遅れ馳せ古典派
「歌詠みに与ふる書」で引用された実朝像は子規の反古今集の象徴とされ、実朝があたかも「万葉調」の使い手であるかのような印象を持って語られる。新古今の後になって現れた万葉歌人たる位置づけ。といいながら子規は真淵への論評で一部の万葉歌を批判もしている。実朝礼賛ではあっても万葉を手放しでは賞賛しない。
私が初めて「歌詠みに与ふる書」の実朝論に触れて舞い上がったのは、「遅れてきた古典派」あるいは「遅れて来た万葉歌人」という位置付けがブラームスとかぶったからだ。ロマン派の終焉間近に出現した頑固な古典派という評価に通ずるものがあると感じたからだ。子規の激賞が古今集批判のツールだと種明かしされて我に返った。ブラームスは時に古典派どころかバッハさえ飛び越えて前期ドイツバロックに及ぶ古い音楽への敬意を感じさせてくれる。飛び越えて昔に戻りはするが、飛び越す先輩作曲家への敬意だけはいつも忘れない。
金槐和歌集の雑歌の部に到達する前の伝統的部立ての中では、古来の和歌の伝統に身を置くための挌闘が見て取れる。本歌取り、歌枕、掛詞、枕詞、序詞の技法を駆使して古典の制約の内側に留まることと個性の発露の両立を健気に志向した。
そしてそれが雑歌の中で結実する。京都の貴族には詠めない歌。武士の痕跡、東歌のたたずまい、意図的とも無意識とも断じ難い不器用さ。若さに似合わぬ風格。縦横無尽の着想と語彙。私はそれらに心から共感するものの、前段の挌闘を否定しない。雑歌とそれ以前の豹変ぶりこそが鑑賞の対象となっている。
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