実朝の初学
お歌の世界で「初学」といえば、初めて詠んだ歌ということになる。有名歌人の場合、そうした歌が「初学百首」という具合にまとめられて今に伝えられていることもある。
源実朝の初学については「吾妻鏡」に記載がある。元久2年4月12日の条「12首の和歌を詠じさせたまふ」とある。これは1205年なので実朝13歳だ。また1209年実朝18歳には、20首の和歌を住吉社に奉ったとある。このついでに1206年の作品30首を京都の藤原定家に合点のために送ったとある。合点とは平たく言うと添削してもらうことだ。この30首は「御初学後の歌」と明記されている。だから1205年の12首が初学扱いされている。少なくとも吾妻鏡はそう認識していたということだ。
1203年といえばその前年に京都から嫁をもらった直後であったし、何よりも4月12日のわずか数日前の3月26日には後鳥羽院の肝いりの新古今和歌集が完成したばかりだ。京から迎えたばかりの新婦がそのあたりを話題にせぬはずはあるまい。
その12首が「金槐和歌集」に収載されているかどうかは詳らかではない。
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