頼朝の歌
14歳の実朝が入手した「新古今和歌集」に父頼朝の歌が2首採用されている。
- 975 道すがら富士のけぶりもわかざりき晴るる間もなき空の景色に
- 1786 みちのくのいはでしのぶは蝦夷知らぬ書き尽くしてよ壺の碑
右大将頼朝とされている。975は旅の歌。1786は慈円と交わしたやりとり。掛詞、歌枕など技巧てんこ盛りなのにさらさらと流れる。「言いたいことを我慢していないでね」という意味。即興の達人慈円と対等の関係にも見える。
そもそも新古今和歌集などの勅撰和歌集は、文字通り天皇の命で編まれる歌集で22を数える。当代最高の歌人が撰者となって秀歌が集められる。1首でも採用されれば勅撰歌人だ。それだけで相当な名誉。まして新古今和歌集は事実上後鳥羽院の親撰である。後鳥羽院と彼を囲む文学サロンの覚えがめでたいということに他ならない。その後の勅撰和歌集でも選ばれ続け、合計10首が入撰している。
実朝は父頼朝のこうした素質を受け継いでいると考えて間違いあるまい。もちろん実朝はそれを誇りにしていた。都かぶれと言われようともだ。
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