お盆のファンタジー49
ディースカウ先生は起きてくるなり「大体読み終えた」と切り出す。昨日さしあげた「ブラームスの辞書」のことだ。
「興味深く読めました」と言ってくれた。「作曲家別音楽用語辞典という着想が斬新です」「全ての作曲家でやりたくなりますね」特にここにご本人がいるけれど、ブラームスさん自身が気づいていないことも多くて驚いたとも。無意識でありながらこれだけの傾向が統計的に表れてしまうのが凄いというか、意外というか。
「ディースカウ先生のようなネイティブのドイツ語話者でも楽譜上ではイタリア語よりドイツ語の方が解釈が難しくなるとご著書にありましたが」と水を向けると、うなずきながら「そうだ」と。「あなたがブラームスの辞書で書いている微調整語がからむと特にな」。「ziemlich」「nicht zu」「etwas」のことだろう。イタリア語で「poco」「piu」「non troppo」とされればたちまち理解できるのにと嘆いておられた話だ。
「ブラームス先生が楽譜上でのドイツ語の使用について自主規制をかけていたというお説には賛成じゃ」「ドイツ語は声楽パートに限ると統計的に証明されてみると思い当たる節も多くてな」と。
感心したのはコンチェルトの独奏楽器が総奏に埋もれないようにダイナミクス表示が工夫されているのに比べて、声楽パートは大管弦楽が伴奏の時でさえ配慮されないという指摘じゃな。「人の声は埋もれない」というブラームス先生のお考えの反映かという提示は印象的だ。ご本人はとぼけて答えてくれない。」 そういえばブラームス先生はさっきから聞こえないふりをしている。
「ディースカウ先生のドイツレクイエムでは特にです」と。生まれて初めて買ったドイツレクイエムのレコードがディースカウ先生の独唱だった話に移った。「私のキャリアを始めた曲だからね」と遠くを見る目つきだ。とくに「4つの厳粛な歌」と「ドイツレクイエム」はドイツの宝。シューベルトさんが残した余白をブラームスさんがきっちり埋めてくれているという感覚だと、ディースカウ先生は淀みがない。ブラームス先生は耳まで真っ赤にしている。
「ブラームス先生に対して欲をいえば」とディースカウ先生が切り出した。私はもちろんブラームス先生もドキッとした。
「欲をいえば、オペラが歌いたかった」
ディースカウ先生ならではオチで、さっきゆうゆうと帰っていった。
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