ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 2022年8月 | トップページ | 2022年10月 »

2022年9月30日 (金)

師匠定家

実朝が自ら詠歌30作を定家に送って添削を乞うのが承元3年7月5日のことだ。定家はこれにこたえ合点を付して送り返す。定家の歌論書「詠歌口伝」とともに鎌倉に届くのが8月13日である。その間40日だ。鎌倉京都間片道8日間とするなら、定家は24日で実朝の作品25首に合点を付したことになる。さらに「詠歌口伝」がこのときの書下ろしだとするなら相当な早業だ。

定家からすれば、自らが参画して出来立てほやほやの「新古今和歌集」にも採用した、あの源頼朝の息子がという興味もあったに違いない。おまけに現職の征夷大将軍でもある。「お手並み拝見モード」に違いはあるまいが、素質を感じ取っていたとしても不思議ではない。

だから歌論書をわざわざ送ったということだ。

これにて実朝は定家の弟子と相成った次第。私はその実朝の弟子。

2022年9月29日 (木)

大胆なマーケティング

ワールドカップカタール大会まで2か月のこのタイミングで日本代表の強化試合が組まれた。23日と27日だ。某大手ビール会社は、長くサッカー日本代表を後援しているからスポンサー名を冠した大会になる。今回の会場は2試合ともドイツ・デュッセルドルフである。勝者にはカップのほかに副賞が贈られる。これが同社のビール一年分だと誇らしげだ。国内の開催であれば気にも留めていなかったのだが、ドイツ開催でもビール1年分が賞品だと聞いてのけぞった。

デュッセルドルフと言えば特産のアルトビールが名高い。後から現れて市場を席捲した下面発酵ビールに対して古い製法を守っているという意味でドイツ語「Alt」が冠される。これにとどまらずドイツは周知の通りビール王国だ。ナショナルブランドに背を向け地ビール志向が強い。上位10社集めてもマーケットシェアは50%に届かないはずだ。おまけにドイツでは日本やアメリカでは一般的な米やコーンスターチなど副原料の使用は固く禁じられている。「ラガー」の意味も日本とは大違いでもある。同地の「アルトビール」は日本での通念と違って「ラガー」の反対概念だ。よりによってそのおひざ元の大会でかつてラガーを主力品ともしていた会社が副賞にビール1年分とは、いろいろと心配になる。

本場ドイツの地で勝利を収めたチームに、日本のビール1年分を副賞として贈呈することがマーケティング上プラスだというゆるぎない自信。アメリカとエクアドル相手に1勝1分けは悪くないが、副賞が気になって仕方がない。

2022年9月28日 (水)

頼朝の歌

14歳の実朝が入手した「新古今和歌集」に父頼朝の歌が2首採用されている。

  • 975 道すがら富士のけぶりもわかざりき晴るる間もなき空の景色に
  • 1786 みちのくのいはでしのぶは蝦夷知らぬ書き尽くしてよ壺の碑

右大将頼朝とされている。975は旅の歌。1786は慈円と交わしたやりとり。掛詞、歌枕など技巧てんこ盛りなのにさらさらと流れる。「言いたいことを我慢していないでね」という意味。即興の達人慈円と対等の関係にも見える。

そもそも新古今和歌集などの勅撰和歌集は、文字通り天皇の命で編まれる歌集で22を数える。当代最高の歌人が撰者となって秀歌が集められる。1首でも採用されれば勅撰歌人だ。それだけで相当な名誉。まして新古今和歌集は事実上後鳥羽院の親撰である。後鳥羽院と彼を囲む文学サロンの覚えがめでたいということに他ならない。その後の勅撰和歌集でも選ばれ続け、合計10首が入撰している。

実朝は父頼朝のこうした素質を受け継いでいると考えて間違いあるまい。もちろん実朝はそれを誇りにしていた。都かぶれと言われようともだ。

2022年9月27日 (火)

新古今和歌集受領

元久2年9月2日内藤知親は京都から新古今和歌集を持ち帰った。知親は定家の弟子で、その詠作が詠み人知らずとして「新古今和歌集」にも採用された人物で、実朝とは懇意の仲であったという。こうした縁で完成間もない「新古今和歌集」の全巻筆写と持ち帰りを命じられたということだ。

