最終回をどうする
ブログ「ブラームスの辞書」は既に丸17年を経過した。
17年前の立ち上げ当初には考えもしなかったことがある。
ブログ「ブラームスの辞書」の最終回はどうするのだろう。ブログの目標が達成されたらそそくさとブログを閉鎖するかというとそうでもない。書籍「ブラームスの辞書」の販売在庫が底を突いてもブログは継続させたくなってきた。
大げさな話、ブログの最終回を考えると言うことは「死」を考えると言うことだ。死とまで申さずとも、ブログの更新が出来ないほどのよっぽどの事情を考えるということだ。交通事故、天変地異、病気などなど考えるといくらでも思いつく。
ブラームスは作品の終わり方を考えてから全体のデザインをしたと思わせる曲が多い。けんかや戦争も終わり方が難しいとも聞く。
つまりこのブログをどう終わらせるか、あるいはブログの最終回の記事をどういうものにするか日頃からキチンと考えておかねばならないと感じ始めている。それだけブログ「ブラームスの辞書」が私にとって重要な存在になってしまったということだ。
備蓄記事の最後尾に、その時点で考え得る「最終回の記事」を準備しておくというのが現実的だ。実際に私の身に何かが起きても、既にセットした備蓄記事は毎日1本ずつ順番に公開されるだろう。それら備蓄記事の最後に最終回をセットするのがスマートだ。備蓄記事が増えるたびに、最終回記事は後ろにずらされ、常に備蓄記事の最後尾に鎮座させねばならない。もちろん最終回で言いたいことは刻々と変化するから、それに合わせて記述も修正する必要がある。
割と周到。
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