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2022年10月20日 (木)

歌詠みに与ふる書

正岡子規の論述。とはいうものの冒頭いきなり「最近の歌」のヘタレ振りを嘆く。曰く「万葉以降、実朝以降ロクな歌がない」とかなりな剣幕だ。いささか唐突な実朝の引用だというのにひるむ様子もなく続く。「30にも届かずにあえなく惨殺されたが、もし長生きしていたらもっと名歌を出していたはずだ」と。人麻呂、赤人、貫之、定家と著名歌人を次々と列挙しながら、実朝はそれらに埋没せぬと説く。山と高さを争い、月日と光を競うようだとさらにエスカレートする。誰に聞いたか「古来凡庸の人だとの評価された」ことは誤りだときっぱりである。とどめが彼の作品に対する評価「単なる器用ではなく、力量、見識、威勢取り揃え、時流に染まらず、世間に媚びず」だ。「死に歌詠みの貴族とは正反対」ととどめを刺す。

冒頭の実朝礼賛が一段落すると、同じ勢いで賀茂真淵や万葉集の批判に移るが、今の歌はこれらよりもっと下だと手厳しい。

さらに「再び歌詠みに与ふる書」「三たび歌詠みに与ふる書」とほとばしる。紀貫之と古今集もこてんぱんの論調。一部新古今もやり玉にあがる。あろうことはこの調子で「十たび」まで与えられていささか満腹だ。

冒頭の実朝激賞は、その後延々と続く万葉。古今、新古今批判のツールだと判明する。昔、冒頭の実朝激賞の部分だけに触れて、すっかり舞い上がった私だが、冷静に全体の文脈を味わうに至って得体の知れぬ違和感を感じた次第。「金槐和歌集」雑歌以降展開する実朝節ばかりに目が行って、それ以前の挌闘が無視または過少評価されてはいまいかという違和感。そんなほめられ方は実朝自身望んではいるまいという、おずおずとした確信。定家が実朝に授けた「詠歌口伝」との最大の違いは「先行歌人へのリスペクトの有無」だ。こうした目で眺めてみると「歌詠みに与ふる書」というタイトルが「上から目線」にも見えてくる。

音楽に例えていうなら、バッハや、ベートーヴェンやモーツアルトをとことん批判する文脈の中で、「それに引き換えブラームス最高」と叫んでいるようなものだ。ブラームスはそれを喜ぶはずがない上に、主張する本人の見識が疑われかねない。

けれども子規のこうした主張に賛同する人は少なくなかったと見ていい。明治以降の近代短歌はその脈絡の上にある。その意味でなら、私は歌詠みになりたくもない。

 

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