ほととぎす
葛城や高間の山のほととぎす雲居のよそに鳴きわたるなり SWV126
定家は本歌取りの元歌に同時代の作品を選んではならぬと説いた。実朝はこの点に限って、師匠の教えを守っていない。金槐和歌集には同時代の作品を元歌に採った本歌取りに溢れている。この歌の元歌は「ほととぎす雲居のよそに過ぎるなり晴れぬ思ひの五月雨の頃」である。なんと作者は時の上皇、後鳥羽院だ。御製からは鳴き声は聞こえない。初句にほととぎすを配置してはいるもののそれは鳴かずに飛び去って、晴れぬ思いを後に残す。五月雨の頃の憂鬱な気分をあらわすツールである。鳴いてなんぼのほととぎすを鳴かずに去らせるという細かい細工が前面に出ているのに対して、実朝は「やっぱり鳴いてなんぼでしょ」とばかりに鳴き渡らせる。しかも場所は高間の山とまで指定する。実朝は正攻法に徹している感じ。上皇の歌を元歌に採る征夷大将軍であるけれど、まったく臆していない。これを金槐和歌集に混ぜて定家に贈ってしまう鷹揚さは一体どこから来るのだろう。
同時代の上皇の作品を元歌にされては、さすがに勅撰和歌集には採用されない。空気の読めぬ実朝である。
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