吾妻鏡
鎌倉時代の歴史書。北条氏の手による正史の様相を呈する。頼朝から6代将軍までを編年体で追いかける。北条氏視点に立った記述のため、同時代の別書物を参照しながらの確認も要るとされる。しかし鎌倉時代を知りたいと思ったら避けてばかりもいられない。
実朝の実情を知ろうとする場合、「金槐和歌集」と並ぶ2本柱とならざるを得ない。頼朝、頼家、実朝の死により一番得をしたのは誰かという視点からは、生煮えの記述もある。都合の悪い場合は沈黙しているようにも見える。少なくとも実朝補正のかかった私にはそう見える。
実朝の将軍在位は1203年から1219年まで16年にも及ぶ。江戸時代大御所と呼ばれた家斉の在位50年には及ばないし、吉宗や綱吉などの有名所よりも短い。室町幕府なら義満や義政には及ばないが、徳川秀忠と同じくらいでけして短くはない。北条氏の操り人形だったとか、官位に固執し、和歌や蹴鞠に没頭する公家かぶれだとか武士らしからぬ軟弱さだとか、こうした一般のイメージには吾妻鏡の印象操作もありはしないかと危惧する。
日本書紀を紐解けば「悪逆非道の前帝に代わって即位」という場合、前帝が本当に悪逆非道だったかどうかは一応怪しむべきだ。前帝からの皇位継承が不正だったことを隠す印象操作の可能性がある。歴史書を書いているのは前帝ではなくその後継天皇だ。前帝が悪い奴だったほうが何かと好都合だということだ。おごる平家はそれほど悪くなかったかもしれない。源氏にとっては「平家がわがままで、民心が離れていた」方が都合がよかっただけではないか。私には実朝が暗愚で、軟弱だった方が好都合な人が書いたのが吾妻鏡だと思えている。
過剰な実朝補正というお叱りは元より覚悟の上である。
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