浮き上がる。「移動ド」などという操作をしなくてもいいからだ。

この両作品に共通する「レ抜き」の配置をより鮮明にするためにオリジナルのホ長調をハ長調にしたなどということはあるまいな。

 

 

2022年7月23日 (土)

レ抜きの連鎖

ヴィヴァルディ作曲「調和の霊感」の中12番ホ長調の第1楽章と第2楽章冒頭で「レ抜き」音階が現れると指摘した。とりわけ第2楽章7小節目「cantabile」にもまた「レ抜き音階」が現れると結んだ。

バッハはこれを無伴奏チェンバロ協奏曲に編曲した。BWV976があてがわれている。ワイマールの雇い主の求めに応じて編曲した15曲の一角を構成する。

BWV番号でいうその次BWV977もまたバッハによる編曲なのだが、オリジナルはヴィヴァルディではなく今では知られていない誰かのヴァイオリン協奏曲だ。第一楽章冒頭部分を以下に示す。

 

20170413_084958
赤枠で囲んだ部分を見てほしい。ここにも「ドミファソ」つまり「レ抜き音階」がある。BWV番号は後世の研究者によって付与されたものだが、この並びそのものはバッハのオリジナルだ。「レ抜き音階」をもった作品が連続させたのはバッハの判断だと思われる。

この手のネタを偶然として放置しないのがブログ「ブラームスの辞書」のお約束である。

 

 

2022年7月22日 (金)

カンタービレ削除

ヴィヴァルディのコンチェルトホ長調op3-12の第二楽章。トゥッティがソロに転じる7小節目に「cantabile」と書かれている。ここで鳴る音楽の素晴らしさと合わせて深々と言及しておいた。

さて、同コンチェルトはバッハによって無伴奏チェンバロ協奏曲に編曲さている。その編曲にあたってバッハは、7小節目の「cantabile」をどう取り扱ったのかというのが本日の話題。

 

20170413_110733

譜例は、バッハによって編曲された同楽章の7小節目。つまり「cantabile」はあえなくカットされている。「調和の霊感」全12曲に現れる「cantabile」は6箇所だが、バッハの編曲の対象になったのはこの12番ホ長調だけだから、類例を確認できないのが残念だ。「Largo」などの発想記号や「f」「p」に代表されるダイナミクス用語、あるいは、「Tutti」「solo」などはオリジナルの通り保存されているから「cantabile」の脱落には何らかの意味があると思われる。

「cantabile」があえなくカットになった理由は不明だ。バッハが参照していた楽譜に元々なかった可能性もある。一方で上記譜例の赤矢印をつけておいた「プラルトリラー」はヴィヴァルディのオリジナルには存在しない。バッハが編曲にあたって付加したものと推定できるが、これとてバッハが参照した楽譜には記載されていた可能性も否定できまい。いろいろと悩ましい。

 

 

2022年7月21日 (木)

導音に至る6度下降

民謡学者エルクは、ライフワークとなった民謡収集活動を通じてドイツ民謡の始源の姿を突き止めようとした。近代に作曲された民謡風歌曲と本来の民謡の峻別を試みた。現代の研究成果から申せば、それらの区別にはほぼ意味がないと結論付けられてはいるのだが、当時は大まじめだった。

エルクは、旋律の形質をキーに、いくつかの基準を示した。そのうちの一つが本日のお題「導音に至る6度の下降」だ。こうした旋律が現れたらそれは古来の民謡ではなく、近代以降に作曲された「民謡風歌曲」だということだ。

言われてみればブラームスの歌曲にも「導音に至る6度下降」は、いくつか例が見つかる。

先日来話題にしているヴィヴァルディの「調和の霊感」からホ長調協奏曲op3-12の第2楽章7小節目の「cantabile」に触発されて楽譜を眺めていたら、なんとなんと「導音に至る6度下降」があるではないか。

 

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同コンチェルトの魂ともいうべき「レ抜き音階」の到達点「ロ音」から「嬰ニ音」へ6度の下降だ。「嬰ニ音」は半音せりあがって「ホ音」に進む。「嬰ニ音」は、到達点の「ホ音」に対する導音だから、全体として「6度下降→半音上昇」ということになる。つまり「6度下降して導音に至っている」ということだ。

