部立「雑歌」
勅撰和歌集には定型がある。最初の古今和歌集で確立された部立てもその一つだ。概ね下記の通りだ。
- 春
- 夏
- 秋
- 冬
- 賀
- 旅
- 恋
- 雑
このうち春から恋までは、おのおのの部の内部も時間的経過が意識される。春が細分されたり、恋の過程がトレースされたりするというわけだ。古来積み上げられてきた和の美意識に基づく決まり事と言い換え得る。まずはそれらをきちんと踏襲することが必要だ。詠み手自身の経験や感情、詠み手の眼前に横たわる事実よりも、決まりごとの踏襲が優先されるかのようだ。それを窮屈とせず、なおその制約の内側で自らの心を注入することが求められる。一方それらを否定して「自分第一」「事実優先」と頑張るのが現代短歌という極論も透けて見える。
実朝はその制約に嬉々として従う。「金槐和歌集」が勅撰和歌集譲りの上記部立てを再現していることからもそれを読み取ることができる。詠まれた歌を見てもその制約の内側に立つという強い意志が見え隠れして息苦しくもある。
ところがだ。定家初伝本でいうなら536首目から「雑歌」の部に入ると様相が一変する。ひとことで言うなら実朝が和歌の制約から開放されているように見える。正岡子規の激賞に代表される「万葉調の実朝」がこれ以降顕在化する。しきたりとはいえ「雑歌」などというタイトルはいささか誤解を招く。実朝本来の姿をそれまで無理やり伏せていたかのようだ。
雑歌部におけるこの激変ぶりこそ、「金槐和歌集」の最大の見せ場だと信じて疑わない。これほどの歌心がありながらなお、制約の内側にキチンと身を置くという意思。22歳だというのになんだかブラームスっぽい。
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