父頼朝や、頼朝と知見のある、西行、慈円に加え鎌倉と縁浅からぬ飛鳥井雅経などの実作に接した。何よりもそれは後鳥羽院を中心とする歌檀が総力結集した、たわわな果実だった。

このとき実朝14歳。つい半年前に12首歌を詠んだばかりだ。ここからますます歌の道に精進したに違いない。

 

2022年9月26日 (月)

実朝の初学

お歌の世界で「初学」といえば、初めて詠んだ歌ということになる。有名歌人の場合、そうした歌が「初学百首」という具合にまとめられて今に伝えられていることもある。

源実朝の初学については「吾妻鏡」に記載がある。元久2年4月12日の条「12首の和歌を詠じさせたまふ」とある。これは1205年なので実朝13歳だ。また1209年実朝18歳には、20首の和歌を住吉社に奉ったとある。このついでに1206年の作品30首を京都の藤原定家に合点のために送ったとある。合点とは平たく言うと添削してもらうことだ。この30首は「御初学後の歌」と明記されている。だから1205年の12首が初学扱いされている。少なくとも吾妻鏡はそう認識していたということだ。

1203年といえばその前年に京都から嫁をもらった直後であったし、何よりも4月12日のわずか数日前の3月26日には後鳥羽院の肝いりの新古今和歌集が完成したばかりだ。京から迎えたばかりの新婦がそのあたりを話題にせぬはずはあるまい。

その12首が「金槐和歌集」に収載されているかどうかは詳らかではない。

2022年9月25日 (日)

グールド生誕90周年

本日は大好きピアニスト、グレン・グールドのお誕生日。1932年の生まれなので今年は生誕90年のメモリアルイヤーである。ブログ「ブラームスの辞書」がブラームス生誕200年にあたる2033年5月7日までの継続という目標を達成できるとするなら、2032年の「グールド生誕100年」にはそれを記事として取り上げることも出来るはずだが、そこはリスク管理上怪しいと見て今年言及しておくという用心深さだ。

ブラームスのピアノ作品は全曲録音が残ってはいない。彼なりの基準による取捨の結果、特徴ある選集として異彩を放つ。

まあしかし、それは彼のバッハ演奏の前には枝葉末節だ。「バッハの時代にピアノはなかったはず」という指摘なんぞどこ吹く風。

つまり私はグールドが好きだ。だから源実朝特集に敢然と割って入る。

2022年9月24日 (土)

音韻数の収まり

わがブログ「ブラームスの辞書」の管理人のハンドルネームは「実朝の弟子」だ。立ち上げ当初は「アルトのパパ」であった。

  1. あるとのぱぱ
  2. さねとものでし

6音から7音に音韻数を増やしたということだ。和歌的に7音の方が収まりがいいことも変更に踏み切った理由であった。この場合の6音は細かく申せば「3+1+2」である。和歌的にすこぶるおさまりが悪い。「3+3」なら初句や第三句の字余りとしてなじむのだが「3+1+2」ではどうにもならんと思い詰めた。

一方の「さねとものでし」は「4+1+2」である。これは「五七五七七」を構成する2句4句結句のどこに置かれても様になる。特に結句は、2音か4音の名詞を末尾に置くと引き締まる。つまり体言止め適性が高いということだ。

ささやかなこだわり。

 

 

2022年9月23日 (金)

鎌倉在住の右大臣

「かまくらのうだいじん」と読む。右大臣は古来朝廷の太政官の役職だ。左大臣に次ぐ地位。奈良時代に始まり明治維新まで存続したから、経験者は膨大な数に上る。数ある右大臣を区別するための工夫が古来試みられてきた。代表的なのは居住地を添えて「どこそこの右大臣」という方法だ。「鎌倉の右大臣」は「鎌倉にいる右大臣」の意味で過不足ないのだが、ポイントはこれで個体識別ができるということだ。鎌倉に居住した右大臣は源実朝しかいないということだ。

しかも彼は一度も京都を訪れたことはない。それでいて実朝は官位の上昇に固執した。今はやりのリモートなのだ。彼を右大臣にしたが最後、しょっちゅう朝議に欠席することは確実だ。あるいは栄華を誇った平家はその頂点で平清盛が太政大臣になっていたことを意識していたかもしれない。平家と同格に上り詰めたいと願った可能性は高かろう。

