鎌倉在住の右大臣
「かまくらのうだいじん」と読む。右大臣は古来朝廷の太政官の役職だ。左大臣に次ぐ地位。奈良時代に始まり明治維新まで存続したから、経験者は膨大な数に上る。数ある右大臣を区別するための工夫が古来試みられてきた。代表的なのは居住地を添えて「どこそこの右大臣」という方法だ。「鎌倉の右大臣」は「鎌倉にいる右大臣」の意味で過不足ないのだが、ポイントはこれで個体識別ができるということだ。鎌倉に居住した右大臣は源実朝しかいないということだ。
しかも彼は一度も京都を訪れたことはない。それでいて実朝は官位の上昇に固執した。今はやりのリモートなのだ。彼を右大臣にしたが最後、しょっちゅう朝議に欠席することは確実だ。あるいは栄華を誇った平家はその頂点で平清盛が太政大臣になっていたことを意識していたかもしれない。平家と同格に上り詰めたいと願った可能性は高かろう。
彼の前任は九条道家。太政大臣九条良経の次男。良経などというより後京極摂政太政大臣として小倉百人一首に採られている「きりぎりす」のおじさんなどと気安く呼んではいけない。私の歌人大好きランキングでは源実朝、後鳥羽院に次ぐ第3位に君臨する。九条道家が左大臣に昇進したために右大臣の席がぽっかりと空いた。左大臣九条良輔が死没したことによる昇格人事だ。
昇格か死没しか席が空かないという中、完璧なタイミングだったということだ。
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