ドイツ民謡学の泰斗が、旋律の「近代性」と判断する目安とした「導音に至る6度下降」の実例がヴィヴァルディに現れていた。

2022年7月20日 (水)

やっぱりレ抜き

記事「奇跡のカンタービレ」の続きだ。

20170410_182838
ヴィヴァルディの「調和の霊感」からホ長調のコンチェルトの第2楽章7小節目に鎮座する「cantabile」の話題だった。よくよく音の並びを見てほしい。移動ドで読むなら「ドミファソ」だ。同コンチェルトは第1楽章も第2楽章も「ドミファソ」つまり「レ抜き音階」で立ち上がっていると指摘しておいたが、ここにもあった。

全楽器によるアンサンブルからソロへの転換点。低い音のする楽器は合いの手に回る関係もあって響きの趣が変わる。「p」と「pp」のはざまを行きつ戻りつしながらニュアンス1個の出し入れを味わうべきと聴く。

後期バロックの頂点だというのに、やけにロマン的な感じがする。

 

 

2022年7月19日 (火)

奇跡のカンタービレ

記事「カンタービレの位置」で、ヴィヴァルディの「調和の霊感」に現れる「cantabile」を列挙した。その6番目にホ長調op3-12の第2楽章7小節目があった。

20170410_182838

赤丸で囲んだ部分。このカンタービレの美しさは筆舌に尽くしがたい。記事「BWV976」でも述べたとおり、この緩徐楽章自体冒頭から大好きなのだが、このカンタービレは心に沁みる。合奏で始まった楽章が、ここから独奏の見せ場になるというところに「cantabile」が鎮座している。低音楽器は控えめに合いの手を指し挟むだけ。澄み切った空。さめざめとした空気。長調なのになんだかとても悲しい気持ちになる。我が家にあるCDでお気に入りを挙げるなら下記の通りだ。

  1. イムジチ ミケルッチ版 響きの奥行きを感じさせる演奏。何かと安心な老舗感が心地よい。
  2. イタリア合奏団 ジョヴァンニ・ググリエルモ 「pp」の表情が息を呑むほど。泣きたくなる度では随一だろう。
  3. ヨーロッパガランテ ビオンディ版 「四季」で聴かせる小洒落た感じは影をひそめ、どこまでもどこまでも敬虔な感じ。本日話題の「cantabile」の情感では随一。さらに6小節後に現れるアドリブっぷりが見事。

2022年7月18日 (月)

カンタービレの位置

書籍「ブラームスの辞書」の収集対象たるブラームスは、楽譜上に記する音楽用語について、とても雄弁である。だからこそ辞書にしようと思い立つのだ。

ひるがえってバッハやヴィヴァルディなどバロック音楽では事情が大きく違う。楽譜上に記される音楽用語面では寡黙である。「Allegro」など楽曲冒頭のテンポ指示や発想用語でさえ、しばしば省略されるほどだ。

テンポやダイナミクスはそれでもまだ目につく方だ。「dolce」「espressivo」「marcato」などの表情付与の用語は大変に珍しい。ヴィヴァルディの出世作「調和の霊感」においてわずかな例外を形成するのが「cantabile」である。「歌うように」と解されて疑われることはない。「調和の霊感」を構成する12曲の協奏曲の中、「cantabile」と書かれている場所を以下に列挙する。

  1. 5番第2楽章冒頭 独奏ヴァイオリン
  2. 6番第2楽章冒頭 独奏ヴァイオリン
  3. 8番第2楽章5小節目 独奏ヴァイオリン①
  4. 8番第2楽章9小節目 独奏ヴァイオリン②
  5. 8番第3楽章87小節目 独奏ヴァイオリン①
  6. 12番第2楽章7小節目 独奏ヴァイオリン

以上だ。調和の霊感全12曲を通じてたったの6箇所だ。「cantabile」と書く書かないの基準がさっぱりわからない。書くからにはとっておきの場所なのだと思う。ブラームスを含むロマン派の作曲家ほど楽譜上の用語の頻度や種類が多くないから、書かれると相当気になる。

 

 

2022年7月17日 (日)