彼の前任は九条道家。太政大臣九条良経の次男。良経などというより後京極摂政太政大臣として小倉百人一首に採られている「きりぎりす」のおじさんなどと気安く呼んではいけない。私の歌人大好きランキングでは源実朝、後鳥羽院に次ぐ第3位に君臨する。九条道家が左大臣に昇進したために右大臣の席がぽっかりと空いた。左大臣九条良輔が死没したことによる昇格人事だ。

昇格か死没しか席が空かないという中、完璧なタイミングだったということだ。

2022年9月22日 (木)

金剛寺

神奈川県秦野市にあるお寺。創建は1219年。源実朝の首を埋葬したことから始まったとされる。公暁が暗殺後に持ち去ってこんなところにということだ。実朝座像もあるし、実朝の首塚という遺跡も近所にある。

鎌倉幕府の正史「吾妻鑑」はこのあたりの事情には沈黙しているが、やけに説得力がある。

実朝の首をもってやりましたとばかりに三浦泰村に見せに行く途中で無念の死を遂げた公暁。刺客は泰村手配ともいわれる。このあたりの手回しの良さが気になる。持ち物の首は刺客に渡らず、三浦氏と仲の良くない武氏の手に渡り、同家の領地に持ち帰られてそこで埋葬されたらしい。

それが金剛寺だという。

 

2022年9月21日 (水)

寿福寺

鎌倉五山の一つ。

1971年8月5日、今は亡き父に連れられて小学校6年の私は、鎌倉を訪問した。夏休みの自由研究の取材旅行でもあった日帰りハイキングの主目的が鶴ケ丘八幡宮と寿福寺だった。そう父は私に歴史の名場面を語るのを楽しみにしていた。実朝暗殺の舞台とその墓所が、旅のメインになるのは必然でさえあった。

北条政子と実朝の母子が眠るという場所、あまりのオーラに暑さを忘れて立ち尽くした。昨日のことのようだ。

が、しかしそこに埋葬されているのは実朝の胴体だけだとあとで知った。

実朝を討った公暁は首をはねていた。暗殺に成功した証とするためである。それを「やりました」とばかり持ち込んだ先で。あるいは持ち込む途中で殺されたという。「やりました」は「言われた通りやりましたのでほめてください」の意味だろう。持ち込んだ先の人から唆されていた。確かにそれは北条氏ではないし、鎌倉幕府の正史たる吾妻鏡も沈黙している。そりゃ「北条氏が唆して」とは筆を滑らすはずもない。「甥が叔父を討った」つまり「源氏内部の内輪揉め」である方が好都合に決まっている。

人の口に戸は立てられないのは何もネット社会だからではないのだ。庶民は薄々というパターンだ。

 

2022年9月20日 (火)

甲斐善光寺

そりゃあ私のような善男善女にとって善光寺と言えば長野で決まりだ。本日のお題にある甲斐はお隣の山梨県だ。つまり山梨にも善光寺があるということだ。元はというとそりゃあもちろん信濃だそうだ。何しろ武田信玄公が川中島の合戦を前に、念のために仏像や宝物を疎開させたことが始まりという。疎開というと聞こえは確かにいい。山梨県内では信玄公を悪く言う人はいるまいが、長野の人はどう思っているのだろう。

ここに源実朝の座像がある。鎌倉末期の作で現存するものとしては最古の実朝像と言われている。由来の通り信濃から持ち込まれたとされている。つまり実朝没後かなり経過してから、しかしまだ鎌倉時代に作成され、戦国時代に武田信玄が疎開させるまでは信濃にあったということだ。

中学高校で習う歴史をいくら読み返しても実朝と信濃の国の関係なんぞ書かれていない。実朝本人の暗殺後、かなり経過してから実朝の座像を作ろうと欲する人物や団体が信濃の国にいたということだ。何せ鎌倉幕府の正史たる「吾妻鏡」は北条氏寄りの記述にとどまっており、それを鵜呑みの日本史に慣れてしまっている。目から鱗の裏話が1つや2つ、いや10や20隠されていると感じる。

2022年9月19日 (月)

エリザベス女王

9月8日に96歳で崩御した英国のエリザベス女王の葬儀が今日19日に執り行われるという。始まったばかりの源実朝特集を敢然とさえぎって言及する。

このお歳で公務をこなし、先般トラス新首相と握手したばかりなので驚いた。87歳の母がポツリとつぶやいた。「葬儀を敬老の日に合わせるとはさすがだねぇ」「私もまだまだがんばらねば」と。日本の祝日に合わせるはずもないのだが、母は冗談のつもりではないようだ。

