柳営亜槐本
実朝の歌集「金槐和歌集」には複数の異本が伝えられている。もっとも権威あるのが「建暦三年本」。そりゃあそうで、2013年鎌倉の実朝が定家から届いた「万葉集」の写本に返礼する形で贈ったという記述と一致する。別名「定家所伝本」だ。実朝自撰でありかつ部立てから詞書まで本人の手によるといういわくつきの663首である。
これに対して江戸時代貞享4年刊行の異本がある。奥書によって「柳営亜槐本」と呼ばれている。「柳営」とはもともと中国起原で「出征先の将軍の居所」のことだが、日本では単に「幕府」のことだ。「亜槐」は「大納言」の「唐名」。「あわせて幕府にあって大納言だった人」となる。室町8代将軍足利義政が有力視されているという。問題は収載数。定家初伝本より53首多い。部立ても修正されている。定家初伝本が実朝本人の自撰、部立てなのに、このうちの部立てをわざわざ修正するだけの見識の持ち主とするなら、義政は相応しい。収載数の差は、実朝が定家に贈呈してからも、作品が加えられていたことをうかがわせる。あるい定家が削除した53首かもしれない。この53首のうち41首は柳営亜槐本以外に見られない貴重な作品群だ。
義政といえば、23番目の勅撰和歌集の編纂を決意したほどの人物。芸術に関してはなんでも達者。応仁の乱で計画がとん挫していなければ、実朝の作品がいくつか収載されたことは確実だ。
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