ブラームスに見られている
ブログ「ブラームスの辞書」にオカルトのカテゴリーが創設されかねない話でもある。
一昨年には開設15周年を過ぎたブログ「ブラームスの辞書」だ。本の売れ行きに比べれば記事の更新は順調である。昔から「継続は力なり」といわれているが、今それを実感している。長く続いているということが、どれだけモチベーションの維持に貢献しているか計り知れない。一方このところ何か別の大きな力で続けさせられているような気にもなっている。
天国のブラームスや父が私のブログや本を読んでくれているような気がするのだ。そりゃあ日本語が判るハズもないブラームスだけれど、そう考えることで記事の堕落に歯止めがかかるような気がしている。素人の駄文に過ぎないのだけれど、気合だけは何卒という半ば甘えたニュアンスだ。甘えの部分は、「1日も途切れさせない」という約束事で少しはカバーしているつもり。父はにこにこと頷いているだけな気もするがブラームスに見られていると思うと、変なことは書けないという意味で背筋がピンと伸びる。
「ご先祖様に申し訳がたたない」という感覚に似ている。ブラームスの命日が父の誕生日という偶然が心地よく重い。
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