おほかたに
おほかたにもの思ふとしも無かりけりただ我がための秋の夕暮 SWV185
秋と言えば夕暮れだ。名高い三夕の歌がある。
- 心無き身にもあはれは知られけり槙立つ山の秋の夕暮 西行
- 寂しさはその色としも無かりけり鴫立つ澤の秋の夕暮 寂蓮
- 見渡せば花も紅葉も無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮 定家
結句に「秋の夕暮」が置かれる。先行する第四句がその秋の夕暮れの形容になっている。これらは3首に共通する特徴だ。寂蓮と定家は第三句に「否定形」を据える。実朝はこれも忠実にトレースしているとわかる。特に寂蓮とは第二句後半「としも」まで共通だ。しかししかし三夕の歌はそれぞれ「山」「澤」「浦」というように具体的な舞台が設定されているのに対し、実朝はぐっと内面的だ。第四句「ただ我がための」が、結句「秋の夕暮」の形容というにはあまりに切実である。「ただ私を悲しませるためにやって来た秋」とまで思い詰める。これが22歳までに詠まれたとなるとただ事ではあるまい。
14番目の勅撰和歌集「玉葉和歌集」に採用されている。むべなるかな。
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