レ抜き音階

長調の音階から「レ」と「ラ」を抜いてみるといい。「ドミファソシド」「ドシソファミド」と歌ってみればこれが沖縄音階だとわかる。記事「BWV976」で言及したヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲ホ長調op3-12の第二楽章は、移動ドで「ドーミーファソー」と立ち上がる。冒頭こそ「レ」が抜けた音階なのだが、すぐに「レ」(実音:嬰ヘ)が現れるから、聴き手が沖縄テイストを実感することはない。

 

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しかし、「レ」抜きのこの音形は、同協奏曲の中核にも見える。なぜなら第1楽章冒頭にもヴァイオリンに「ドミファソッソッソッソ」が配備されているからだ。

 

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バッハのホ長調ヴァイオリン協奏曲の冒頭を思い出すまでもなく、主和音の上行「ドミソ」なら珍しくもないが、ここに一瞬でも「ファ」が噛むことで微妙な味わいになる。

この手の「異なる楽章間に共通する音列」は、ブラームスにとってはよくある話だ。

2022年7月16日 (土)

BWV976

ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲を、無伴奏チェンバロ協奏曲に編曲した中の一作。

原曲は「調和の霊感」op3-12ホ長調だが、バッハは編曲にあたってハ長調に転調している。バッハが編曲の対象を選ぶ際の根拠は不明だが、この曲を選んでくれた幸せをかみしめるべきだ。

特にだ。特に第二楽章は、神のなせる技かと。

 

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最初にヴァイオリンに現れるリズムが、楽器を代え音高を代え、エコーのように5回繰り返される。フーガでもないところがバッハとは違うところだ。それでいてバッハが協奏曲の緩徐楽章で披露する奥行きと何ら遜色がない。

これに続く独奏ヴァイオリンのつぶやきはただ事ではない。

ヴィヴァルディおそるべし。

2022年7月15日 (金)

お盆のファンタジー49

ディースカウ先生は起きてくるなり「大体読み終えた」と切り出す。昨日さしあげた「ブラームスの辞書」のことだ。

「興味深く読めました」と言ってくれた。「作曲家別音楽用語辞典という着想が斬新です」「全ての作曲家でやりたくなりますね」特にここにご本人がいるけれど、ブラームスさん自身が気づいていないことも多くて驚いたとも。無意識でありながらこれだけの傾向が統計的に表れてしまうのが凄いというか、意外というか。

「ディースカウ先生のようなネイティブのドイツ語話者でも楽譜上ではイタリア語よりドイツ語の方が解釈が難しくなるとご著書にありましたが」と水を向けると、うなずきながら「そうだ」と。「あなたがブラームスの辞書で書いている微調整語がからむと特にな」。「ziemlich」「nicht zu」「etwas」のことだろう。イタリア語で「poco」「piu」「non troppo」とされればたちまち理解できるのにと嘆いておられた話だ。

「ブラームス先生が楽譜上でのドイツ語の使用について自主規制をかけていたというお説には賛成じゃ」「ドイツ語は声楽パートに限ると統計的に証明されてみると思い当たる節も多くてな」と。

感心したのはコンチェルトの独奏楽器が総奏に埋もれないようにダイナミクス表示が工夫されているのに比べて、声楽パートは大管弦楽が伴奏の時でさえ配慮されないという指摘じゃな。「人の声は埋もれない」というブラームス先生のお考えの反映かという提示は印象的だ。ご本人はとぼけて答えてくれない。」 そういえばブラームス先生はさっきから聞こえないふりをしている。

「ディースカウ先生のドイツレクイエムでは特にです」と。生まれて初めて買ったドイツレクイエムのレコードがディースカウ先生の独唱だった話に移った。「私のキャリアを始めた曲だからね」と遠くを見る目つきだ。とくに「4つの厳粛な歌」と「ドイツレクイエム」はドイツの宝。シューベルトさんが残した余白をブラームスさんがきっちり埋めてくれているという感覚だと、ディースカウ先生は淀みがない。ブラームス先生は耳まで真っ赤にしている。

「ブラームス先生に対して欲をいえば」とディースカウ先生が切り出した。私はもちろんブラームス先生もドキッとした。

「欲をいえば、オペラが歌いたかった」

ディースカウ先生ならではオチで、さっきゆうゆうと帰っていった。

 

 

 

 

2022年7月14日 (木)