母とともに心からご冥福を祈る。

2022年9月18日 (日)

予告通り

記事「二重予告 」で9月17日から次の特集を立ち上げると申し上げた。そう今回の特集は「源実朝」だ。

私のハンドルネーム「実朝の弟子」はもちろん彼に由来する。中学時代に父から鶴ケ丘八幡宮の惨劇の話を繰り返し聞かされて以来のお気に入りで、今では第2位に伊能忠敬、第3位に森鴎外を従えて、日本史人物大好きランキングの首位をぶっちぎりで独走中だ。某大河ドラマ放映前からこの位置付けにあることはお断りするまでもない。

高校生になって小学校4年の時に完全に暗記した小倉百人一首の「鎌倉右大臣」が彼のことであると知ったときの衝撃は今もって忘れない。実朝への傾倒は、クラシック音楽への目覚めよりもさかのぼる。歴史の授業での実朝像には違和感特盛だ。都かぶれの暗愚な将軍でなければ都合の悪い人たちがいたのだろうとまで思い詰めている。

かつて私自身の還暦を祝して展開した特集「令和百人一首」でも片鱗には触れたが今回生誕830年を期に再び取りあげる。

ブラームスネタからの華麗な逸脱にぞありける。

 

2022年9月17日 (土)

実朝生誕830年

鎌倉三代将軍だ。もちろん私のブログのハンドルネームは彼にちなむ。彼は建久3年8月9日のお生まれ。これはちゃきちゃきの陰暦なので、今の暦にすると1192年9月17日となる。

ああ、つまり今日は源実朝生誕830年のメモリアルデーである。ブラームスネタを悠然とさえぎって言及する次第。

日本史の登場人物でもっとも大好きな人だ。第2位は伊能忠敬、第3位は森鴎外という滅茶苦茶なランキングのトップに君臨する。

歌人としてのベスト3でも当然ながらトップ。第2位は九条良経、第3位は後鳥羽院。

 

2022年9月16日 (金)

耳コピ

鳴っている音楽を聴いてそれを楽譜に書き留めることあるいは、その能力のことか。聴音とは決定的なニュアンスの違いが有るような気がする。作曲や演奏の第一人者の中にはこの才能を併せ持っている者も多いが、作曲や演奏の能力とは別の才能だと思われる。

歴史上名高いのはモーツアルトだ。旅先で聴いたミサ曲を帰宅後に正確に楽譜に書き落として見せたらしい。聴く力もさることながら、記憶力も並ではない。

この場合の正確さの範囲はどこまでだったのだろう。

  1. 音の過不足が無かったことは当然だ。
  2. 演奏者が間違って出していた音を楽譜に書く際に修正するくらいは朝飯前だろう。
  3. 演奏に参加しているパートが過不足無く再現されていることも想像に難くない。
  4. 演奏者たちが見ていた楽譜と、アーティキュレーションまで一致していたのだろうか。スラーやスタカート、アクセントなどだ。
  5. テンポ記号やダイナミクスまで完璧に一致したのだろうか。

上記4や5まで完璧に一致したことを指して「正確」と表現したのだろうか。だとすると演奏も本当に緻密だったのだと思う。

楽譜上に「p」という記号を見た演奏者が、「このくらい」とばかりに出した音を聴いた耳コピイストが、毎回必ず「p」と書けるのだろうか。「耳コピ」の能力とはここまで含むものなのだろうか。あるいは演奏者の解釈まで見通して同じ音量でもこいつなら「p」だが、あいつなら「mp」などというさじ加減があるのだろうか。単に耳コピの能力という場合そこまで含むのだろうか。

気になりだすときりがない。

2022年9月15日 (木)

傍観者

ブラームスは活字が好きだ。楽譜以外の出版物によく目を通していた。文学作品はもちろんのことだが、新聞雑誌の類も定期的に読んでいたらしい。学術的音楽雑誌が彼の遺品の中から、書き込みとともに見つかっているという。クラシック音楽界の動向にも関心があったということだ。だから、当時の楽壇を二分した論争を十分知っていた。自らが片方の当事者の首領に祭り上げられていたこともよく認識していたに違いない。

