野辺分けぬ
野辺分けぬ袖だに露は置くものをただこの頃の秋の夕暮 SWV516
結句に「秋の夕暮」が来てはいるもののこの歌は旅の部に置かれている。「秋の夕暮」は旅のわびしさを仄めかすツールに過ぎない。新古今風の「言わぬが華」とばかりの省略が大胆。「野辺分けぬ袖」とは「旅の途上にない一般人の袖」だ。「旅は野を分けて行く」という前提で詠まれる。旅に出ずに都にとどまっている人の袖でさえ涙の露で濡れるのに、旅の途中である私の袖はもっと濡れる秋の夕暮れだよという回りくどさ。だからこそ大胆な省略っぷりに意味も出てくる。「秋の夕暮」を結句に据える場合、その直前の第四句は「結句の説明」になっているのが常道。この作品もそうした構造には違いないけれど「ただこの頃の」とは突き放す感じ。SWV185の「ただ我がための 」に匹敵する大胆さではないか。そこに技巧を尽くさぬ実朝節だ。
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