お盆のファンタジー48

シューベルトネタが全然途切れない2人の間に割って入りながら「ディースカウ先生にプレゼントがあります」と私が「ブラームスの辞書」を差し出す。

ディースカウ先生は「ほえ」と首を傾げたままフリーズ。ブラームス先生が補足説明に入る。「わしの全作品に現れる音楽用語を全部抜き出してアルファベット順に羅列して、使用箇所を添えた代物じゃ」「用例に加えてコメントもある」とどこで聞いたのかやけに詳しい。

今度は私がたたみかける。「先生のご著書シューベルトの歌曲をたどっての中に興味深い個所をみかけました」「ディースカウ先生はMassig
をmoderatoと断言してらっしゃいます」「Etwas~、ziemlich~、nicht zu ~をさして正解テンポにたどり着くのが難しいともおっしゃっています 」「私もその本の中でそういう解釈をしています」「先生はシューベルトから、私はブラームス先生の作品を分析する中から同じ結論に達しているのがうれしくて」と。「もしかして気が合うのではないかと思ったもので」と悪乗り。

あきれ顔のまま我に返ってパラパラとめくっている。「うーん」「ふー」「ほー」「えっと」としか言わない。

「これをくれるのか」とやっと絞り出す。

「もちろん」です。「その代わり先生がシューベルトの辞書を書いたら1冊ください」

一同爆笑となったが、ディースカウ先生の目は笑っていなかった。

2022年7月13日 (水)

お盆のファンタジー47

昨夜遅くまで盛り上がっていたというのにフィッシャーディースカウ先生もブラームスさんも早起きだ。ずっと話し込んでいる。耳を澄ますとどうやら話題はずっとシューベルトだ。ブラームス先生にそう水を向けると、「そらそうじゃろ。こんな機会は滅多にない」「シューベルトでならずっと語っていられる」と目を細める。時折ピアノも歌も織り交ぜながら議論が尽きない感じ。申すまでもなく話題の中心には歌曲がある。次から次へと話題を変えて違う作品の話になるが、ブラームス先生はほぼ楽譜なんかなしで伴奏を付ける。どこで打ち合わせてきたのか、アーティキュレーションの細かなニュアンスまでピタリと寄り添っている。

ほれっと言いながら始まったのは「夜と夢」だ。「あんたの好きな曲だろ」とブラームスさんが弾きながらウインクを寄越すと、もうディースカウ先生はレガートをかぶせる。

調子に乗った私が、「王と王子の12番歌合せ 」の話をした。

  1. 糸を紡ぐグレートヒェン D118 ゲーテ
  2. 永遠の愛について op43-1 ヴェンツィヒ
  3. 月に寄す D193 ヘルティ
  4. 五月の夜 op43-2 ヘルティ
  5. 連祷 D343 ヤコビ
  6. サッフォーの頌歌 op94-1
  7. 幸福 D433 ヘルティ
  8. セレナーデ op106-1 クグラー
  9. 子守歌 D498 ?
  10. 子守歌 op49-4 子供の不思議な角笛
  11. ます D550 シューバルト
  12. 雨の歌 op59-4 グロート
  13. 水の上で歌う D774 シュトルベルク
  14. あの娘のもとへ op48-1 ボヘミア民謡
  15. 夕映えの中で D799 ラッペ
  16. エーオルスのハープに寄せて op19-5 メーリケ
  17. 夜と夢 D827 コリン
  18. 野に一人いて op86-2 アルメルス
  19. ノルマンの歌 D846 シュトルク
  20. 領主フォンファルケンシュタイン op43-4 ウーラント
  21. シルヴィアに D891 シェークスピア
  22. 調べのように op105-1 グロート
  23. 提菩樹 D911-5 ミューラー
  24. 日曜日 op47-3 ウーラント

「隣り合う2曲一組の歌合せですわ」と説明するとディースカウ先生の顔色が変わった。奇数がシューベルト先生、偶数がブラームス先生になっていますと付け加えた。「私個人としては5勝4敗3引き分けでシューベルト先生の勝ち 」でしたと水を向けるとブラームス先生は「わしならシューベルト先生の全勝じゃわ」と口をとがらせる。