ところが、奇妙なことに論争の当事者であるはずのブラームスは、新聞雑誌などに意見を投じていない。論争の様子を眺めるだけで、自らはジャーナリスティックな手段に訴えることをしていない。もちろんブログもHPもない。ブラームスは自らの情報発信を楽譜の出版だけに限定していた。

自称「未来の音楽」が闊歩していた時代にあっては大変珍しいことだ。自らの領分が作曲であることを肝に銘じていたのだと思う。

「未来の音楽に興味はない。未来に残る音楽を書きたいだけだ」と言ったらしい。単に「ウィット」というには、あまりにも含蓄が深い。

 

 

2022年9月14日 (水)

傑作の森

同一人物の手による作品を作曲年代順に並べる。傑作と呼び得る作品が、一定の時期に密集している場合に、その時期のことを「傑作の森」と呼ぶことがある。

傑作が密集するという現象が認められる時点で、彼が大作曲家だと判る。ベートーヴェンにおいては、英雄交響曲から田園交響曲にかけての時期が、しばしばこのように言い回される。

考えてみると興味深い。傑作の出現に濃淡があることが前提だ。「淡」の部分があるからこそ、「濃」の部分を認識できる。全部「淡」の人は大作曲家と呼ばれないから安心だ。問題は「全部が濃」の人だ。

ブラームスは他の作曲家たちの研究者と親しかったから、後世自分自身がどのように研究されるかも、ある程度想定していたに違いない。だから自分の作品一覧表に濃淡が起きないように、あるいは「濃」ばかりになるように意図した。クララやヨアヒムなど信頼出来る友人と意見交換を欠かさなかったし、満足できない作品の廃棄に万全を期したことは有名だ。

私はブラームスラブだから「全部が濃」に見えている。脳味噌にブラームス補正がかかっているとも言える。

だからブラームスに傑作の森は存在しない。(きっぱり)

2022年9月13日 (火)

1234567アクセス

昨日午後、誰かが「1234567アクセス目」のキリ番を踏んだ。

2005年5月30日の開設から6314日目だ。アクセスカウンターには0から7まできれいに数字が並んだはずだ。今のアクセス状況ではさらにその末尾に8が加わるのを私が見ることはできまいということで、これにて盛り上がっておく。

これはクララ・シューマンから私への褒美に違いない。だって今日はクララのお誕生日だ。

ブログ「ブラームスの辞書」は、この手を偶然と軽視しないことで出来ている。

 

2022年9月12日 (月)

フォアカード

9月9日に新型コロナウイルスの4回目のワクチン接種ができてから3日目を迎える。

またまたファイザーということで4連続となった。ポーカーなら誉めてももらえるのだが。今回も腕の重さと37度台の発熱で切り抜けた。

2022年9月11日 (日)

涸渇

井戸や泉の水が干上がること。湧水が止まることだから、芸術上のアイデアが出せなくなることの意味に用いられることも少なくない。作曲家の場合、曲想が浮かばなくなることだ。日ごろ、「霊感無しには一行たりとも作曲すべきでない」と考えるブラームスにとって楽想の涸渇は作曲活動の停止を意味する。

1890年弦楽五重奏曲第2番を完成したブラームスは、自らの状態を「涸渇」と判断した。今後は過去の作品の整理に徹すべしとまで思いつめる。

実際にはこの後、一連のクラリネット入りの室内楽や、「世界遺産・ピアノ小品群」、さらには「4つの厳粛な歌」「オルガンのための11のコラール前奏曲」が書かれる。私のような愛好家には「涸渇」ではなく一瞬のスランプに見える。

ところが一部には、このうちのピアノ小品群を「涸渇」の証拠と感じる人もいるようだ。作品番号でいうと116から119までを背負った合計20曲の小品群は、主題やモチーフの面で相互に密接な関連を示すものがある。耳に心地よい旋律を思いつくままに次々を繋ぎ合わせるのとは対象的な世界を構築している。そこにあるのは限られた旋律やモチーフを様々な角度から掘り下げるという姿勢だ。当然用いられる旋律やモチーフの種類は少なくなる。それでいてプアな印象に直結しないところが、ブラームス的だと私は思うのだが、一部の人には曲想の涸渇のリカバーと映っているということなのだ。

