師匠定家
実朝が自ら詠歌30作を定家に送って添削を乞うのが承元3年7月5日のことだ。定家はこれにこたえ合点を付して送り返す。定家の歌論書「詠歌口伝」とともに鎌倉に届くのが8月13日である。その間40日だ。鎌倉京都間片道8日間とするなら、定家は24日で実朝の作品25首に合点を付したことになる。さらに「詠歌口伝」がこのときの書下ろしだとするなら相当な早業だ。
定家からすれば、自らが参画して出来立てほやほやの「新古今和歌集」にも採用した、あの源頼朝の息子がという興味もあったに違いない。おまけに現職の征夷大将軍でもある。「お手並み拝見モード」に違いはあるまいが、素質を感じ取っていたとしても不思議ではない。
だから歌論書をわざわざ送ったということだ。
これにて実朝は定家の弟子と相成った次第。私はその実朝の弟子。
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