ディースカウ先生は「4つの厳粛な歌が入っていないのは不公平ではないかね」といきなりの鋭い質問。「いやいやシューベルト先生側に4つの厳粛な歌に見合う作品がないので」と私が即答。歌合せのペアリングとはそういうものですと。ディースカウ先生は深々とうなずきながら「良い見識です」と同意してくれた。「全体によい趣味です」とほめてくれたばかりか、ブラームスさんに目配せをかますと「糸を紡ぐグレートヒェン」を歌い始めるではないか。ディースカウ先生てのグラムフォンの全集には入っいないのに、聞かせてくれた。「これは本来女性が歌わねばならんのじゃが」と言い訳も忘れないディースカウ先生だ。

あれよあれよという間に全部聞かせてくれた。ディースカウ先生も「おおむねそんなもんだ」と5勝4敗3分に同意してくれながらも4つの厳粛な歌がないことにはアスタリスクを頼むと念を押された。

2022年7月12日 (火)

お盆のファンタジー46

いやはや「日本がこんなに暑いとは」と言いながら2人がそそくさと上がり込んできた。今年ばかりはブラームスさんが誰を連れてくるか見当がついていた。フィッシャーディースカウ先生を得意顔で紹介してくれた。

「ディートリヒ・フィッシャーディースカウです」と右手を差し出す。「ディダと呼んでくれ」とすぐに付け加えてくれた。普通の会話なのにやっぱりちゃんとしたバリトンなので驚いた。「そんなことよりご令嬢の結婚おめでとう」とブラームスさん。長女の巣立ちのことをさっそく切り出すとは、相変わらず目端が利く。「大模様替えで電子ピアノを処分したと聞いて、今日は持ってきたぞ」と意味あり気に切り出す。「今日ばかりはピアノがないと話にならん」といってディースカウ先生の方をみてウインクをかますや否や、ブラームス先生がピアノに向かい何やら弾き出す。「それではお嬢様の結婚を祝して」と前置きしてディースカウ先生が歌いだす。「Se voul ballare signor Contino…」

!!!

「フィガロの結婚」第一幕からフィガロのカヴァティーナだ。先生はもとより伴奏のブラームスも暗譜。我が家のCDではディースカウ先生は伯爵ばかり歌っているのでフィガロが聴けてうれしい。いやもう極楽。

その後、延々と1幕を全曲歌っちまった感じ。ブラームスは「いや適当じゃよ」と言いながらなんとか通す。でディースカウ先生は男役は全部歌えるんだそうだ。先生はバルトロを歌ってもバジーリオを歌っても様になるばかりか、裏声で伯爵夫人やスザンナも悠々とこなす。

私もつられて「もう飛ぶまいぞ」を歌わせてもらった。終わりの方は3人で合唱になった。

フィガロが一段落したところで、今度はディースカウ先生がピアノの前に座る。ブラームスさんは打って代わって神妙な顔をして「身内にご不幸が重なったようですね」と私の顔を覗き込んだ。急な展開に戸惑うばかりだが「はい。1月と5月に伯母と叔父を相次いで亡くしました」と私。ブラームスは意を決したようにディースカウ先生に合図を送る。

ディースカウ先生が音取りの1音を出すや否やブラームスさんが歌いだした。

「4つの厳粛な歌」の第3曲「おお死よ、そなたはなんと苦しいことか」だ。心に響くとはこのことだ。「ありがとう」と絞り出すのがやっとの私。「ここまでの道中サプライズを考えてきたんですよ」とディースカウ先生。そりゃ「私の伴奏でディースカウ先生が歌ってはサプライズにならんじゃろ」としゃしゃり出るブラームスさんだった。たしかに。でもディースカウ先生のピアノすごい。ピアノと声が2拍差でカノンになるところ、ご自身で歌っているかのよう。

「ブラームス先生、僕よりうまい」とうなずくディースカウ先生だった。

 

 

 

 

 

2022年7月11日 (月)

言い訳めいたもの

CDショップの店頭を思い出してみるといい。「ヴァイオリン協奏曲」の売り場だ。大抵は作曲家の五十音順かアルファベット順だ。だから作曲家の時代とは関係なく並ぶことになる。最古のヴァイオリン協奏曲は「四季」で有名なヴィヴァルディあたりとされているが、合奏協奏曲、コンチェルトグロッソから進化したと解説されている。後期バロックに端を発したヴァイオリン協奏曲の万世一系の流れの一翼に、わがブラームスがいる。