私はフレーズやモチーフを含む曲想の節約を貧相と同居させないことがブラームス節の根幹の一つと考える。節約と豊かさが程よいバランスで両立しているのがブラームスだ。先の議論は、このうちの節約の部分だけを見て、涸渇と評しているように思われる。

個人個人の考え方の違いだから、仕方がない。しかしこういうものの見方が割と世間に流布した入門系書物の中に現われるとなると感心しない。聴き手が自分の判断で「涸渇」と感じるのは大いに結構だが、入門解説書の中で記述しては余計な先入観を植えつけかねない。

 

 

2022年9月10日 (土)

錯覚

複数の作曲家、それも2人3人ではない相当数の作曲家について、公平に取り扱った読み物は少なくない。作曲家辞典まで行かずとも、各々の作曲家の簡単な略歴と代表作に言及した読み物だ。あるいは、一冊一冊は特定の作曲家に限定した内容でも、同様のコンセプトで編集されたシリーズ物なども、作曲家間の公平な扱いが売り物だ。

私もちょくちょくお世話になる。

しかし、順に読み進めて話がブラームスに差し掛かった途端に、「おや」と思うことが多い。ブラームスの部分だけが唐突に平易に感じるのだ。下手をすると「陳腐」にも見えてしまう。

これは紛れも無く錯覚だ。それらの著者がブラームスの記述だけ手を抜いたわけではない。私の側の知識が、ブラームスに極端に偏っていることによる錯覚である。初級中級の作曲家ガイドにそのような意図的な偏向記述がある訳が無い。

読んで私が感じる違和感の度合いは、そのまま私の側の知識偏在をパラレルに反映していると見なければならない。相当深刻である。

2022年9月 9日 (金)

最終回をどうする

ブログ「ブラームスの辞書」は既に丸17年を経過した。

17年前の立ち上げ当初には考えもしなかったことがある。

ブログ「ブラームスの辞書」の最終回はどうするのだろう。ブログの目標が達成されたらそそくさとブログを閉鎖するかというとそうでもない。書籍「ブラームスの辞書」の販売在庫が底を突いてもブログは継続させたくなってきた。

大げさな話、ブログの最終回を考えると言うことは「死」を考えると言うことだ。死とまで申さずとも、ブログの更新が出来ないほどのよっぽどの事情を考えるということだ。交通事故、天変地異、病気などなど考えるといくらでも思いつく。

ブラームスは作品の終わり方を考えてから全体のデザインをしたと思わせる曲が多い。けんかや戦争も終わり方が難しいとも聞く。

つまりこのブログをどう終わらせるか、あるいはブログの最終回の記事をどういうものにするか日頃からキチンと考えておかねばならないと感じ始めている。それだけブログ「ブラームスの辞書」が私にとって重要な存在になってしまったということだ。

備蓄記事の最後尾に、その時点で考え得る「最終回の記事」を準備しておくというのが現実的だ。実際に私の身に何かが起きても、既にセットした備蓄記事は毎日1本ずつ順番に公開されるだろう。それら備蓄記事の最後に最終回をセットするのがスマートだ。備蓄記事が増えるたびに、最終回記事は後ろにずらされ、常に備蓄記事の最後尾に鎮座させねばならない。もちろん最終回で言いたいことは刻々と変化するから、それに合わせて記述も修正する必要がある。

割と周到。

 

 

 

 

2022年9月 8日 (木)

ブラームスに見られている

ブログ「ブラームスの辞書」にオカルトのカテゴリーが創設されかねない話でもある。

一昨年には開設15周年を過ぎたブログ「ブラームスの辞書」だ。本の売れ行きに比べれば記事の更新は順調である。昔から「継続は力なり」といわれているが、今それを実感している。長く続いているということが、どれだけモチベーションの維持に貢献しているか計り知れない。一方このところ何か別の大きな力で続けさせられているような気にもなっている。

天国のブラームスや父が私のブログや本を読んでくれているような気がするのだ。そりゃあ日本語が判るハズもないブラームスだけれど、そう考えることで記事の堕落に歯止めがかかるような気がしている。素人の駄文に過ぎないのだけれど、気合だけは何卒という半ば甘えたニュアンスだ。甘えの部分は、「1日も途切れさせない」という約束事で少しはカバーしているつもり。父はにこにこと頷いているだけな気もするがブラームスに見られていると思うと、変なことは書けないという意味で背筋がピンと伸びる。

