耳コピ
鳴っている音楽を聴いてそれを楽譜に書き留めることあるいは、その能力のことか。聴音とは決定的なニュアンスの違いが有るような気がする。作曲や演奏の第一人者の中にはこの才能を併せ持っている者も多いが、作曲や演奏の能力とは別の才能だと思われる。
歴史上名高いのはモーツアルトだ。旅先で聴いたミサ曲を帰宅後に正確に楽譜に書き落として見せたらしい。聴く力もさることながら、記憶力も並ではない。
この場合の正確さの範囲はどこまでだったのだろう。
- 音の過不足が無かったことは当然だ。
- 演奏者が間違って出していた音を楽譜に書く際に修正するくらいは朝飯前だろう。
- 演奏に参加しているパートが過不足無く再現されていることも想像に難くない。
- 演奏者たちが見ていた楽譜と、アーティキュレーションまで一致していたのだろうか。スラーやスタカート、アクセントなどだ。
- テンポ記号やダイナミクスまで完璧に一致したのだろうか。
上記4や5まで完璧に一致したことを指して「正確」と表現したのだろうか。だとすると演奏も本当に緻密だったのだと思う。
楽譜上に「p」という記号を見た演奏者が、「このくらい」とばかりに出した音を聴いた耳コピイストが、毎回必ず「p」と書けるのだろうか。「耳コピ」の能力とはここまで含むものなのだろうか。あるいは演奏者の解釈まで見通して同じ音量でもこいつなら「p」だが、あいつなら「mp」などというさじ加減があるのだろうか。単に耳コピの能力という場合そこまで含むのだろうか。
気になりだすときりがない。
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