と言いたいところだが、そうもいかない。

同じ「ヴァイオリン協奏曲」という表札を掲げながら、バロック時代のそれと古典派以降のそれには明確な違いがある。その違いは主に第一楽章にある。バロック時代のコンチェルトは第一楽章に「リトルネロ形式」を置くのに対し、古典派以降は「協奏曲風ソナタ形式」だ。別名称を与えたいくらいの差なのだが、ごちゃまぜにされている。それはおおむねドイツ古典派側の都合だ。

音楽の中心地イタリアから見たら、田舎もいいところのドイツあるいはドイツ語圏が、音楽的アイデンティティを確立していった18世紀。そのツールになったのがソナタ形式であり、弦楽四重奏であった。国としてのドイツの強大化とシンクロする形で、音楽史上に素知らぬ顔で君臨を始めたドイツ音楽の象徴が「ソナタ形式」なのだ。

その過程で伝統のリトルネロ形式が隅に押しやられ、ソナタ形式の枠に独奏ヴァイオリンが押し込まれていった。ソナタ形式の提示部に繰り返しがあることをいいことに、最初のを管弦楽の提示部とし、繰り返し後に独奏楽器の登場を約することが出来た。リトルネロは独奏と合奏の響きの対象というシンプルな原理であるのだが、ドイツ古典派の論理はそれを許さず、コンチェルトの第一楽章が肥大していった。第一楽章だけでバロックコンチェルトの全楽章の演奏時間よりも長い時間を要求するに至る。

イタリア側からはこうみえているはずだ。

安心していい。音楽史をどう見つめ直したところで、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の価値は微動だにしない。

 

 

 

 

 

 

2022年7月10日 (日)

懺悔のリスト

まずは黙って以下のリストをご覧いただく。

  1. op3-04
  2. op3-07
  3. op3-11
  4. op4-03
  5. op4-11
  6. op4-12
  7. op8-09
  8. op8-10
  9. op9-10

作品の主は全部ヴィヴァルディだ。これらは作品番号を持ったヴァイオリン独奏を伴う協奏曲のうち、第一楽章が3拍子になっているケースだ。6番目だけが8分の3拍子で、残りがは全て4分の3拍子である。

ブログ「ブラームスの辞書」では、かつてブラームス唯一のヴァイオリン協奏曲の第一楽章が3拍子であることを指して、それがとても珍らしいという主張をしてきた。恥ずかしい限りである。古典派以降のコンチェルトや、バッハを観察している限りそんな感触だ。「四季」にだって3拍子はない。

バロック特集の準備としてヴィヴァルディに触れてすぐにこれに気付いて愕然とした次第である。ヴィヴァルディにとってヴァイオリン協奏曲の第一楽章が3拍子になることは、多いとは言えないが、珍しくもないことだ。

2022年7月 9日 (土)

コンチェルト考

ヴィヴァルディの功績として、形式としてのコンチェルトの完成を挙げてもブログは炎上するまい。およそ450曲ともいわれるコンチェルトの中に名高い「四季」も含まれる。独奏楽器をさまざまに組み替えながら、「急緩急」の3楽章制を固めた。

ところが、ブラームスの残した4曲のコンチェルトとなると、ヴィヴァルディ風のコンチェルトとは別物だ。最大の相違は第一楽章にある。ヴィヴァルディはいわゆる「リトルネロ形式」であるのに対し、ブラームスは「協奏曲風ソナタ形式」となる。ウィーン古典派により熟成され、器楽作品の屋台骨を支えたソナタ形式を、協奏曲風にアレンジした代物だ。

協奏曲を構成する3つの楽章の調性の配置において、ヴィヴァルディでは両端楽章を主調とし、中間の2楽章は、同一調、平行調、同主調から選択される。ブラームスでこの原則に当てはまるのは最初の協奏曲であるピアノ協奏曲第一番だけだ。下属調や3度関係の調を採用する。

