実朝の名付け
建仁3年9月15日、朝廷から鎌倉に千幡を従五位に叙すという位記と、征夷大将軍の宣旨が届いた。どちらも9月7日付けだが、東海道を8日かけて下ってきたということだ。同時に「実朝」の名を後鳥羽院から授かった。後鳥羽院が実朝の名付け親ということになる。
このあたり8月27日頼家重病、9月2日比企の乱、9月6日頼家出家と吾妻鏡の記述はとにかくあわただしい。
その後も9月21日に頼家の鎌倉退去が決定。9月29日修善寺に下向。10月8日実朝元服だ。
そうそう、征夷大将軍の宣旨の日付建仁3年9月7日を今の暦に直すと1203年10月13日となる。今から819年前の今日だ。
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