「ご先祖様に申し訳がたたない」という感覚に似ている。ブラームスの命日が父の誕生日という偶然が心地よく重い。

 

2022年9月 7日 (水)

62歳7か月と14日

父が没したのは1997年11月17日だ。私が妻を亡くしてから1年9か月後。子供たち3人をなんとかいつくしんできた矢先に父も失ったということだ。長男5歳、長女3歳、次女2歳を抱えて母はそこからさらに子育てにまい進する。悲しんでいる暇なんぞなかったというのが実情だった。

その母から生まれた私は今日62歳7か月と14日に到達する。父の亡くなった時の年齢に追いついた。追いついてみると若い。そりゃあ基礎疾患のデパートだし、あちこち無理も利かなくなってもいるが、死ぬほどではない。この年齢で愛する家族を残して逝った父の無念を改めてかみしめる。

私にできることは限られている。1つはこうしてブログで言及すること。

もう1つは87歳で健在の母を大切にすること。

両立可能。

2022年9月 6日 (火)

自認

「自分で認めること」と解してまさか大きくはずしていることはあるまい。

ブラームスの作品に親しく接する後世の愛好家や評論家、あるいはひょっとして演奏家が、ブラームスをベートーヴェンの後継者と位置づけることがままある。作品をいろいろ分析した結果、このように評価する人がいることを妨げるつもりはない。

私自身もそう思う。けれどもブラームスの姿勢を調べて行くと、過去の作曲家に対する敬意や、それら作品の研究ぶりを見るにつけ、ベートーヴェンだけを取り立てて扱うことには違和感も感じる。

ましてや、ブラームス本人がベートーヴェンの後継者を自認していたとまで断言されると、一寸バッターボックスをはずしたくなる。

ピアノソナタ第1番とハンマークラヴィーアソナタ冒頭との関係や、第一交響曲作曲の経緯には、ベートーヴェンとの関連を伺わせる要素が存在しそうだが、それだけで後継者を自認していたとまで申しては飛躍が過ぎると感じる。交響曲の作曲にあたって、ベートーヴェンの9つの先例に負けない出来映えを目指したことは確実だが、第1番以外の3曲では、そうした力みもあまり感じられない。ベートーヴェンとの関連が必要なのは周囲の愛好家ばかりで、本人はそうでも無かったなどと無惨な想像もしたくなる。

そもそも過去の作曲家、ましてやベートーヴェンクラスの大物を挙げて自らを後継者に据えるなど、慎重派のブラームスでは考えにくい。

後世の人々の評価と本人の自認とは厳密に分けるべきだと思うが、その点曖昧な議論が多いとも感じている。注意が必要だ。そこがあいまいな方が好都合だなどという後世の事情もあるかもしれぬ。

2022年9月 5日 (月)

ネタの出どころ表示

著書「ブラームスの辞書」の執筆中に心がけていたことがある。ブラームスについての仮説や見解を提示するとき、それが自分のオリジナルなのか、他者からの引用なのか明らかな表現をすることである。とりわけ他者からの受け売り・引用の際には細心の注意を払った。「~だそうだ」「~らしい」「~と云う」等を文末に忍び込ませて、伝聞であることをほのめかしたり、「誰それのどういう書物の何ページ」という具合に出処を具体的に提示したりしてきた。

もちろんブログ「ブラームスの辞書」の記事も同様である。後から削除も編集も可能なブログは、出版物よりは数段柔軟だが、気を遣うことには変わりがない。

たとえば、ブラームスの第一交響曲の第四楽章の主題がベートーヴェンの第九交響曲の歓喜の主題に似ているというくらいメジャーなネタになってしまえば気遣いは不要だが、中途半端なメジャー度のネタの場合には神経を遣った。とはいえ、ド素人の自費出版本といえども、文章であるから、流れもあれば脈絡もある。「ネタの出どころ表示」に心を砕く余り、文章の流れが、ぎこちなくなってはいけない。要はバランスだが、口で言うほど簡単ではない。

何せ「ぎこちなくなってはいけない」という部分に配慮し過ぎると、ネタの出どころはたちまち曖昧になる。文末に参考文献をまとめて掲載しても、個々のエピソードごとの出どころはぼやけてくる。日本語で読めるブラームス本に関する限り、この感度を甘い側に設定してあるケースも散見される。あるいは、そこがぼやけているほうが好都合なのかと思われることも無いではない。結局一冊丸ごと他からの引用という極端なケースも混在することになる。自説の披露というより、「外国の偉い学者の説の紹介」に終始しているというわけだ。