ピアノ協奏曲第2番では、スケルツォを加えて4楽章制を用いた。コンチェルトのソナタ化を志向したと思われる。

ところが、そうしたソナタ化の中にあって、各楽章の拍子だけは、律儀に慣習を守っているように見える。ヴィヴァルディは各楽章にふさわしくない拍子を設定している。

第一楽章に4分の2拍子は不可。逆にフィナーレ第三楽章に4分の4拍子は不可だ。速い4分の2がフィナーレにふさわしいと考えていたようだ。ブラームスのコンチェルトのフィナーレは全て4分の2拍子だ。伝統の4分の2拍子を採用しつつ、テンポを少し緩めるのがブラームスである。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年7月 8日 (金)

音源確保

イムジチのヴィヴァルディボックスは、合奏という切り口でヴィヴァルディの器楽曲が集められた好企画なのだが、普通のヴァイオリンと通奏低音のソナタop2が収録されていない。またop1とop5のトリオソナタもしかりだ。編成が薄すぎてイムジチではなくなるからに違いない。律儀で結構だ。それを埋め合わせるかのようなアッカルドさんの貴重CDを入手した。op1とop2がすっきりと揃った。

問題はop5のトリオソナタである。

ショップをうろついていて発見した。ブリリアント社が2016年に発売した20枚組のヴィヴァルディ全集。作品番号1から12およびop14のチェロソナタが入って9000円。作品番号付きの作品はコンプリートする。op5のために9000円は痛いが、一枚当たり450円なら悪くないと自分を説得して購入。

ヴィヴァルディの場合、作品番号なしの作品が大量に存在するので網羅性は心もとないが、生前出版の作品がそろうのはありがたい。2013年という新しめの録音ながら、バロックヴァイオリンなのでイムジチさんたちとは異質なテイストである。

2022年7月 7日 (木)

マリア・バルバラ

バッハの最初の妻の名前だ。本日は彼女の命日。1720年に没している。バッハが旅行中だったと伝わる。1707年の結婚だから13年連れ添ったことになる。

 

2022年7月 6日 (水)

バロック世界の境界

バロック組曲に採用されている舞曲を概観してきた。その配置について考察を重ねてきたが、下記の通り知名度の割に話題にならない舞曲もある。

  1. クヤヴィアク
  2. サルタレロ
  3. ソウセツカー
  4. タランテラ
  5. チャルダッシュ
  6. ドゥムカ
  7. トレパック
  8. フリアント
  9. フリスカ
  10. ポルカ
  11. ボレロ
  12. マズルカ
  13. ラッサン
  14. レントラー
  15. ワルツ

ハンガリーやチェコなど東欧系は落選が多い感じがする。バルトークで名高いルーマニア舞曲も全滅だ。当選はポロネーズくらい。バロック舞曲に採用されるされないの基準はどんなものだったのだろうか19世紀になって、上記の舞曲はさまざまな形で知名度を上げたが、バロック時代にはまだ「知る人ぞ知る」状態だったと解したい。人の住むところ踊りがあり舞曲があることを思うとバロック舞曲に採用されるにはそれなりの理由があるはずだ。一方採用された側にも濃淡がある。

バッハは欧州各国の作品を吸収したとされているが、現代の国名で言うなら、イタリア、フランス、ドイツ、スペイン、イギリスあたりがバロック世界の構成員だったと想像する。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年7月 5日 (火)

個体識別の限界

鳴っている音楽作品の題名がわからないと落ち着かない性格だ。ブラームスはほぼわかる。これは、ジャンル名、調性、作品番号の使いまわしで作品の特定が容易なこともこれに貢献している。ジャンル名と調性だけでほぼ十分で、作品番号は補助的でいい。「ハ短調交響曲」とだけいえば「交響曲第1番ハ短調op68」とわかるし、「ニ長調コンチェルトと言えば「ヴァイオリン協奏曲ニ長調op77」とわかる。コンチェルトがニ長調なのは「ヴァイオリン協奏曲」だけだからだ。

ところが、ヴィヴァルディはそうもいかない。ニ長調ヴァイオリン協奏曲と言っても10曲以上あるから、個体の特定には程遠い。バッハの場合はジャンルごとの総数がさほど多くないので「イ短調ヴァイオリン協奏曲」という類の言い回しで事足りる。

