傑作の森
同一人物の手による作品を作曲年代順に並べる。傑作と呼び得る作品が、一定の時期に密集している場合に、その時期のことを「傑作の森」と呼ぶことがある。
傑作が密集するという現象が認められる時点で、彼が大作曲家だと判る。ベートーヴェンにおいては、英雄交響曲から田園交響曲にかけての時期が、しばしばこのように言い回される。
考えてみると興味深い。傑作の出現に濃淡があることが前提だ。「淡」の部分があるからこそ、「濃」の部分を認識できる。全部「淡」の人は大作曲家と呼ばれないから安心だ。問題は「全部が濃」の人だ。
ブラームスは他の作曲家たちの研究者と親しかったから、後世自分自身がどのように研究されるかも、ある程度想定していたに違いない。だから自分の作品一覧表に濃淡が起きないように、あるいは「濃」ばかりになるように意図した。クララやヨアヒムなど信頼出来る友人と意見交換を欠かさなかったし、満足できない作品の廃棄に万全を期したことは有名だ。
私はブラームスラブだから「全部が濃」に見えている。脳味噌にブラームス補正がかかっているとも言える。
だからブラームスに傑作の森は存在しない。(きっぱり)
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