著書にしろブログにしろ「ブラームスの辞書」は、出来るだけ自分のオリジナルの考えを披露する場だと考えている。だから、どこからどこまでが引用で、どこからどこまでがオリジナルなのかの線引きがとても大切になるというわけだ。他者からの引用なり、学界の定説を紹介することは、極力簡素化している。それらは私のブログで読まなくても、どこかに書いてあるからだ。

その自説たる代物が、幾多の批判にさらされる覚悟めいたものも少し持ち合わせている。

 

 

 

 

2022年9月 4日 (日)

偉人ランキング

日本歴史上の人物の人気投票なるイベントを見かける。日本人が好きな歴史上の人物に投票するのだ。上位はほぼ不動だが、某公営放送の大河ドラマも影響するらしい。

巨大かつ素朴な疑問がある。

ドイツ人に対してドイツの偉人人気投票をしたら、我らがヨハネス・ブラームスはベスト10入りするのだろうか。音楽史にジャンルを絞ってしまったら上位入りは確実だからつまらない。音楽にジャンルを絞らずに投票してもらうのだ。私にとっては音楽分野以外でドイツの偉人を10人思いつくことが既に難題である。ドイツ人にやってもらうことに意義がある。

  1. ゲーテ
  2. シラー
  3. ダイムラー
  4. ビスマルク
  5. コッホ
  6. メンデル?
  7. ルター
  8. レントゲン
  9. ジーメンス
  10. シュリーマン
  11. ハイネ
  12. グリム
  13. メッサーシュミット
  14. ロンメル
  15. ガウス
  16. ジーメンス
  17. デューラー
  18. ベッケンバウア
  19. メルケル
  20. ウィルヘルム1世
  21. フリードリヒ大王

ドイツあるいはドイツ人におけるブラームスの位置づけを一度折り入って確認しておきたいものだ。

2022年9月 3日 (土)

ふめんづら

「楽譜の見てくれ」のことだ。楽譜を見た感じの印象くらいのニュアンスで何ら難しいことはないがタイトルが平仮名になっているのは訳がある。これを漢字で書くとどうなるのか。おそらく「譜面面」なのだと思う。「面」が重なって落ち着かない。かといって「譜面づら」でもピッタリ来ない。実はこの言葉の表記が難しくて意図的に使わずにいた。決定版を見つけきれずにいる。よい知恵はないものか。

ブラームスの「ふめんづら」は独特だと思う。

  1. 音が多い。つまり譜面が黒い。
  2. オクターブや3度、6度での重音が多い。弦楽器でさえしばしば重音が要求される。
  3. しばしば旋律が3度6度オクターブで重ねられる。
  4. スラーがしばしば小節線をまたぐ。
  5. やけに長いスラーが多い。
  6. 異なるリズムが同時に鳴ることが多い。
  7. 実質変拍子でありながら、拍子記号を変更せずに押し通す。
  8. ちょっと見では気付かぬヘミオラが隠れている。
  9. 用語の使い方が多様で繊細。

「ブラームスの辞書」はこのうちの9番目だけを異常にクローズアップした書物である。

 

 

 

 

 

 

2022年9月 2日 (金)

二重予告

昨日でヴィヴァルディネタに一区切りつけた。同時に第三次バロック特集も一段落とする。

次の特集の開幕は9月17日。

このことを予告するとともに、まだまだ今後バロック特集があることも予告しておかねばならない。「第4次」と振りかぶるかは別としてバロックネタが絶えることはあり得ない。

 

 

 

 

2022年9月 1日 (木)

ヴィヴァルディ記事100本

カテゴリー「316ヴィヴァルディ」は、バロック特集開幕以前には1本も記事がなかった。2017年9月25日に初めて公開されたのだが、本日のこの記事をもって100本に到達した。

いやいや感慨深い。新学期での登校初日に無事、自由研究を提出出来た感覚に似ている。

シューマン、ベートーヴェン、ワーグナー、モーツアルトに先んじての到達をバッハ先生もブラームス先生もきっとお喜びだ。

 

 

 

« 2022年8月 | トップページ | 2022年10月 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