さらにだ。ブラームスの場合は楽章冒頭の発想記号が多彩で、事実上の表題として機能する面もあるのに対して、ヴァイヴァルディは「Allegro」「Largo」を筆頭に同じ発想記号を背負った楽章が山ほどある。

結局はリオムさん創設のRV番号に頼らざるを得ないが、ジャンル別調性別に配列して附番しているから「ニ長調ヴァイオリン協奏曲」はみな似たり寄ったりの番号になる。聴きこんで覚えるしか方法がない。楽譜を見ながら聴ければイメージ構築の手助けにはなるのだが、「調和の霊感」と「四季」以外の楽譜は入手しにくいのが現実だ。

頼りは耳だけという厳しさ。

救いは作品の素晴らしさだ。

 

 

 

 

2022年7月 4日 (月)

パーシャル畳

在宅スペースの充実が一段落したのだが、もう一つ嬉しい追加案件があった。

在宅スペースはフローリングだ。これが夜間は寝室を兼ねている。放置すればフローリングの上に布団を敷くことになるが、寝心地的にいかがなものかと思案していた。この暑さで絨毯は速攻で選択肢の外に消え去った。熟考の末、藺草マットを敷くことにした。店頭で迷いに迷って国産の畳プレートにした。半畳分を2枚敷く。

20220630_132904

これが正解だった。この上に布団を敷くととてもよい寝心地になる。枕一つで昼寝するにしても癖になる感触だ。それに加えてほんのり藺草の香りまで漂う。結構なお値段だったが後悔はしていない。

2022年7月 3日 (日)

無意識の結晶

音楽作品は作曲家の創意の結晶である。これは疑えない。それが注文による作曲であったにしてもだ。もちろんその楽譜上に記載される楽語の選択も含めて、作曲家その人の意思の発露である。作品を世に問う手段としての楽譜出版の位置づけが重みを増せば増すほど、楽譜上に記される楽語の重要性もまた高まっていくことは確実だ。

さて、そうした作品がある程度たまってきたとして、作曲家はそれを手元において常に参照しただろうか。もっというならそこで用いられた楽語をカウント集計していただろうか。

おそらく答えは「No」だ。つまり作品自体はそこに書かれる楽語含めて意思の反映であるのに対し、作品群中の楽語の使用頻度までは意識されてはいるまい。250年後の極東日本の愛好家がまさか数えるとは思ってもいないはずだ。

だから楽語使用の頻度は、作曲家の無意識の反映だ。だからこそヴィヴァルディの「ALA」への固執は、個性の反映であると解し得る。

 

 

 

 

2022年7月 2日 (土)

テレマンのALA

「Allegro」が「Largo」を挟む楽章構成を持ったコンチェルトがヴィヴァルディには頻発するのにバッハではちっとも見かけない現象を追いかけている。協奏曲の数がさほど多くないバッハだから仕方ない面もあるとして、多作家として名高いテレマンで試すことにした。

テレマンの協奏曲は全部で112曲あるから、楽しみにしていたのだが、テレマンの場合、協奏曲が4楽章になっているケースが多く、肩透かしをかまされた感じ。全112曲の協奏曲のうち3楽章構成を採用するのはわずか31曲に過ぎない。

本日話題のALA型はたった1曲にとどまる。オーボエ協奏曲変ホ長調TWV51:Es1だけだ。緩徐楽章に「Largo」が用いられないわけではなく、「Allegro」に挟まれないということだ。

2022年7月 1日 (金)

タルティーニさんの事情

タルティーニのヴァイオリン協奏曲125曲について急緩急3楽章の発想記号がどうなっているか調べている。「ALA」はわずか14%程度。しからば何が多いのか。

「急緩急」のうち、両端の「急」については「Allegro」がほとんどで、変わるとしても「Presto」だ。この点はヴィヴァルディと大差ない。問題は中間の「Largo」が、どう差し替わるかだ。そこで両端を「Allegro」で固定し、中間楽章のバリエーションを調べた。

  1. Adagio    20
  2. Andante   22
  3. Cantabile   1
  4. Grave    16
  5. Largo    16
  6. Sostenuto  1
  7. 無表示    2

バランスが取れていると申し上げていいだろう。「Sostenuto」を除けば顔ぶれはヴィヴァルディと大差ない。ヴィヴァルディの「Largo」への固執だけは確実だろう。

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